2015年3月27日 金曜日 - 雑事雑談    No Comments

明治維新で民主主義国家になった日本

アメリカ占領軍の洗脳で、今の日本人は敗戦後アメリカのお陰で民主主義になったと思い込んでいる者が多い。朝日新聞などが、アメリカ占領軍のマッカーサー総司令官のお陰で、日本の民主主義はもたらされたというデマを流布したからだ。朝日新聞はマッカーサーが罷免され本国に帰った際には、最高の賛辞を持って感謝の弁を述べている。愚かにも程がある。

日本は江戸時代の末期、それまでの幕藩体制を改めて、天皇を君主に頂く近代的民主国家に自ら生まれ変わったのだ。他の国では革命や内乱を経なければなし得なかった封建時代からの近代化を、日本は時の為政者階級が自らの身分を捨てて四民平等の近代的民主国家になった。普通選挙をして代議士が国政を司る議会制民主主義は明治に誕生しているのだ。君主制の民主国家は日本の他にイギリス連邦やデンマークなど世界で40ヶ国以上もある。しかし四民平等とは言っても、他の君主制の国と同様に貴族だけは残った。皇族の他に大名家は新たに華族という貴族階級になったのである。
  
それでもなぜ日本は300年も続いた平和な江戸時代から、維新という革命をしなければならなかったか。

革命と言ってもほとんど無血の革命だ。戊辰戦争は内乱にもならない地域戦だった。他国では考えられないような平和的な変革だったのだ。旧体制の権力者徳川家も滅んでいないし、民衆が戦乱に巻き込まれることもほとんどなかった。会津藩の狙撃兵として鶴ヶ城籠城戦で有名な山本八重も、敗戦後殺されもせず、明治になって新島襄の妻となり、新島亡き後は日赤の社員として功績があったため、明治政府から皇族以外では女性で初めて叙勲されている。他国や他民族なら朝敵は皆殺しになっていたことだろう。だから平和的な変革だと言うのだ。

明治維新は時代の流れだと教科書などでは教える。黒船が開国を迫りそれをきっかけに近代化することになったと。それは表面的なことに過ぎない。当時アジアの諸国はヨーロッパ白人種に侵略され、奴隷にされていたのだ。植民地とは奴隷牧場のことなのである。キリスト教徒だった白人種は未開のアジア諸国を征服することが神の意志だとうそぶいていた。反抗するものは仮借なく殺した。原住民の食料よりもヨーロッパに輸出する嗜好品を作らせ根こそぎ搾取していた。現地人の女を強姦して生ませた混血児を登用して現地を統治させ、不満や恨みはその混血児に向かうようにした。非道なことに原住民には麻薬を与えて憂さを晴らさせた。それがアヘンだ。

こういう事実を幕末の日本人は知っていた。黒船が来る前から日本人は白人種の侵略を知っていたのである。薩摩も長州も鍋島藩も九州の雄藩は早くから白人種のアジア侵略を知って危機感を持っていたのである。幕府でも危機感を持ったがどうしたら良いかわからなかった。そこで家臣に意見を求めて採用されたのが勝海舟だ。海舟に限らずこの時代に登用されたのは下級武士たちだった。しかし雄藩の中でも鍋島藩の鍋島直正や薩摩藩の島津斉彬、土佐藩の山内容堂など明晰な藩主は存在していた。彼らが直接白人種の侵略性を知ったのが長崎のフェートン号事件だ。

1808年イギリスの軍艦フェートン号がオランダ国旗を掲げて国籍を偽り長崎港に侵入した。当時日本は3代将軍家光の時代の1641年以来オランダとだけは通商を許し鎖国状態になっていた。1793年フランス革命でオランダが占領されると、オランダのウィレム5世はイギリスに亡命し、オランダの植民地もフランスの支配を受けることとなった。ウィレム5世は当時アジアの制海権を握っていたイギリスに依頼してオランダの植民地を奪還しようとした。フェートン号は長崎港のオランダ船を拿捕しようとして侵入してきたのだ。

母国船と誤認したオランダ商館員2人が長崎奉行所の通訳と共に出迎えようとしたところ、フェートン号の武装ボートに拉致され人質になってしまった。フェートン号はオランダ国旗を降ろしてイギリス国旗を掲げ、武装ボートで長崎港内を捜索した。長崎奉行の松平康英は文書で人質の解放を交渉したが、フェートン号の艦長ペリューは飲料水と食料を要求し、応じなければ湾内の日本船を焼き払うと脅迫してきた。

ところが長崎港を警備する鍋島藩は平和惚けを起こしており、経費削減のために守備兵力を幕府に無断で10分の1にしていたため、長崎奉行の松平康英はやむを得ずペリューの要求をのむことにした。時間稼ぎをして九州雄藩に救援を頼んだが、フェートン号は人質は解放したが飲料水と食料を得て悠々と出航していった。

人的・物的な被害はなかったものの外敵にむざむざと侵入を許した松平康英は責任をとって切腹し、鍋島藩の家老数人も責任をとって切腹した。幕府は時の鍋島藩主・鍋島斉直に100日間の閉門を命じた。この事件以降、イギリスの侵略性は知れ渡り、オランダ商館長ズーフも協力して外国船の入国管理は強化された。その後もイギリス船の出現は相次ぎ、幕府は1825年、異国船打払令を発令した。しかし日本人は組織的に海外諸国を研究し始め、幕府は1809年に本木正栄ら6人の長崎通詞に英語の習得を命じ、1811年には日本初の英和辞書が完成している。1814年には幕府の命で本格的辞典も完成した。

鍋島藩主を継いだ鍋島直正は日本初の反射炉を作らせ近代的兵器を持つ最初の藩になった。薩摩の島津斉彬も近代化を急がせた。それが維新の原動力となったのだ。明治維新は西洋諸国の侵略から日本を守るために起こした改革だったのである。明治維新で日本は近代的な立憲君主国になった。封建社会から一気に国民国家になったのである。

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