2008年7月23日 水曜日 - 推奨記事, 歴史カテゴリー    No Comments

竹島は日本古来の領土だ。

竹島

竹島

江戸時代初期の元和4(1618)年には、鳥取藩伯耆(ほうき)国米子の町人が、幕府から鬱陵(うつりょう)島への渡海免許を受けた。当時の竹島は鬱陵島航行への目標やアワビの漁獲地として利用され、日本は17世紀半ばに領有権を確立したとされる。

竹島が正式に日本領となる契機はアシカともいわれる。乱獲されるアシカ猟を安定させようと島根県隠岐島民の中井養三郎は、明治政府に竹島の領土編入と貸し下げを要望。政府は明治38(1905)年、同県編入を閣議決定した。

ところが日本が日米戦争に負けてからというもの、アメリカの傀儡政権だった韓国の大統領・李承晩は勝手な領海線(李承晩ライン)を主張し日本の主権を侵害し続けた。

李承晩ラインとは、1952年に韓国の大統領・李承晩が日本海に一方的に引いたラインであり、本来日本が操業できる漁場を一方的に韓国のものとし、そこに入る日本漁船は武力を持って排除すると通告したものである。

これは国際法無視もはなはだしい韓国の暗黒の歴史の一ページである。この結果、多くの日本漁船が韓国に不当に武力攻撃され、328隻が拿捕され、漁民44人が死傷した。しかも、拿捕された日本の漁民を解放する条件として韓国が出してきた要求は、収監されている凶悪犯を多数含む、大量の在日韓国人犯罪者を無条件に釈放することと、在日韓国人全体に在留特別許可を与えることだった。日本政府は国民を助ける為、止む無くそれを呑んだ。

つまりこれは現在の在日問題の根底に関わる事件でもあるのだ。そして日本領土である竹島を韓国が不法占拠し、現在までに繋がる竹島問題を生み出したのもこの李承晩ラインがきっかけだったのである。この明らかな主権侵害と侵略行為、及び殺戮行為は、本来は戦争の原因になってもおかしくない状況である。しかし敗戦後間もない状況という事もあり、日本は強盗のなすがままにするしかなかった。それを見越して韓国は大罪を平然とした顔で犯したのだ。我々日本人が決して忘れてはならない歴史である。

日本人はこれらの事実をしっかりと学ばなければならない。領土を侵害されるということは、自宅の庭先に入り込まれて小屋を建てられ、そこに住み着かれるということなのだ。北朝鮮の拉致と全く同じことを韓国が行っているのだ。朝鮮人になめられ、どれほどの金や権利が奪われたことか。ボヤッとしていると何もかも盗まれることになる。

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