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日米の思惑


2014
06.26

日本が再軍備してまた負けたら元も子もないと思っている人は多いかも知れない。日本が戦争を仕掛けて負けたからと思っている日本人は多いだろう。アメリカ占領軍がそう洗脳したからだ。しかし事実はそうではない。

日本は明治維新で国民国家となった。300年間徳川家が治めていた日本を天皇を君主とする統一国家としたのだ。世界の歴史にも他に例を見ないような無血革命だった。それまで国を治めていた武士階級が自ら平民になることを選んだのだ。その時から天皇という君主を頂く四民平等を実現した。世界中どこを探しても戦乱を経ずに民主化できた国など日本以外にはないのだ。会津の戦や新撰組の戦いなどは局地戦でしかない。

なぜ日本人は階級制度を廃止して一気に民主化できたのか。その理由が当時の白人種の世界制覇に対抗するためだったのである。日本以外の有色人種の国は全て白人種の植民地にされていた。タイ王国は白人種の都合で緩衝地帯として独立を許されていただけだ。当時の植民地は人種差別の結果、殺生与奪を白人種に握られていた。完全な奴隷にされていたのだ。

幕末の日本人たちは清朝での白人種の横暴を見て危機感を抱いた。アヘン戦争やアロー戦争などで白人種の正体を知ることになった幕末の日本人は、このままでは日本も危ないと知った。はじめは攘夷が優勢だった。外国人を排斥すれば良いではないかと云う考えだ。そのため外国船を追い払う命令も幕府は出している。しかし薩摩は薩英戦争で英国の戦艦と撃ち合ったが被害が甚大だった。長州は馬韓戦争でイギリス・フランスの艦船と戦って散々に負けた。このことが二藩が開国に変わるきっかけになった。

そういう経験を経て日本は挙国一致で外国に対抗するため維新を決行したのだ。明治政府は富国強兵を急速に実現した。完全な防衛のための武装であり国力の強化であった。朝鮮の開国や独立を要求したのも自国防衛の方策の一つだった。清朝からの朝鮮の独立は日本の防衛の要だったのだ。大陸からの侵略は半島を通ってくるからだ。

ところが清朝は白人種侵略の事実を歪曲し決して認めなかった。侵略ではなく土地を貸しているだけだと強弁したのだ。事実を認めない清朝に日本は絶望した。その結果、朝鮮の独立を懸けて日清戦争を戦ったのだ。しかし朝鮮も独立などする気が無かった。清朝を見限った朝鮮はロシアに頼った。日本は困り果てた。ロシアが半島に進出してきたからだ。

ついに日本は大国ロシアと戦わざるを得なくなったが、戦費の調達にも苦労する有様だった。ロシアに対抗するためにイギリスが同盟を結んできたのでイギリスに頼んだが半分しか調達できなかった。残りの半分はロシアのユダヤ迫害に反対していたユダヤ人金融家ヤコブ・シフが提供してくれたのだ。

奇跡的に日露戦争に勝った日本には朝鮮の独立と満州の利権が転がり込んだ。ロシアとは満州を挟んで良好な関係が続いた。日本は朝鮮と満州に莫大な投資をして近代化を図った。

支那大陸では清朝が滅亡し共和制の中華民国が誕生した。ところが第1次大戦がヨーロッパで勃発し、日本は日英同盟のよしみでドイツ領青島や南洋諸島を攻略することになった。あっという間に攻略に成功して、日本はその結果と満州などでの権益を中華民国に追認してもらうために「21箇条の要求」を出した。しかしこれにアメリカが猛反発した。アメリカは満州を狙っていて日本の権益がさらに強固になることを嫌ったのだ。この先アメリカによる反日扇動が活発化する。

第1次大戦中にロシア革命が起きて革命政府は戦線を離脱した。チェコ軍はロシア軍配下でドイツと戦っていたがフランス軍に参加することになった。チェコ軍は東部戦線から西武戦線へ移動するために直接は行けないので、シベリア鉄道を使ってウラジオストックへ向った。しかしドイツ・オーストリアの捕虜部隊と衝突し、さらにはロシア革命軍との戦闘に発展したのだ。その後ロシアの反革命勢力が支援して、チェコ軍は西シベリア・ウラル地方の革命政権を倒した。そこで英仏はチェコ軍を支援するための出兵を日本に要請してきた。アメリカの反発を懸念して日本は拒否した。ところがそのアメリカが英仏に説得されて軍の派遣を決めたのだ。それならばと日本も派兵することにした。シベリア出兵はアメリカ軍と日本軍が主力だった。目的はチェコ軍の救出だった。

ところがアメリカ軍はろくに戦闘もせず日本軍と協力することはなかった。その上チェコ軍救出以前に突如撤退してしまう。そのため黒竜江河口の尼港市が共産パルチザン4千名に包囲され、偽装和議を結んだ共産パルチザンは市を占拠した上で、日本の守備隊もろとも7百名の日本人居留民を虐殺するという事件を起こした。虐殺の様はとても人間の仕業とは思えないむごたらしいものだった。市民1万2千名のうち共産主義に賛同しない半数もこのとき虐殺された。

救援に向かった日本軍は間に合わなかったが、逃げる共産パルチザンを追って戦闘を続けた。日本の撤兵が他の国よりも遅くなったのはそういう理由からだ。これをアメリカは日本の領土的野心と喧伝したのだ。実情を知らないヨーロッパ諸国もアメリカに同調した。戦後は共産主義者がプロパガンダとして日本の侵略の一端と宣伝した。尼港事件を云わずシベリア出兵を語るのは共産主義者のデマ捏造に洗脳されている証拠と云える。

アメリカは日本人をアメリカ本土から追い出す排日移民法を成立させた。日本が人種差別撤廃を提唱したのはこの年である。その後アメリカはワシントン会議を開き日本の活動を孤立化させることに成功している。日英同盟は破棄され、満州事変は一触即発の状況下で起きた日本の軍事行動だったが、アメリカは日本の行動をことごとく不承認するという政策をとった。そして対日戦争に邁進していた蒋介石の国民党政府軍に武器弾薬を提供し、航空機まで提供したのだ。上海事変は蒋介石の日本挑発事件である。国民党政府軍との戦闘は事変としていた。これを日支戦争とでもしていたら、アメリカはとっくに日本の敵国となっていたのだ。それを避けるために事変と称していた日本にアメリカはつけ込んだわけだ。

日本はアメリカの国民党政府軍支援を止めさせる交渉を根気よく続けたが、アメリカは支那大陸からの撤退を要求して譲らなかった。アメリカは様々な輸出品を禁輸して日本を苦しめた。いわゆる経済封鎖をしてきたのだ。最後には日清・日露、第1次大戦での日本が獲得した権益をすべて捨てて、日本4島に戻れという通告をしてきた。そうしないと石油の禁輸をすると云う警告だ。日本は石油備蓄から逆算して1941年12月を交渉の限界と考えた。

アメリカは第2次大戦後も経済封鎖を戦術的によく使う。イラクへ攻め込んだときには大量破壊兵器の秘匿を理由にしたが、実際の理由は石油の利権だった。フセインがロシア・フランスを相手にドル建てをユーロに変更しようとしたためイギリスと結託して攻め込んだのである。

ソ連が崩壊した現在はアメリカの天下なのでしたい放題だが、アメリカほど世界征服を夢見ている国はない。実際には共産中国などはアメリカの敵ではない。しかし人口が多すぎるために敵にはしたくない国だと思ってるだけだ。

日本は戦争したくてした戦争は今までなかったと言って良い。常にやむを得ずした戦争ばかりだ。アメリカが支那から出て行けと云わなければ戦争などしなかった。なぜなら石油を止められたので石油を求めて戦争をしたのだ。アメリカ以外では東南アジアしか供給地はなかったし、そこはイギリス、オランダ、フランスが植民地にしていた。支那大陸での戦争も蒋介石のようにやたらと挑発しなければする必要など無かった。支那大陸では常に日本は守備隊で、相手は国民党軍も共産軍も襲ってきたという戦争だった。襲っては逃げるので軍を派遣して追いかけた。南京を攻略したのも追いかけていった戦争だ。追いかけなければまた襲ってくるのだからイタチごっこのようなものだったのだ。

日本の軍人は武士道を実践していた人々ばかりだった。強きを挫き弱きを助ける人々ばかりだった。戦争をすれば恐ろしく強かった。降参する者は暖かく保護した。ナチスに追われたユダヤ難民を無条件で受け入れたのは上海や満州の日本軍だけだったのだ。もちろん日本政府の方針でもあった。杉原千畝が戦後叱責されたというのは真っ赤な嘘である。ヨーロッパの日本領事館はどこでも無条件で通過旅券を発行していたのだ。上海では犬塚大佐が、満州では安江大佐がユダヤ人救済の責任者として有名である。日本人が知らないだけだろう。


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