アメリカが戦争をした理由3

第1次大戦中の1917年(大正16年)にロシア革命が勃発し、ソ連革命政府は勝手にドイツと停戦協定を結んで戦列を離れた。そのため西部戦線ではイギリスとフランスが苦戦することになった。そこで連合国はドイツの注意を東部戦線に向けることとロシア革命に干渉することを意図してシベリアに出兵することにした。

第1次大戦はヨーロッパが主戦場だったため日本は当初参戦しなかった。日英同盟もインド以東までがその範囲だったからである。しかし連合国側は苦戦していた。特にソ連革命政府が戦線離脱をしたことによりドイツの攻勢は西部戦線に集中することになった。イギリスはドイツの勢力をそぐために日本の参戦を執拗に要請した。支那大陸のドイツ領や南洋諸島を攻略することを要求してきたのだ。渋々日本はドイツ領遼東半島と南洋諸島を攻略することにしたが、あっという間に占領してしまった。イギリスの要求は地中海での参戦に及び、これも仕方なく日本は後方支援で戦艦を派遣している。地中海では兵士や物資の輸送で貢献し、戦死者まで出したが、イギリスは日本軍の戦死者を丁重に弔って感謝した。

シベリア出兵も日本は渋った。ところがアメリカが大軍を送ることが判って日本も出兵したのだ。しかしそのアメリカはたいした戦闘もせず、戦闘半ばで勝手に撤兵してしまう。そのため手薄になった隙を突いて共産軍に参加していたパルチザン兵(共産ゲリラ兵)が尼港で住民の虐殺事件を起こした。住民12000人のうち半数の6000人が虐殺されるという事件だ。日本領事館一族を含む居留民800人もむごたらしく殺された。日本軍が駆けつけたときにはすでにゲリラ軍は逃走していた。その後日本軍はパルチザン兵を追撃しシベリア撤兵は大幅に遅れることになった。

シベリア出兵時の日本軍の逸話が残されている。
ロシア帝国はポーランド人政治犯などを多数シベリアに流刑したため、ロシア革命当時のシベリアには相当数のポーランド人がいた。その後ロシア革命の混乱と1918年11月のポーランドの独立によって多数のポーランド孤児がシベリアに取り残されたが、その保護のために力を貸す国はなかった。その惨状を知った日本は日本赤十字社を中核としてシベリア出兵中にポーランド孤児を救出し彼等を祖国に帰還させた。1920年(大正9年)7月に第1次ポーランド孤児救済が、1922年(大正11年)8月に第2次ポーランド孤児救済がそれぞれ行われた。この活動によって約800名のポーランド孤児が祖国への帰還を果たした。シベリア出兵に従事し孤児を救った51名の日本軍将校に対し、ポーランド政府は1925年にヴィルトゥティ・ミリターリ勲章を授与してその功績に報いた。

どうしたわけかアメリカはそうした日本軍の駐留を非難した。領土的野心があると主張したのだ。ヨーロッパ諸国もシベリアに駐留する日本軍を非難し始めることになった。1922年(大正11年)日本は国際的非難を受けシベリアから撤兵した。しかし日本は共産勢力の脅威を防ぐ必要性を痛感することになった。

アメリカが日本の領土的野心を非難するようになったきっかけらしきことが日露戦争後に起きている。日露戦争に必要と思われた戦費を確保することは日本にとって相当な苦労だった。当時の日銀総裁だった高橋是清は、同盟国のイギリスに飛んで戦時国債を購入してもらえるよう交渉したが半分しか調達ができなかった。そのときに知り合ったユダヤ系アメリカ人で銀行家だったヤコブ・シフが残りの半分を購入したのだ。

当時の国家予算は1億円弱であった。日露戦争にかかる戦費は4億円強と見積もられた。国民から戦時国債の購入を募り、残る1億円が海外からの調達に頼ることとなった。シフは有名なユダヤ財閥ロスチャイルド家の財政担当だったが、ロシア帝国はユダヤ迫害の最右翼だったのでシフは日本の勝利にかけたと云われている。世界の見方は断然日本の不利というものだったにもかかわらずである。

シフの友人、アメリカの鉄道王エドワード・H・ハリマンも日露戦争の戦時公債を1千万円分も買って協力した。彼は戦争後来日し、復興のために1億円を提供するという条件を出して、満州鉄道の共同経営を提案してきた。桂首相も元老井上馨も賛同して仮調印を済ませハリマンは帰国した。

日露戦争に勝った日本だったが、戦後処理にはアメリカに仲裁を頼んでいた。そのアメリカはセオドア・ルーズベルトが大統領だったのだが、有色人種が白人種に勝ったことに恐怖すら感じていたのだ。ルーズベルトはロシアと結託して日本には賠償金を要求させなかった。外交の天才と云われていた小村寿太郎も体もなく騙されたのだ。

小村の帰国はハリマンと入れ違いだった。小村はハリマンとの仮調印に激怒した。満州鉄道の獲得は日本軍の多大な犠牲の上に成り立っている。その経営に外国人を参加させることは英霊に申し訳が立たないと云って反対したというのだ。賠償金の獲得ができなかった引け目も感じていたからだろう。結局ハリマンとの仮調印は破棄されることになった。ハリマンはアメリカに着くなりその知らせを受け、それこそ激怒したという。

ハリマンは当時アメリカ政府に強力な影響力を持っていた。なにしろアメリカ横断鉄道のオーナーだったのである。ハリマンは日本の裏切りを議会に訴え、娘婿になったウィラード・ストレイトを満州の奉天領事に送り込んでアメリカの反日活動を支援するに至った。

日本人排斥運動も時期を同じくしている。日本は満州鉄道を巡ってアメリカと利害を異にしたのだ。ルーズベルトは懇意にしていた新聞王のハーストを使って日本人排斥運動を煽った。アメリカこそ満州に領土的野心を持っていたのだ。

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