アメリカが戦争をした理由2

アメリカは1924年(大正13年)に排日移民法を成立させている。
正式名は1924年移民法という。特に排日をうたったものではないが、1890年以降の白人以外の移民者に対する権利の制限をしたもので、当時12万人以上に達していた日本人の権利制限を目的としていた。すでに帰化していた日系市民の権利まで剥奪するという、明らかな人種差別法であった。その底辺にあったものは日本人の勤勉さに白人系の移民が危機感を抱いた事による。

勤勉なことが恐れられたというのは不思議なことだが、ヨーロッパ系移民の仕事を日本人がすべて奪うと思われたのだ。今でも時折日系企業のバッシングが行われることがあるが、同じ感情からだ。日系移民の前には支那系移民が多かったが、支那人も黙々と仕事をして、ゴールラッシュの時代には財をなし、土地を手にするに至った歴史がある。それを北欧系の移民が襲って奪うという歴史的事実があるのだ。支那系の移民は清朝が全く無関心だったせいで、守られることなく虐殺された。アメリカを作ったヨーロッパ系移民は先住民を悉く虐殺し土地を奪って、西部開拓などと正当化している。アメリカの西部劇はその正当性を主張する典型だ。

日系移民は支那人以上に勤勉で多産だったために、白人系の移民たちに恐れられ嫌われた。しかし日露戦争以降一等国となった日本人を虐殺することはできなくなっていた。黃禍論がアメリカ中で吹き荒れた。黄色い人種が災いを招くという論調である。新聞がキャンペーン記事にして白人種の恐怖をあおったのだ。そこで合法的に閉め出そうとしたのである。

アメリカを統治している白人種は今でもそうだが、人種差別をする人種だ。有色人種を劣等人種として差別し遠ざけようとする。アフリカ系の黒人種は奴隷としてつれてきたせいで排除できない。仕方なく受け入れているが、公民権を持たせても差別は消えていない。モハメド・アリもタイガー・ウッズも差別された経験がある。オバマは生粋の黒人ではないので大統領になれた。

アメリカから閉め出された日本人は支那大陸への移民を活発にすることになった。朝鮮や満州に投資をして近代化を推し進めたのだ。支那大陸は辛亥革命後清朝が滅亡して内乱状態になった。満州には戦乱を逃れた漢族や朝鮮族も流入して農地を開墾していた。満州各地を仕切っていたのが軍閥と呼ばれる武装集団だったが、各地で勝手に農民から徴税して私腹を肥やしていた。

日本の関東軍は満州での日本人(朝鮮人も含んでいる)居留民を守備するために駐屯していた。南満州鉄道沿線がその守備範囲であった。支那の伝統的な匪賊と呼ばれる盗賊が各地で略奪・強姦を働いた。治安は日本軍の守備範囲しか安定してはいなかったのだ。

清朝滅亡後支那では中華民国が誕生した。袁世凱が初代の総統になったが、孫文の後を継いだ蒋介石が国民党政府を樹立し南京に首都をおいて対立することになった。日本は袁世凱政府を承認し清朝時代の条約を追認するよう要求した。それが「対華21箇条の要求」と呼ばれるものだ。支那人は過去、条約や約束事を守ったことがなかったために日本は念を押したのだ。

袁世凱は案の定、なかなか条約を追認しなかった。それどころか外国の干渉を得ようと、あることないこと宣伝し、日本の要求を阻害した。ヨーロッパ諸国は袁世凱の扇動には乗らなかったが、唯一アメリカが日本を「火事場泥棒」と非難したのだ。

第1次大戦後、世界は国際連盟を設立して恒久和平を追求するという提唱をしていた。最初に提唱したのはアメリカだった。一等国となった日本も常任理事国になったが、連盟の憲章に「人種差別撤廃」を盛り込むよう提案した。賛成は過半数に及んだが、アメリカが猛反対した。全会一致が必要だと抵抗して結局廃案にしてしまった。その上、提唱者であったアメリカ自体は連盟には参加しなかったのである。当時のドイツ、ロシア(ソ連)、アメリカという大国が参加しなかった国際連盟は機能を果たすことなど不可能であった。

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