2014年9月17日 - 雑事雑談    No Comments

朝日新聞の潜在体質

朝日新聞は戦前「鬼畜米英打つべし」という有名なタイトルなどで戦意高揚を煽りに煽った。世論を扇動し国民を戦地に駆り立てた張本人だ。当時の新聞はどれも似たり寄ったりだったが、特に朝日は当時の世相に阿り、購読部数を伸ばしたのだ。毎日新聞も「100人斬り」の記事を掲載して戦意高揚を図ったことがある。極東軍事裁判ではその与太記事のせいで2人の軍人が支那人虐殺の汚名を着せられ死刑になった。毎日新聞はだんまりを決め込んだまま知らぬ顔をした。

南京陥落時には朝日や毎日の記者が総勢70人も現地にいた。彼らは南京で虐殺など起きていなかったことを知りながら戦後はだんまりを決め込んだのだ。

アメリカの新聞も発刊当時は販売部数を伸ばすために、あること無いことでっち上げて世俗的な興味を煽り今の地位を築いた。報道写真賞で有名なピューリッツァが発行した新聞もそうしたでっち上げ記事で販売部数を増やしたのだ。当時のアメリカではこういう新聞をイエロージャーナリズムと呼んだ。

元はイエローキッドという漫画の連載をピューリッツァとハーストがそれぞれ主宰する新聞紙面で同時掲載して部数を争った事に由来している。共に扇情的な記事を掲載したスキャンダル雑誌的なものだったのだ。
しかし発行部数が膨大になると、その紙面に載る記事は世論を扇動することが可能な手段となった。19世紀以降のアメリカ世論はイエロージャーナリズムに扇動されるようになっていった。

1898年の米西戦争のきっかけになった戦艦メインの爆破事件も、イエローペーパーが「リメンバーメイン」といううたい文句で、反戦気運をひっくり返した。アメリカはスペインからプエルトリコ、フィリピン、グアムを奪い取り、キューバを保護国にした。戦艦メインの爆破はアメリカの自作自演と言われている。

アメリカの新聞は排日運動も盛んに行い、1924年アメリカから日本人を閉め出すことに成功している。その後もイエロージャーナリズムはアメリカ全土で吹き荒れ、排日、反日気運を煽った。「リメンバーパールハーバー」もそうした新聞の扇動文句なのだ。

朝日や毎日は戦後一転して反日活動をするようになった。最初はGHQの言論統制によってアメリカ批判や日本の正当性を主張できなくなったからだが、次第に自主規制をするようになり、現在のような反日マスコミに成り下がったのだ。いずれも発行部数を維持するため、ひいては部数を伸ばすというさもしい動機からだ。戦後の日本人は自虐的になっていたためそうした新聞をありがたがった。共産主義者はそこにつけ込んだ。中共や朝鮮も図に乗ったのだ。

朝日や毎日は発行部数を伸ばすためにあること無いこと何でも書くイエロージャーナリズムなのだ。産経新聞はそうした風潮を懸念して発行された真のジャーナリズムを目指す新聞なのである。

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