重慶爆撃と蒋介石

2012
02.18

アメリカによる戦略的無差別爆撃の話には必ず日本が行った重慶爆撃を引き合いに出して、無差別爆撃をやったのは日本が先でアメリカは蒋介石の訴えでその報復をしたのだという敵国の言い分を取り上げる日本人がいる。朝日新聞はその論調で対米報復を戒める。つまり共産主義者がやっている日本悪役論だ。

重慶爆撃とは1938年から1943年の5年間に218回断続的に行われ、蒋介石率いる国民党政府軍の軍事施設を破壊する戦略爆撃である。重慶は内陸部に深く位置し、天然の要害で地上戦での攻略は非常に困難だったため、蒋介石は南京陥落後ここへ首都を移していたのだ。日本にはアメリカと違って戦略爆撃機がなかったので5年間で218回という、平均して月に3~4回程度の爆撃しかできなかった。

当初から軍事施設だけを目標とした爆撃だったが、蒋介石は卑怯にも市街地の中に高射砲陣地を設置していて日本軍は苦戦した。このため最終的には市街地を爆撃することになったのである。蒋介石は12才の頃に日本へ留学しており陸軍士官学校の別科で学んでいる。日本人には精通しているため、日本人が卑怯な振る舞いはしないことを熟知していて戦闘には大いに利用した。何しろ国民党軍は日本軍には連戦連敗だったためである。

有名な黄河決壊事件は自国民を犠牲にしてでも日本軍の足止めをしようとした蒋介石の作戦である。この事件は日本軍が洪水に流される民衆を見殺しにすることはないと知っていた蒋介石の、したたかだが卑怯極まる性格を表している。

商震将軍は蒋介石から日本軍前衛部隊の背後を突く形での堤防爆破を命じられたが、国民党軍の撤退が終わるまで爆破を延期していた。この間、蒋介石は爆破が行われたかについて何度も問い合わせを行っている。6月7日には中牟付近で爆破が行われたが、この作業は失敗し、場所を花園口に変更して作業が進められ、6月9日午前9時に作業が終了し黄河の水は堤防の外に流出した。氾濫は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54,000平方kmの領域に及んだ。水没範囲は11都市と4,000の村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。(wikipedia)

蒋介石は自軍の撤退も完了していないうちに堤防爆破を催促しているのだからひどい話である。彼の思惑通り日本軍はこの洪水を見過ごすことなく民衆の救援活動をしたため国民党政府軍は逃げることが出来た。

日本の敗戦が決まって武装解除の折りには「以徳報怨」を発表して日本軍属の帰還を助けたため、「徳を持って怨みに報いる」という寛大な処置のお陰で無事帰国できたと恩義に感じた日本人も多く、記念碑などを作った団体もいる。しかしこれも彼一流の日本人懐柔策である。旧日本軍に勝ったことがなかったために抵抗されることを恐れたのだ。日本人が温情には弱いことを知っていただけのことである。軍事裁判でのB,C級戦犯とされた旧日本軍の軍人を大量に処刑していることからみても、一般軍属の懐柔策だったことは明らかだ。

重慶爆撃の被害は、大げさでは定評のある中国側の主張で、死者は計約1万2千人、家屋の損壊は約1万8千棟となっている。一方、アメリカによる日本本土空襲は1942年4月から始まり1945年8月までの3年間で、被害は死者33万人、負傷者43万人、家屋の損壊約223万戸であった。

蒋介石は共産党軍との覇権戦闘に敗れて台湾に逃げ込んだが、日本支配の影響を一掃するため、日本語使用を禁止して、日本びいきの台湾人や日本の高等教育を受けた知識人を逮捕監禁した上で拷問したり、大量に虐殺するという恐怖政治を行った。その上国民党政府の役人は堕落しきっており腐敗はひどいものだった。

概ね現在の台湾人に日本びいきが多いのは蒋介石の率いた国民党政府の悪政を嫌ったためである。

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