2017年10月5日 - 雑事雑談    朝鮮と支那 はコメントを受け付けていません。

朝鮮と支那

いつの頃からかは定かではないが、彼の半島の人々を「朝鮮人」と呼ぶことや大陸の人々を「支那人」と呼ぶことが差別したことになるから止めろという輩がいるようになった。共産中国(毛沢東)が自分たちのことは「中国人」と呼べ、「支那人」と呼ぶなと言ったかららしい。日本人の中に中国共産党のこういう言い分を我々日本人も聞くべきだと声高に言う者がいるのだ。どうせ共産主義者か共産中国の回し者だろうが、歴史を知らない間抜けと言うほかはない。

「朝鮮」や「支那」に差別的な意味合いは一つもない。「朝鮮」は李氏王朝が明国から正式に許可を受けた国名であるし、「支那」は英語のChinaの日本語訳だ。特に支那大陸は征服王朝が度々変わってきたので、あの大陸に住む人々を呼ぶには「支那人」と呼ぶほかないのだ。中国という国は過去に存在しない。「中国人」とは世界の中心の国の人とでも言う意味なのである。だから毛沢東はそう呼んで欲しかったと言うことだ。

過去の歴史の話をする際には、彼の大陸は「支那大陸」だし、そこに住む人々は「支那人」と言うほかはない。半島に関しても朝鮮半島だし、そこに住む人々は朝鮮人で良いはずである。何ら差別の意味もない。

ちなみに「倭人」は支那人が日本人を蔑視した呼び方だ。朝鮮人も「小日本」などと日本を蔑視した呼び方をすることがある。日本にも支那人を馬鹿にした呼び方に「チョン」というのがある。「馬鹿でもチョンでも」という言い方がそれだ。今では使う日本人はいない。しかし知らないとうっかり使うことはあるかもしれない。

言葉というものは感情表現のみならず文化であり、差別的に使う言葉を無くしたところで差別心がなくなるわけではない。日本ではよく言い方を変えたり言葉を無くしたりして差別心を封じ込めようとするが、全く無意味だ。人を罵倒するのに「この善人が!」とか「よくできた人だねえ!!」とか言っても罵倒するに変わりはない。言う方は偽善的なだけだし、言われる方も嫌みにしか受け取らない。

こういう風潮は子供のいじめにも多大な影響を与えていて、馬鹿にしているのに美辞麗句を並べて、陰湿にいじめることが横行している。言葉狩りをする愚かさは、文化そのものを衰退させ、人間的にも卑怯で軽薄な行為を増長させるだけである。

歴史も言い方を変えて事実を隠そうとする事がある。
日本が行った対米英戦争は「大東亜戦争」という。決してアメリカとだけ戦った「太平洋戦争」ではない。「大東亜戦争」という名称にはアジアが主戦場で、イギリス、フランス、オランダ、アメリカなどが主な対戦相手だったことが示されている。アメリカはフィリピンを植民地にし、ハワイを強引に併合していた。

日本はヨーロッパ白人種に侵略され植民地にされていたアジア諸国を、宗主国から解放して独立させ、自由貿易で石油を入手するために開戦したのだ。だから最初にイギリス東洋艦隊の海軍基地があったシンガポールを攻略した。マレー沖の海戦で旗艦プリンスオブウェールズと巡洋艦レパルスを航空機からの爆撃で撃沈して戦果を上げた。

フィリピンを植民地にしていたアメリカはマッカーサーが統治していたが、5分の1程度の規模の日本軍に攻められてマッカーサーは逃げだし、15万人もいた兵士のうち13万人が捕虜となった。これを恨んで戦争に勝った後マッカーサーは極東軍事裁判という復讐劇を演出したのだ。

アジアから白人種の侵略国を一掃した日本軍だったが、戦略の甘さからアメリカ軍に敗北してしまった。アメリカ軍は太平洋上の島々を占領するとそこを起点に日本本土空襲を開始し、非戦闘員を80万人も殺戮した。最後は既に戦意を失っていた日本に2種類の原爆を落として人体実験をしている。

これらのアメリカ軍の行為はまさに戦争犯罪であったが、占領軍を指揮したマッカーサーは戦争名を変え、当時の日本の指導者を戦争犯罪人として裁くという茶番を演じて日本国民を被害者でもあるかのように洗脳した。日本国民は戦争責任を軍部や国政指導者に押しつけたアメリカに感謝するまでになっていった。

言い方を変えたり言葉を無くしても事実が変わるわけではない。事実をごまかしたり偽善的な行為を隠すために行うのが言い換えや言葉狩りだと知ることである。

Comments are closed.

ツールバーへスキップ