2019年1月26日 - 歴史探訪    No Comments

満洲国について

戦後の日本人は満洲国について全く知らないと言って良い。現在では共産中国の東北部として漢族が一億人も住んでいるという。建国後13年で滅んでしまった満洲国とはどんな国だったのだろうか。

満洲はシナ大陸の東北部に位置し、日露戦争後ロシアと日本が分割管理をした地域である。万里の長城の外にあって化外の地と呼ばれ、日本列島の約3倍以上もある地域に満洲人は100万人ほどしか住んでいない地域だった。

満州国の位置

清帝国を築いた後金(女真族)の出身地でもある。従って最後の清王朝皇帝(ラストエンペラー)愛新覚羅溥儀が祖国満洲国の初代皇帝になったのである。

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満洲国の国旗。五族協和を謳ったので五色が使われている。五族とは、満洲人、日本人、朝鮮人、漢人、蒙古人の民族を指す。

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清帝国が滅亡した後の支那大陸の勢力図。袁世凱北京政府の中華民国は蒋介石の国民党政府と対立し、毛沢東の共産党軍のテロ活動や各地の軍閥が起こす略奪・殺戮などが頻発する混沌とした状態になった。

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日清・日露の戦争勝利で得た日本の権益は朝鮮半島から南満洲の範囲に及んでいた。これは日本による侵略などではなく戦争に勝って得た正当な権利であった。南満州鉄道は日露戦争の結果ロシアから譲り受けたもので、沿線には日本からの移住民が新天地を求めて移り住んでいた。遼東半島の突端を関東州と云うが、鉄道沿線を警備するため軍隊が駐屯していた。これが満洲国建国の原動力となった関東軍である。

清朝末期の満洲地域は、軍閥などの武装した支那人ヤクザ集団が勝手に税を徴収したり略奪や殺戮を繰り返す混沌とした状態であった。関東軍は日本人の居留地域の治安維持をするために奮闘していたが、辛亥革命で清朝が滅亡して新たにできた中華民国北京政府の袁世凱は、既存の日本の権益を表面では認めておいて裏では非難するという反日政策をとった。(世に言う対華21箇条の要求問題)アメリカやイギリスの支援を受けた蒋介石も国民党政府を立ち上げ、北京政府に敵対すると共に反日活動をした。蒋介石を支援したアメリカは支那大陸の市場を狙っていたのだ。アメリカ人宣教師達が支那人の学生を使って日本製品のボイコットなどを盛んにしていたのである。

日本は日露戦争以来満洲地域につぎ込んだ投資と邦人を守るために、満洲地域では勢力のあった張作霖・張学良親子を利用しようとした。地域ヤクザと手打ちをしたのだ。ところが張親子はソ連共産党ともつるんで反日活動をする始末だった。

支那大陸の反日活動は日本人虐殺などの事件を度々起こしていたが、日本政府は常に戦線不拡大方針をとり話し合いで解決しようとした。しかし根本解決を望む関東軍などには不満が募り、張作霖爆殺や柳条湖事件を経て関東軍は一気に満洲を制圧したのだ。日本の国民は諸手を挙げて喝采した。関東軍の制圧で満洲の治安は見事に回復したのである。

関東軍は警備軍なので1万数千人の小隊だった。張一家が率いる軍閥は30万以上の勢力だったが、匪賊や盗賊の類いで圧政を敷いていたため現地住民(満洲人)の援助が得られず手もなく撤退していったのだ。関東軍は制圧した地域をすぐさま国家にする計画を持っていた。満洲人がそれを望んでいたからだ。日本政府は軍事行動をすぐには追認しなかったが、関東軍の行動を日本国民は熱狂的に支持していた。朝日・毎日などの新聞が煽りに煽った結果でもあった。

清朝が滅亡して最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀は、祖国満洲が日本軍の勢力下になり治安が安定したのを見て満洲国の建国を熱望したと云われている。日本軍の援助で支那を脱出した溥儀は満洲国に入った。当初は日本側が国政のお膳立てをしたが、政府は満洲人で構成されている。溥儀は当初執政としての立場にされて激怒したと云われているが、2年後めでたく皇帝に即位した。しかし溥儀は戦後の東京軍事裁判で関東軍に強制されたと嘘の証言をしている。溥儀の家庭教師だった英国人ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」には、紫禁城を追われて列強が相手にしなかった溥儀を唯一救ったのが日本だったことや、溥儀が満洲国建国を熱望していたことなどが書かれている。ちなみに「紫禁城の黄昏・岩波書店版」にはすっかりその部分が削られているので読むに値しない。ついでに云うと岩波書店が出している広辞苑などには嘘の記述や事実が隠されている記述が目立ち共産中国寄りの偏向思想が見て取れる。

満洲国の建国は世界23ヶ国に承認された。
◆正式承認◆
日本、中華民国南京国民政府、ドイツ、イタリア、スペイン、
ヴァチカン、ポーランド、クロアチア、ハンガリー、スロバキア、
ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、デンマーク、エル-サルバドル(中南米)
◆国書交換(準承認)◆
エストニア、リトアニア、ドミニカ(中南米)
◆戦時中に承認◆
タイ、ビルマ、フィリピン、蒙古自治邦(内モンゴル)、自由インド仮政府

1932年に建国された満洲国は、後ろ盾になっていた日本軍が対米英戦争に負けて武装を解除し国軍が解散されたため治安維持ができなくなり、ソ連軍が突如攻め込んで占領したので1945年消滅することとなった。後にソ連は共産中国と話し合いの上、占領した地域を譲渡して現在に至っている。

支那大陸では満州事変の後に起きた第1次上海事変、第2次上海事変を経て、日本軍は蒋介石の国民党政府軍と全面的に戦うことになったが、満洲国は関係せず、その後の日本と米英との戦争にも中立の立場を堅持した。特にナチスドイツに追われたユダヤ人を自由に入国させるなど人種差別には反対の立場を貫いている。人種差別反対は日本も同じ立場であった。

満洲国には最盛期、満洲人3900万人、日本人210万人(朝鮮人を含む)、その他7万人が住んでいた。明らかに満洲人の国である。日本からの産業投資が盛んに行われ、特に重工業は発展した。地下資源も豊富だったため石炭、鉄鋼などの輸出も盛んに行われた。経済的発展は当時東洋一と称されるほどであった。日本の敗戦後はソ連が施設や設備の何もかも奪っていき自国の発展に使った。その後も共産中国がインフラを徹底的に利用している。

ソ連軍に追われて幼い我が子を現地人に預けて逃げた日本人は多かったが、その現地人とは満洲人のことである。決して今の漢人族ではない。その満洲人達は国家消滅と同時に姿を消してしまった。漢人族にそれと知れると皆殺しに会うからであった。満洲人の言葉も文化も国家消滅と同時にこの世から消滅したのだ。

ちなみに清帝国は満洲人が漢人族を征服した帝国で、現在の「チャイナドレス」は満洲人の民族衣装だ。鬢髪も同じく漢人族の習慣ではなく満洲人の習慣を漢人族に押しつけたものである。だから満洲人は漢人族の天下になった時にすっかり姿を消すことにしたというわけである。

戦後は満洲国は関東軍が侵略して建国したものというのが定説のようになっているが、関東軍は日清戦争後からずっと警備隊として駐屯していた軍隊だ。南満洲の治安維持に当たっていたのだから、張学良などを満洲から追い出したとしても侵略したことにはならない。誰の土地でもなかったところだ。昔から中国の土地だなどと共産中国が云っているのは嘘である。強いて言うなら満洲人の土地である。

政府の方針に反して軍事行動に出たことは事実だが、政府の不作為のほうに問題があり、現地人も日本国内でも満洲の治安回復には喝采をしたほどなのだ。しかし国際的にはアメリカが激しく非難した影響もあり理解されない点もあった。国際連盟から派遣されたリットン調査団の報告も満洲国の建国は満洲人の自発的なものではなく日本に支えられたものであることを指摘しているが、日本側の権益や経済活動は守られるべきだとしている。しかし満洲国の分離独立は認められないとしたため日本は国際連盟を脱退することになった。

満洲国を承認した国は23カ国あったが、当時の世界で独立国は60カ国に満たなかった。国際連盟に加盟していたのは48カ国だ。日本が世界を敵に回したというのも嘘である。しかしアメリカとイギリスは日本の勢いを脅威と捉えていたため、支那大陸での反日活動は活発化していった。

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