5月 17 2016

江戸時代を見習え

江戸時代は支配階級の武士が質素を旨として、権力に富はつながっていなかった。現代の時代劇に登場する悪代官や越後屋はフィクションでしかない。武士が金儲けに奔走したことなどないのだ。物質的豊かさは決して人間の幸福感には繋がらない。なぜなら際限がないからだ。武士階級は精神的な豊かさを追求していた。支配階級だけではない。庶民にも豊かさに対する欲望より粋や伝統や人情を重んじていた。金持ちが尊敬されたり妬まれたりすることなど決してなかったのだ。

西洋の価値観は物質面に偏りすぎている。物質的進化は人間性の退化を生んできた。車は運動不足を生み、飽食は肥満を生み不健康を招く。

人間にとっての幸福感は生き甲斐や使命感の達成にある。人間はたかだか数十年しか生きられない。その間にどんなに美味なものを食おうと、どんなに楽をしようと、どんなに着飾ろうと、人の役には立たない。

人間は諸動物と違ってただ生きていることだけが目的で生まれたわけではない。人間だけが生まれてきた目的、すなわち生き甲斐を自分で見出せる存在だ。人それぞれ目的は違っているかもしれない。ただ食うために生きている者もいるだろう。着飾るために生きている者もいていい。だが全ての人間が食うためや着飾るために生きていては人間の真の進化はない。

西洋人は、精神文化は物質的豊かさに裏付けされて初めてなるものだと考えてきた。だから文化は貴族が作ってきたのだ。しかし日本だけは違っていた。武家が支配者階級になってからは文化は庶民からも生まれている。それが可能だったのは日本という国が2000年もの間、同じ文化文明を維持してきたからなのである。

西洋の文化文明は数百年単位で変わってきた。故に豊かさは物質的なものに偏ったのだ。なぜなら支配者が変わるたびに以前の文化文明は破壊されてきたからだ。一から作り出すためには物質的な豊かさがまず必要だった。だから富は権力者に偏った。それが権力者と被支配者との対立を生んだ。革命思想はそこから生まれてきた。

しかし日本には支配者と被支配者という対立は無いに等しい。貴族が支配階級だった時代は西洋と同じだが、武家が支配者になった時代からは支配者に富が偏ることがなかった。だから革命思想など生まれなかったのである。

江戸時代以前が暗黒の時代だったなどと共産主義者がする歴史解釈は捏造以外の何物でもない。時代劇の作り方も現代の価値観で作っているから権力者が金儲けに走るのは当然のように描くが、江戸時代の武家は儒教の影響で金銭を穢れた物として忌み嫌っていたのだ。給料を米で払っていたのもその表れだ。貧しくなると商家から借金をしていた。商家は税金を取られなかったので裕福だったのだ。支配者階級が庶民から借金をしていた国など日本以外にはない。

支配者階級が質素を美徳としていたため庶民に不満はなかった。これが支配階級の資質というものなのだ。だから300年間も平和が続いたのだ。

現代の日本文化のほとんどは江戸時代に完成しているものばかりである。伝統を重んじ、粋を追求し、世界の芸術家や好事家を魅了する美を残している。技術も世界的なものを残してきた。ほとんどが庶民から生まれたものだ。

労働を疎まず勤勉に働く日本人は江戸時代に形成されてきた。日本は昔から労働者の国なのだ。今もほとんどの人々がサラリーマンではないか。西洋のキリスト教的原罪思想では勤勉さなど生まれない。日本人は仕事が生き甲斐だ。休みなど時々でいい。日本は世界に誇れる格差のない社会を形成しているのだ。今更労働者革命など何の必要があろうか。欲望のみを追求する西洋の価値観など日本人には無用である。