9月 23 2015

日本軍の強さ

大東亜戦争初戦、日本軍はフィリピンを植民地にしていたアメリカ軍と戦った。アメリカ軍を指揮していたのは、後に日本占領軍総司令官として厚木に降り立ったダグラス・マッカーサーだった。マッカーサーは初戦こそ15万の混成軍を頼って抵抗したが、強力な日本軍の攻撃にさっさと部下を置き去りにして逃げ出した。日本軍は敵を虐殺などしない。捕虜は8万人にもなった。喰わせるだけでも大変だった。バターン半島突端からは収容所などなかったので、捕虜7万人を収容所まで60Kほど歩かせたが、これが後に「バターン死の行進」と言われるデマになった。日本兵は完全防備で一緒に歩いている。何が死の行進かと当時の日本兵士たちは呆れたという。

ダグラスの父親はアーサー・マッカーサーという。アーサーはスペインが300年間植民地にしていたフィリッピンを、フィリピン独立軍の手を借りて奪い取った。フィリッピン独立軍には独立を約束していたが、スペインと勝手に交渉して金で買取り、その後フィリピンに圧政を敷いて、反抗するフィリピン人を殺しまくった。

フィリピンにいたアメリカ軍を指揮していた将軍たちは、アメリカ本土で先住民を絶滅に追い込んだ連中だったのである。アーサーは少なくとも20万人のフィリピン人を虐殺したと言われている。アメリカ人にとってフィリピン人は黄色いサルでしかなかったのだ。

日本軍はフィリピンと同時に、支那からはタイ国を通過し、別働隊はマレー半島に上陸した。半島突端のシンガポールを攻略するのが目的だった。タイ国には交戦の意思はないと交渉した上で通過させてもらった。イギリス軍はタイ国を侵略して陣地を作っていたが日本軍に簡単に突破されている。

イギリスの東南アジア植民地統治の要だったシンガポールはイギリス東洋艦隊の基地でもあった。イギリスは日本軍の進撃を予想して、旗艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスをシンガポール港に送り込んでいた。プリンス・オブ・ウェールズは当時不沈艦と言われた最新鋭の巨大戦艦だった。

日本軍の半島上陸を知ってイギリス東洋艦隊は出撃したが、日本軍の戦闘機の襲撃を受けた。当時高速で航行する戦艦を戦闘機で爆撃することは不可能と言われていたため、イギリス軍はタカをくくっていたという。ところが日本軍は戦闘機からの魚雷攻撃と爆雷で旗艦と巡洋戦艦を見事撃沈してしまう。航行中の戦艦を航空機で撃沈した世界初の出来事であった。英国首相チャーチルは「まさか」と絶句したという。

イギリス東洋艦隊の壊滅で制海権と制空権は日本軍が制した。その後の日本軍は1,100kを走破するという強行軍で進撃した。難攻不落と言われていたシンガポール要塞の戦力は85,000、一方の日本軍は35,000だった。ところが倍以上の敵に日本軍はたった10日で勝利する。降伏したイギリス連合軍は8万人。マレー半島での戦闘で降伏したものを入れて13万人が捕虜となった。日本軍は雌雄が決した段階で敵に降伏を勧告するという武士道精神で接したため、大量の捕虜を抱えることになったのだ。虐殺などは日本軍の趣味ではないのだ。シンガポール攻略戦の敗戦で東南アジアのイギリスの権威は地に落ちた。

少数の日本軍が倍以上の敵に勝てたのは現地人の協力があったからでもある。数百年にもわたって白人種に虐げられてきたアジア人たちは、白人種を蹴散らす日本軍に全面的に協力した。後に日本軍がアメリカ軍に負けた後も、戻ってきた白人種に逆らって独立を果たしたのは、日本軍が現地人の独立を期して軍隊を擁立し、軍事訓練をしていたからなのである。

ちなみにシンガポール陥落後、白人種の手下となって現地人をこき使っていた華僑たちが、日本軍の支配を嫌ってゲリラ活動をしたため駆逐されている。その数は5、000人という。これはあくまで支那人の華僑たちなのだ。インドシナの人民ではない。しかし戦後シンガポールはその華僑たちが復活して独立し今に至っている。



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Posted 2015年9月23日 by takamasa in category "歴史探訪", "雑事雑談

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