9月 14 2015

日本は中国と戦って負けた?

太平洋戦争として戦後教えられた日本とアメリカ・イギリスの戦争は、今や中国との戦争と思われているらしい。なぜなら中国が対日本戦勝記念パレードをやったりするからだ。朝鮮も日本と戦争して勝ったそうだ。同じように戦勝を祝っているからである。自分の国の近代史を教えてもらっていない日本人はアメリカと戦争をしたことすら既に知らない。

歴史教育というものは教える者の考え一つで如何様にもなるものである。共産中国や朝鮮は日本と戦争をして勝ったと国民に教えている。日本の日教組も本当はそう教えたいに違いない。だからわざとアメリカやイギリスと戦争したという代わりに、日本は中国大陸でひどいことをしたと教えているのだ。なぜなら「どうしてアメリアやイギリスと戦争をしなければならなかったのか?」という子供の素朴な疑問に答えたくないからだ。または知らないから答えられないのだ。

世に言う太平洋戦争は、日本がアジア地域でアメリカ・イギリスと戦争をしたので、大東亜戦争というのが正式な名称だ。もちろん日本から見た戦争名である。アメリカはこれを太平洋戦争と言い換えて日本人に戦後教え込んだ。なぜか?日本がアジアからアメリカやイギリスを追い出した事実を隠したかったからだ。

日教組が教えるように日本が中国を侵略したのが戦争の原因なら、なぜ日本はアメリカと戦ったのか。なぜ真珠湾を攻撃したのか。何のために?当然の疑問だが、日教組はこれには答えられない。

そもそも戦争とは国と国、民族と民族の利害がぶつかった挙句、話し合いが決裂して起きるものだ。話し合いで済むなら戦争にはならない。日本とアメリカの中国における利害の衝突とはなんだったのか。

日本が中国を侵略したと日教組は教えるが、どこを侵略したかというと満州である。満州事変が侵略の始まりと教えるのがほとんどだろう。共産中国がそう主張するからだ。しかし満州は当時中国の領土ではない。万里の長城の外にあって、漢族は出入りを禁じられていた。日露戦争後日本とロシアで分けて支配していたのだ。これは正当な権利としてである。そもそも人もそんなにいなかった土地だ。南満州の鉄道経営権を日露戦争で勝ち取った日本は、鉄道に沿って満州の地に投資し、開拓して繁栄させていた。日露戦争後、アメリカが日本からの移民を禁止して本国から締め出したために、日本人の満州への移民が盛んになっていたのだ。そして日本は清帝国最後の皇帝溥儀の願い通り、満州帝国を建国していた。

アメリカがなぜそんな日本を敵とみなしたのか。その当時アメリカは中国にどんな利権を持っていたか。アメリカはフィリピンをスペインから奪って植民地にしていたが、日本に朝鮮をやる代わりにフィリッピンの領有を認めろと言ってきている。その他に中国に対してアメリカは大した利権など持ってはいなかった。日本と利害がぶつかったのはアメリカが満州を欲しがった野心からなのである。

それは日露戦争後の満州鉄道経営に、アメリカの鉄道王ハリマンが出資を申し込んだことに始まった。ハリマンには、アメリカ横断鉄道をシベリアにつなげて世界一周の鉄道網を作るという野望があったのである。武力による侵略を諦めたアメリカの野心であった。当然ハリマンはアメリカ政府の意向を代表していたのだ。時の日本側首相桂太郎や元勲井上薫は満州鉄道の全面経営には自信がなかったためにこの話を歓迎した。桂とハリマンは仮調印をしてこの話をまとめた。ところがアメリカのポーツマスで日露戦争の終戦会談を終えた外相小村寿太郎が帰国した途端、この話に猛反対したのだ。満州では数十万人もの日本兵の血が流された。そこへ外国勢力を招き入れるのは英霊に申し訳ないというのが反対理由だったという。これには桂も井上も異論を唱えられなかった。仮調印はハリマンが帰国前に破棄されてしまった。

ハリマンは帰国直後に通告を受けて激怒した。アメリカは満州を日本が独り占めする気だと勘ぐったのだ。日本人排斥運動が起きたのもその後のことなのである。ハリマンはアメリカ議会に日本の背任を訴えた。ハリマンの影響力は絶大であった。後に娘婿のストレイトを満州国領事として送り込んで満州鉄道の利権に食い込もうとしたが、ことごとく失敗してイライラは募っていたのだ。

このことを抜きには、日本とアメリカの戦争は説明がつかない。中国で日本が利益を上げていた時には、アメリカは中国では何の利権も持ってはいなかったのである。しかしアメリカは日本のすることにいちいち反発した。ヨーロッパ諸国に遅れをとった植民地主義国がアメリカだったのだ。人種差別主義国でもあるアメリカは、自分が持っていない中国での利権を有色人種の日本が我が物顔に謳歌していることに勝手に怒っていたのだ。だから禁輸政策などという経済制裁を加えてきた。特に石油の輸出を禁止する通告をしてきたので日本はこれを宣戦布告と受け取った。仕掛けたのはアメリカからだったのである。最後通牒と言われているアメリカ国防長官のハル・ノートには「シナ大陸から手を引け」とはっきり書かれている。

日本の一番の戦争目的は石油の確保とアジア共栄圏の確立だった。真珠湾攻撃は実は余計なことだったのだが、シンガポールこそ最も重要な攻略地点だった。そこには大英帝国の東洋艦隊がいたのだ。日本軍はフィリピンを攻略、マレー半島に上陸しシンガポールを攻略した。戦力は日本軍35000、大英帝国連合軍85000だった。当時シンガポールの要塞は難攻不落と言われていた。倍以上の戦力を相手に難攻不落の要塞を日本軍はたった10日で攻略してしまう。捕虜は80000人にもなった。

日本軍はマレー沖の海戦で大英帝国が誇る東洋艦隊の旗艦プリンス・オブ・ウェールズ(当時不沈艦と言われていた)と巡洋艦レパルスを、魚雷を積んだ戦闘機で撃沈するという離れ業をやってのけた。高速航行をする戦艦を戦闘機で爆撃することは不可能と思われていた時代だ。イギリスの首相チャーチルは震え上がったと回顧録に書いた。

シンガポールは大英帝国の東南アジア植民地政策の拠点であった。イギリスにとって最大の敗北を喫したシンガポール攻略で白人種の東南アジア支配は終焉したのだ。倍以上の戦力を粉砕した日本軍は強かったのは事実だが、現地人の協力が重要な戦力になったのである。白人種に虐げられていたアジア人たちは白人種を蹴散らす日本軍をこぞって支援したのだ。

東南アジアから、ロシアを皮切りに、イギリス、フランス、オランダ、オーストラリア各国を蹴散らした日本軍も、アメリカという新興大国の物量の前には次第に劣勢になっていった。ミッドウェイ海戦で致命的な敗北を喫した日本軍は海軍戦力を失い、本土爆撃を許すようになった。アメリカ軍は非戦闘員を空爆で皆殺しにする戦術で徐々に戦意を失わせる戦略をとった。最後には原爆実験を日本人に対して行う戦争犯罪までして、日本軍を追い詰めた。本土爆撃では、原爆被害を含めて80万人もの一般市民が殺された。日本軍は本土決戦を目論んだが、天皇の採決で敗北宣言をしたのだ。

シナ大陸に配備されていた日本軍は100万人も無傷でいたが、天皇の敗北宣言を聞いてほとんどが自ら武装解除した。そのため日本の敗戦が決まった後にシナ国境線を突破したソ連軍に60万人が捕虜にされた。シベリアに抑留された旧軍人たちは強制労働の末、6万人もの死者を出した。

ソ連は日本の敗戦後に千島列島を占拠し今に至っている。北海道に攻め込まなかったのはアメリカの原爆実験がモノを言っているのだ。そのため戦後の日本はドイツの二の舞は避けられたのである。

ところで中国や朝鮮はどこに出てくるのか。当時今の中国という国はなかった。共産中国は日本の敗戦後国民党政府軍をシナ大陸から追い出して建国した国だ。朝鮮は併合され日本と一緒にアメリカと戦っていたのだ。歴史上の事実はちゃんと知っておかなければ嘘つきに騙されるだけだ。



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Posted 2015年9月14日 by takamasa in category "歴史探訪", "雑事雑談

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