7月 16 2015

竹光では守れない

衆院平和安全法制特別委員会は昨日、安全保障関連法案の採決を行い、与党の賛成多数で可決した。一部の夕刊には、抗議の意味を込めて、「採決強行」の見出しが躍っていた。今日の朝刊にも、「戦争への道が開かれた」などと、読者の恐怖心をあおる記事が載っているだろう。
小欄は、法案可決を断固支持する。日本にとって、最大の軍事的脅威である中国に、鞘から刀を抜かせてはならない。つまり、抑止力を強化するためには、集団的自衛権の行使を可能にする法律が絶対に必要だからだ。
確かに国民の間で、法案への理解が進んでいるとはとてもいえない。安倍晋三首相も認めている。ただそれは、「徴兵制」や「憲法論」など、野党が意図的に論点を横道にそらせて、議論を紛糾させてきたからだ。
政府与党側も、中国を刺激するのを恐れて、脅威の実態を国民に伝えてこなかったきらいがある。中国が東シナ海の日中中間線付近で、軍事転用が可能なガス田の海洋プラットホームを拡大している事実も、なぜか伏せられてきた。
左寄りの人が多い、テレビのコメンテーターの発言や世論調査の結果から、改めて思い知る。憲法9条という名の竹光が日本を守ってきたと、本気で信じている人が、まだ相当数いるらしい。
「平成27年7月16日(木) 産経新聞・産経抄より」

他人事や目に見えない危機などは、無神経な者や愚か者にとっては意に介さないことなのだ。他国の軍事的脅威や国内の反日扇動などは知性がなくては感じることができない。情緒的な判断しかできない者にとっては国防などは考えることさえ危険なこととしか思えないのだろう。

そういう無神経な者も含めて、国防を担う者は守る覚悟で志願する。対米英戦争で亡くなった人々は日本が繁栄することを願って死んでいった。大半は志願兵だ。今の日本人はその人々のお陰で平和を享受している。原発に関しても同じだ。身の危険を顧みず原発を管理していた人々のお陰で、首都圏の人間は電化生活を享受していた。

目に見えない危機や危険に身を投じている人々のことを所詮他人事としてしか見ない輩も守られているのだ。守られていることを感じもせず考えもせず、反日活動をさも平和の使徒であるかのように思ってしまう無知さにあきれる。

その無知につけ込んで反日マスコミは今日も危険性だけを強調して報道するのだろう。共産中国の脅威に晒されている離島の人々は今回の法整備で少しは安心しているはずだ。離島の人々にとっては危機は目に見え他人事ではないからだ。