2月 28 2015

神道の信者

日本人は間違いなく神道の信者だ。

自分はそうではないという日本人も正月には初詣をするだろう。子供が生まれたらひと月後には宮参りに連れて行く。七五三も祝うに違いない。自分専用の茶碗と箸を持っている。決して専用のナイフとフォークは持っていない。願い事があれば神社に行って絵馬などに書いて奉納する。神社のお守りを一つくらい持っている。車に交通安全のお守りを付けている。鳥居が置いてある場所にはゴミを捨てないし、立ち小便はしない。これらのことをどれか、誰に強制されたわけでもなく行っているに違いない。

神道に経典はない。だが日本人は生まれながらに神道の教えを守っているのだ。その理由はそうしないと気持ちが悪いからだ。神社に行って願い事やお祝いをすれば気持ちが晴れ晴れとする。それが信心というものだ。

特に願い事があると絵馬に書いて奉納する日本人は多い。日下公人氏は各地の神社で絵馬を見て回って気が付いたことがあったそうだ。北海道では公務員になりたいという絵馬が多かったという。北海道には毎年1兆円もの公金が交付されているから公務員が優遇されているらしい。金沢では種々の願い事があったという。親の病気を治してとか、良縁を求めてとか、庶民の願い事がいろいろとあったという。東京では祖父母の介護に関する祈願が多かったという。地方の神社の絵馬には庶民の願いが詰まっている。日下氏は国の役人は地方の絵馬を見て回った方が予算編成には役に立つと言っている。

西洋追従の時代は既に終わっている。欧米には新たな提案など出来なくなっている。日本は声高にものを言わず次々に新たな模範を世界に示している。一神教徒の世界観は争いしか生まない。キリスト教国では山中教授が発見した万能細胞などはどう転んでも発想すら出来ない。生命は神の領域だからだ。全能性細胞を初期化するなど一神教徒から見れば悪魔の所業なのだ。しかし西洋も山中教授の功績を認めざるを得なかった。人類の進歩はこの先日本式神道の価値観からしか生まれないのだ。

神道の神髄は自然に感謝し命を愛でることだ。食事をする際に最初に「いただきます」終わったら「ごちそうさま」と言うのは日本人だけだ。神に感謝するのではない。動植物の命を「いただきます」と言うのだ。日本の神は自然の中に存在する。だから自然に感謝し、動植物の命に感謝するのだ。

西洋の価値観は自然概念を説き明かし、自然を征服することがその神髄だ。自然の創造主に感謝はしても、その創造物である動植物に感謝することはない。日本人の主食は米などの種子だ。動植物はおかずという添え物である。だから乱獲はしない。植樹も木々を倒した後にすぐに行う。割り箸は間伐した木々を再利用したものだ。魚類にも必ず供養塔を作って感謝し霊を慰める。もちろん動物に関しては供養を徹底している。

動植物の霊を供養するという考えは西洋にはない。動植物に霊があるとは思っていないからだ。だから人間も死ねばただの肉の塊くらいにしか思わない。アメリカ人は南洋諸島で日本軍と戦った際に、日本人の戦死者の頭蓋骨を戦利品として持ち帰った。こういうことは日本人には絶対に出来ない。日本人は人骨にさえ霊を感じるからだ。どっちが文明人かはっきりしている。

これからの人類は西洋の価値観では救われない。