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隣国の原発事故

原発反対論者に聞きたいことがある。韓国や支那大陸の原発には反対しているのか。デモや抗議はしているのか。大陸の原発が事故れば、死の灰は偏西風に乗って確実に日本に降り注ぐ。原発の管理がきちんとできているとは到底思えないが、韓国や共産中国の原発に反対集会を開いたという記事やニュースを見たことがないがやっていたら教えてほしい。

また、大陸の原発が無事なのか調査研究はしているのか。共産中国など万一事故を起こしても簡単に公表はしないだろう。韓国はしなくても知れるだろうが、とてもまともに管理できるとは思えない。原発反対論者は韓国や支那大陸にどのくらい原発があるのか知っているのか。

共産中国の原発はすでに30基が稼働している。計画は現在の1.5倍も増える。これらの原発が一旦事故を起こせば、死の灰は日本に降り注ぐのは間違いない。黄砂は毎日のように日本に降り注いでいる。放射能一杯の死の灰が日本中を覆いつくす日が来るかもしれない。

偏西風は近年蛇行して南に下がっているから、日本中どこにいても逃げられないだろう。そうなれば日本から逃げ出すしかないが、どこへ行くというのだろうか。今のうちに反対運動をしておいた方がいいと思うのだが、やったことがあるのだろうかといつも思っている。

私は原発は克服するしかないと思う派だ。石油はアメリカに止められて戦争をするしかなかった経験から、頼るわけにはいかないと思う。そうなれば石油を持たないわが国は、原子力を唯一と言っていいくらい使いこなさなければまたぞろ戦争をすることになるかもしれないのだ。大陸の原発が万一事故れば、日本は我が事として駆けつけて制御する必要がある。そうしなければ日本がひどい目に合うからだ。だからこそ原子力を研究して何としてでも制御できるようにならなければ駄目だろうと思っている。原発反対論者は韓国や支那大陸の原発に無関心で良いのか考えたことがあるのだろうか。日本の原子力技術が廃れてしまえば、それこそ日本の破滅を招くことになると思うがどうか。それとも日本以外の原発は事故を起こさないと思っているのか。

韓国もすでに24基が稼働中だ。日本海側に多いので事故ればたいへんなことになる。管理がずさんな韓国のことだから重大事故が起きても不思議ではない。そのときは日本が最も被害をこうむることになるに違いない。原発反対論者には韓国の原発にも反対運動をしてほしいものだ。余計なことだといわれてもくじけないで頑張ってほしいと思うがどうだろうか。小泉さんの意見も聞いてみたい。日本だけ脱原発をしても無駄ではないのか。

心の目

同じ物を見ても正反対の感慨を持つことがある。その理由は心根にある。どういう気持ちでいるかで物の見方が違ってくるのだ。

吉田照美という同年代のフリーアナウンサーがいる。この男、安倍総理を怪獣に例えた油絵を描いて公開し、賛否両論。安倍総理が戦争をしたがっていると大衆に思わせたいようだ。生まれは同年で、同じ物を見てきたはずなのに私とは正反対の思いを持っている人物である。しかし安倍総理は国民が選んだ総理大臣だと言うことを忘れているのだろうか。それとも自分は選んでいないから認めないという非民主主義者なのか。

同じ物を見たり聞いたりしていて、なぜ正反対の感慨を持つのかというと、そもそも心根が違うからだ。日本国憲法の前文を読んで「素晴らしい」と思う者と「情けない」と思う者とに分かれる原因は基本的な心情が違うからである。

「素晴らしい」派は、戦争をしないなんて素晴らしいと思うのだろう。戦争はこっちから仕掛けなければ起きないと思っているのに違いない。単なる誤解だが、戦争はしないにこしたことはないのでそうなれば素晴らしいことだ。しかし憲法に書いたところでそうなるとは限らない。魔法使いの呪文のようなものだ。つまり迷信である。純情なのだろうが少し間抜けだ。

「情けない」派は、諸外国に頼って戦争をせずに生きていきます、二度と逆らいませんと言っているようで「情けない」と思うのだ。アメリカ占領軍にそう書かされたからだ。敗戦国には反対などできなかった。仕方なく従ってきたがもう限界だと思っている。

同じ物を見てこうも違う感慨を持つのは、底辺に流れている心根が違うからである。「素晴らしい」派は、単に戦争が嫌なだけだろう。戦争をしないで済むなら何でも良いと思っている。日本が戦争を仕掛けて負けたので、これからは仕掛けなければ戦争は起きないと思っているのかもしれない。しかし「情けない」派は、戦争がやむを得ないこともあると知っている。戦争が嫌だからと言って黙って殺されるのはごめんだと思っているのだ。

吉田某は、黙って殺される派なのだろう。本当は自分だけは殺されないと思っているはずだが、結局戦わずに相手の言うことを聞くつもりなのだ。尤も、話し合いで解決すると本気で思っているのかもしれない。一般的にはそういう考えを脳天気という。

私は吉田某と同じ年齢だが、戦わずに殺されるのは端からごめんである。戦争はこっちが望まなくても始まることだってある。支那事変が正にそれだ。国民党軍の中にいた共産党員が発砲して日本との事変は始まっている。何度も停戦したが国民党軍は再三停戦を破棄した。歴史に学ぶにはそういう事実をしっかりと知ることが先に必要だ。吉田某はあえてそういう作業を怠っているのだろうと思う。

同年代に早稲田にいたのだから共産主義に染まっていてもおかしくはない。マルクスの「共産党宣言」を読んで涙を流す者と怒り出す者とがいる。「涙派」は、貧富の差がない真に平等な社会の誕生を示していることに感動する。「怒る」派は、新興宗教の教祖のような戯言だと思ってばかばかしいと思う。涙派は純情だが、少しものを知らない。マルクスが、聖書の「神による1000年王国」を模して平等社会を描いたことを知らないのだ。怒る派は少しはものを知っていて、しかも人間が真に平等になれるとは思っていないのだ。

平等という概念は「神の下で」という条件付きだと言うことを知らなければなるまい。自然界の動物は、人間を含めて結果平等などあり得ない。生まれ、遺伝、家庭、個性、才能、器量、体力、知能どれをとっても同じなどあり得ないことだろう。自由と平等という概念は並び立たない。自由であれば必ず不平等になり、平等になれば制限がいろいろあって不自由になる。平等社会とは本来皆が同じということではない。単に理由なく機会が妨げられることのない社会というだけのことだ。

ユダヤ民族は中世ヨーロッパでユダヤというだけで国に住む自由も、土地を持つ自由も、教育を受ける自由も与えられなかった。権利を認めてもらえなかったのだ。そこで新たな価値観を考え出した。自由と平等という矛盾をはらんだ概念が並び立つかのように宣伝することにしたのだ。その概念は革命思想ともなりユダヤ人以外の貧民層を動かした。貧民層には平等感も完全な自由などもなかったからだ。

その思想の集大成が共産主義だが、自由と平等が並び立つと思い込んでいるうちは抜け出せない迷路なのだ。さしずめ吉田某はその迷路に深入りしているようである。それと自分を社会の外に置いて高みの見物をしている風である。大新聞社が落ちいっている「大衆を導く使命を担っている」とでも思い込んでいるのかもしれない。何を偉そうに、と思う。

知識人の認識

古田博司・筑波大学大学院教授の記事が今日(1月19日)の産経新聞に載っているが、朝鮮半島国家や支那大陸国家は近代化し損なった、もしくは近代化の意思がなかったと分析している。彼らには中世がなかったために何かあると古代に回帰すると。イスラム圏の国々も中世を経験していないために今は古代回帰している。

古代には奴隷が存在していた。階級で決めていた国もあれば他民族を征服して奴隷にしていた国もある。アメリカも中世を経験していない国家で、他民族を奴隷にしたことはごく最近までの事実である。唯一近代国家で古代・中世を経験し近代化に成功した国が日本である。しかも、中世に奴隷制などは存在しなかった。誰もが働く民族だったからである。

奴隷が存在するには、階級として働かない者がいるということだ。それが貴族だ。イギリス貴族は働かない身分の証に手袋をしていた。李氏朝鮮には両班という貴族階級が存在し、働かないことを誇りとしていた。「持たせ食い」「持たせ吸い」が日常で、食器を手に持つことすら下品としていた。今の朝鮮人が食器を手に持たず口を近づける食べ方をするのがその名残だ。

「聖書」には奴隷についての細かな規定がたくさん書いてある。奴隷はあって当然の世界観が聖書の世界だ。日本のように古代はともかく中世に奴隷が存在しなかった国のことなど、聖書の価値観を持つ者には理解できないことだ。日本にキリスト教が定着しなかった理由の一つがキリスト教徒は奴隷を使っていたからである。秀吉もオランダ人宣教師が奴隷を売り買いするを嫌ってキリスト教の布教を禁じた。

日本軍が戦地で強姦をしないために慰安婦を使っていたことは事実だが、奴隷を使った経験のない我が民族は慰安婦を性の奴隷だと思ったことなどない。アフリカ人を奴隷として売り買いしたヨーロッパ人やアメリカ人、古代人である朝鮮人や支那人たちは普通に慰安婦を奴隷だと思う。本当は慰安婦などは売春婦として軽蔑している。日本軍は慰安婦を、戦場で戦士を慰める女性として扱った。決して虐待などしていない。する理由がないのだ。蔑んでもいないし奴隷などと思ったことなどないからである。

アメリカは中世を経験せずに古代から一気に近代化した国家だ。だから本質は古代人である。経済や政治に行き詰った近年、アメリカは古代に回帰している。その表れがトランプ次期大統領だ。建前で正義を唱えてもあまり効果がなく、いつの間にか悪者にされていたことに気づいて古代回帰するようになった結果、本音でものを言い、自己中心主義に立ち返ったアメリカ人たちが担ぎ上げた権力者がトランプなのである。

日本は世界中が古代回帰していることに気づかなければなるまい。隣国は昔からずっと古代の野蛮人だ。

韓国は未開の国

いつものことだから別に驚かないが、相変わらず韓国は身勝手なことをしたり言ったりしている。日韓合意に反して慰安婦像を撤去しないし、「蒸し返さない」と約束しても守らない。金だけは受け取って知らんぷりをしている。そもそもこういう国を信用するのが間違っているのだが、外交上何もしない訳にはいかない。歴史的にずっとそうだが、朝鮮が法治国家だったことなど一度もないのだ。支那大陸国家も同様だが、全ては人が決める人治国家なのである。だから賄賂が横行し、裁判も人心を優先し、政治は大衆迎合に走るのだ。

韓国の大統領は辞めると必ず一族郎党汚職で逮捕される。人治国家では当然の結果だ。法律よりも人心が優先なので、権力者には賄賂が集中する。公務員も賄賂なしでは動かない。警察ですら賄賂がなければまともな捜査もしない。警官が賄賂で罪を見逃すのは日常茶飯のことだ。そういう国のことを人治国家という。

朝鮮半島や支那大陸にある国家は、近代化が遅れ未開の時代が長く続いた結果、ついに法治国家とはなり得なかった。政府が法律を守らないのだから、当然に国民は法律を守ることがない。現在の韓国や共産中国では国民が交通法規を守らないために、交通事故の死亡者は膨大なものだ。日本に観光で来る彼らがルールを守らないのは至極当然のことなのである。

なぜ支那大陸や朝鮮半島の国民が法律を守らないかというと、為政者が私利私欲で支配をしてきた歴史しかなかったからである。全てを時の支配者が自分の都合で法律を決め、勝手に変更するので、国民が律儀に守っていても意味がなかったからである。こういう歴史しかない国の国民は損得勘定でしか動かなくなる。どっちが得かで判断するから、契約をしても損になると思えば勝手に破る、得なうちは守るというやり方だ。アメリカの朝鮮人移民たちが信用されない一番の理由が契約を守らないからだ。

日本は早くから自主独立を果たし、支配者である朝廷貴族は法の整備を進めてきた。聖徳太子の律令制定や17条の憲法などは6世紀の話である。天皇は国民を虐げることなく恨まれなかったので、2000年以上一度もその地位を奪われることがなかった。支配者が法律をよく守ったからである。朝鮮半島や支那大陸国家とそこが一番違うところだ。

為政者が法律を守れば、国民も守るようになる。拾った金銭を官憲に届け出てそのまま持ち主に戻されることが、日本以外では奇跡と言われる。日本では当たり前のことだが、何が外国と違うかというと、官憲が拾得物を着服しないという点が奇跡なのだ。朝鮮人も中国人も、拾ったものを届けることはそれほど抵抗はないらしい。しかし朝鮮や中国の役人に届けても彼らが着服してしまうので届ける意味がないのだ。それはアメリカも実は同じなのだ。警察官や軍人が悪さをしないのは日本くらいのものなのである。

朝鮮半島の国にどうすれば約束を守らせることができるか。簡単である。軍事力を背景に「約束を守らなければ懲らしめるぞ」と脅せば良いのだ。朝鮮人は強い者の言うことしか聞かない。支那大陸の国家も同様である。彼らには力による秩序しか守る気がない。近代化されていない未開の国を相手にしていると考えなければならないのだ。

そのために日本は軍事力を行使できるようにしなければならない。別に本当に行使する必要はない。いつでも行使できるようにしておいて「言うことを聞かなければ行使するぞ」と脅すことが必要なのだ。朝鮮半島や支那大陸の国との外交は軍事力を背景にしなければ全く意味がないと知らなければならない。

最近想うこと

最近とみに、本当に文明は進化しているのだろうかと想うことが多くなった。確かに文明の利器が増えて生活は便利になっている。しかし人類は進化しているとは思えないのだ。不便さが努力の源なのではないかと思う。人間が努力しなくても済むように文明の利器は生まれているように思う。それは進化とは言えないのではないか。

早い話が、歩いたり走ったりするより便利なのが車だ。車に頼ると足腰が衰える。だからわざわざ健康のために歩いたり走ったりしなくてはならない。ワープロで文章を打ち込むのが便利だからと頼ると漢字が書けなくなる。スマホで検索すると便利だからと自分で文献を調べることをしなくなって、電池切れで途方に暮れるなど、など、人間自体は退化しているとしか思えないではないか。

自分で考えなくなって、人の意見やマスコミの意見に左右され、付和雷同する。現在の日本人は大半が退化しているとしか思えないがどうか。自分で考えない輩は流行に左右され、週刊誌的ゴシップを信じ、マスコミに恐怖心を煽られては原発に反対したり、防衛強化が戦争に直結すると思い込む。ちゃんと考えれば原発は日本にとって必要不可欠のエネルギー源だし、防衛強化は共産中国のような野蛮な国がある限り必要であることは自明だ。

昔、評論家の大宅壮一は、テレビに夢中になる日本人を見て「一億総白痴化現象」と言った。最近、作家の佐藤愛子は「一億総アホの時代」と言っている。二人が言うのは、自分で考えない現象が甚だしいことを指しているのだ。

自分で考えるためには知識をじっくりと身につけなければならない。テレビや新聞などで見聞きすることは断片でしかないと知ることだ。書物も偏っては正しい知識にはならない。人がまとめた物はその人の意見でしかないと知らなければならない。明治の偉人たちを生み出した教育者吉田松陰は、書物を読むときは著作者の人となりや経歴を知ることが重要なことだと塾生たちに言い聞かせている。共産主義者が書いた「世界平和論」は、戦争で自由主義者が死に絶えた後のことを書いていると知らなければならないし、宗教家が書いた「平和論」は異教徒には何の利益もないのだ。

自分で考えるには努力が必要である。知識も経験も自分から得ようとしなければならない。与えられているうちは自分で考えたことにはならない。面倒くさいと思ったその日から退化は始まる。

トランプのアメリカ

どうなるかわからなかったアメリカ大統領選がトランプに決まった。政治家経験のない大統領の誕生だが、不動産業のように国政が操れるかどうか。

それにしても貧乏な白人たちが多い田舎のアメリカ人たちが選んだのが、不動産王の億万長者であるトランプとは皮肉な話である。富裕層を代表するヒラリーはいかにも人気がなかった。野心をむき出しする女は嫌われるという典型的な例のようだ。

トランプは言いたい放題の選挙戦を戦ったが、どこまで本気なのか全くわからない。不動産会社のワンマン経営者らしいが、部下を取っ替え引っ替え首にしても国政がうまくいくとは限らない。所詮国内に閉じこもって内向きのことしかできないのかもしれないが、アメリカともあろう大国が外交を蔑ろにするわけにも行くまい。TPPは仕掛けておいて参加しないアメリカ得意の歴史をなぞるようなことになりそうだ。

安全保証問題はいよいよ核の傘を貸さない話が持ち上がるかもしれないから、日本にとっては脳天気な話ができなくなる。それだけは良いことだと思う。早く憲法を改正して自国自主防衛を可能にしないと丸裸にされるかもしれない。こういう外圧しか脳天気な日本人を目覚めさせる方法はない。そういう意味では面白い時代になってきた。

憲法改正議論

「押し付けだろうが何だろうが良いものは良いのだから守るべきだ」という馬鹿な議論が行われているという。護憲派と呼ばれる無知蒙昧な人々の主張らしい。考えても見よ。現憲法は日本が米軍の占領中に改正されたものだ。我が国には主権がなかった時のものである。つまり自分たちで作ったものではない。だから自分たちで作り直す必要があるのではないか。

また、米国の都合で独立を許された我が国だが、その後現憲法を追認したではないかという論がある。この論が無知蒙昧、不学愚暗だというのだ。現憲法はGHQの巧みな策謀で簡単に改正できない仕組みになっているから追認する他なかったのである。改正の機運が出るまでに70年もかかった理由でもある。GHQは我が民族を根底から滅ぼそうと画策してきたのだ。

自分たちで考えて戦争放棄をするならそれでもよかろう。護憲派が守りたいのはそれだけなのだろうから、議論して多数が戦争放棄を謳いたいならそうすれば良い。少なくとも自分たちで考えて作り直さなければ憲法は生きたものにはならない。前文も日本語になっていない憲法など恥ずかしい限りだ。本来なら改正ではなく破棄すれば良いと思う。なぜなら現憲法は大日本帝国憲法の改訂版でしかないからだ。大日本帝国憲法の不備を改正して初めて我が国の憲法は正しいものとなるはずなのである。それが正しい系統であり道筋である。

戦争に負けて突然妙な憲法を持たされた。日本は未だに米国軍に占領されたままなのだ。日本にある米国軍基地がどのくらいあるか知っているか。なんと130ヶ所なのである。そのうち米軍専用基地が81ヶ所もあるのだ。とても独立しているとは言い難い状態なのである。世界中で日本ほど外国軍の基地がある国はないのである。

国家の独立は自前の軍隊を持たなくては維持できない。理屈ではない。現実である。何故か。軍隊がなければ他国の不法を阻止できないからである。北朝鮮による拉致被害が典型的な例だ。これがアメリカなら即刻軍隊が奪還していたに違いない。つまり今の日本は真の独立国家ではないのだ。

護憲派と呼ばれる人々は矛盾だらけのことを平気で口にする。物事をまともに考えていないからだろう。憲法を擁護しながらアメリカ軍基地に反対するのがその良い例だ。現在の平和はアメリカ軍基地があるから保たれている。もしアメリカ軍基地がなければ、とっくに沖縄は中国領土になっている。こういうことが解らないのが護憲派の愚昧なところなのである。

フィリピンが南沙諸島を中国に取られたのはアメリカ軍が撤退した直後のことである。1991年アメリカ・クリントン政権は、フィリピンが安全保障条約を延期しないことにしたのを機に、軍縮と火山被害もあってフィリッピンから撤退することにした。1994年共産中国が南沙諸島に滑走路を建設していることをフィリピンが世界発信し、共産中国の侵略が明らかとなった。1999年アメリカとフィリピンは相互防衛協定を結び直した。

こういう事実を日本の左翼マスコミは報道しない。朝日新聞しか読まない護憲派は知らないことだ。

現実世界は寝言を言っているバカには想像もできないくらい勝手な行為がまかり通っている。アメリカ軍基地があるから共産中国も簡単には沖縄に手出ししないだけだ。アメリ軍さえいなければあっという間に沖縄は占領されてしまう。その時自衛隊員は現憲法のままでは皆殺しにされる。

トランプ氏がアメリカ大統領にでもなればアメリカ軍基地撤退は現実のものになるかもしれない。アメリカはもう日本を守ってくれないかもしれないのだ。共産党や社会主義者にとっては歓迎すべきことかもしれないが、自由主義者にとっては共産中国がやってくるのはご免である。代議士はもっと真面目に議論しろと言いたい。

マスコミが言論の自由を妨害!

民進党の野田幹事長が国会質問で自民党の憲法改正案を撤回しろと言ったそうだ。朝日新聞や毎日新聞などのマスコミが社説で自民党案の撤回を主張したかららしい。さすがに左傾化したマスコミらしく各新聞社は自民党の案が気に入らないらしい。日本のマスコミは言論の自由や報道の公正性などには興味がないようだ。草案を引っこめろなどと平気で言うとは相当焼きが回っているらしい。

安倍首相の言うように各党が独自の改正案を出して討論すべきで、他の党の草案が気に入らないから撤回しなければ話し合いには応じないなどとは、議論すらする気がないと言っているのと同じである。実は民進党は議論をする気が無いのだ。なぜなら改正案が出せないからである。民進党は烏合の衆の寄せ集まりで党内の意見などまとめようが無いのだ。しかも無政府主義者もいれば保守主義者もいるという、まさに野合なのである。こんな政党にはまともな議論はできないだろう。

日本の新聞社は憲法改正には反対の立場を取るものが多い。文化人や芸能人にも護憲派は多く存在する。事実を見ずに幻想を抱いている輩が多いからだ。未だに憲法9条が平和を守ってくれたと盲信している。日本の憲法に何が書いてあろうと他国には関係がない。支那人や朝鮮人は日本が戦争を放棄しているなどとは知るまい。何をされても黙っている腰抜けだと思っているだけだ。日本にアメリカ軍の基地があるから攻めてこないだけである。

昨今少しは知られるようになった南沙諸島への共産中国の侵略も、フィリピンのアメリカ軍が引き上げた直後の出来事なのだ。フィリピンは憲法改正で外国軍の駐留を認めないと決めたためにアメリカ軍との安全保障条約を更新しなかった。クリントン政権時代ことだが、軍縮をしていたアメリカは経費節減の機会とばかりに引き上げることにした。ソ連の崩壊で東西冷戦も終わったと誤解したせいでもある。アメリカは共産中国を忘れていた。そこに共産中国はつけ込んだのだ。

こう言う事実を日本のマスコミは一切報道しなかった。北朝鮮の日本人拉致事件も産経新聞以外のマスコミは一切報道しなかった。そしてデマとでっち上げで旧日本軍を貶める記事を書いた。そのマスコミが与党の憲法改正草案を撤回しろと喚いているのだ。

すでに日本のマスコミは国民の信用を失っているが、未だに思考停止に陥っている者も多く存在する。日本の新聞やテレビなどのマスコミは害毒を垂れ流す諸悪の根源だ。思考停止の輩は少しは事実を知るがいい。

テレビ不要論

テレビ番組を見なくなって久しいが、既に不要ではないかとさえ思う。不要というより昨今の日本のテレビ番組は害毒にさえ思える。

24時間チャリティーなどと銘打って芸能人が大挙して出演する番組が、視聴者にはチャリティーを要求しながら多額なギャラを出演者はもらうという詐欺のような番組だったり、偏向した思想でデマを垂れ流すプロパガンダ番組が横行していたり、国民の知る権利を代弁しているようなことを言いながら共産中国の侵略行為は報道しないニュース番組など、まるでどこか外国の番組でも流しているようなものばかりだ。

バラエティー番組は障害者をからかうような差別番組だったり、やらせばかりの番組だったり、知性を感じない馬鹿丸出しの番組が多く、視聴者をバカにしているようなものばかりである。ドラマも目新しいテーマもなく、昔見たことがあるようなものばかりである。何しろどのチャンネルを見ても同じようなお笑いタレントが司会をして、ニュース番組でさえお笑いタレントが偉そうな意見を言ったりする。

そうかと思うとバラエティーでなければどこも飽食番組ばかりである。日本にはお笑いと食い物しかないのかと思えるほどだ。教養のかけらも感じない。既にテレビは不要であろう。

最近はケーブルテレビで海外のドラマを見ている。中にはアメリカ人の野蛮さばかりが目立つ殺戮だらけの番組もあるが、知的好奇心をくすぐる番組が面白い。特に犯罪捜査を描いたドラマが多くあり、個性的な主人公たちが生き生きと活躍するのを見ていると、なぜ日本ではこういうドラマができないのかと情けなくもなる。

日本のテレビドラマは心理描写を誤解しているとしか思えない。映像で描くべきところを陳腐な台詞でお茶を濁すなど愚の骨頂である。日本映画が世界的になれない理由だろう。海外のテレビドラマは映画よりも濃密に人間を描く。数々のシリーズがそれぞれ10年も続いているものが多く存在する。それでいて一話完結だ。シナリオを練りに練っている証拠だ。

いつになったら日本のテレビ番組のクオリティーが高くなるのか、このままでは全く不要である。

ついでに言っておく。日本の映画が世界的になるには台詞がなくても見ているものが解るような映画を作ることだ。映画は映像芸術である。舞台劇ではないのだ。台詞など最小限度で良い。映像で描かなくて何が映画だと思う。日本には黒澤明という名監督がいた。黒沢が作った映画がハリウッドの映画監督を育てた。なぜ同じ日本人が黒沢を見習わないのか。映画には説教くさいセリフは不要だ。主人公が悲しむ場面で「悲しい」と台詞を言わせて何が伝わる。主人公が悲しむ場面で役者に笑顔を作らせて悲しみを描いてこそ映画であろう。笑顔で悲しみを表現してこそ役者と言える。泣いて悲しみを表現するのは大根役者だ。それでよしとする監督など無能としか思えない。怒りの描き方もしかりだ。怒っている役者に「怒ったぞ」と言わせたらお笑いにしかなるまい。

黒沢映画の「天国と地獄」のような、画面からビシビシと伝わってくる緊張感をその後の日本映画では見たことがない。黙って背中を見せている三船敏郎が演じる主人公の怒りや悲しみがひしひしと伝わる映画をその後見たことがない。舞台劇をやっている監督には映画は創れまい。日本の映画が復活する日を待ち望んでいる。

歴史戦という戦争

日本人は対米英戦争(日本では大東亜戦争、アメリカの言う太平洋戦争)敗戦後、戦争といえば武器をとって戦うことだけと思っているが、戦争には情報戦、宣伝戦、経済戦など様々な形態がある。目的は相手国を貶め外交や貿易を有利に進めることだ。

20世紀初頭、日露戦争に勝って南満州を手に入れた日本に対して、支那市場を狙っていたアメリカはことごとく邪魔をするようになった。辛亥革命で戦乱となった支那では国民党軍を率いる蒋介石がアメリカの支援を受け、毛沢東率いる共産党軍がソ連の支援を受けて日本の居留民を襲う排日戦を仕掛けてきた。この時に蒋介石は自分たちが行った非道を日本軍のせいにする宣伝戦を仕掛けた。未だにそれを信じている日本人は多い。

情報戦や宣伝戦は言った者勝ちのようなところがある。デマや嘘は最初に言った方が有利なのだ。日本は正々堂々と戦うことは得意だが、デマや嘘は卑怯だと思っている。支那人は全く逆で、デマや嘘を得意としている。戦い方も真逆で、大挙して襲ってはすぐ逃げる戦法を取る。停戦してもすぐに破る。大陸での日本軍は数十倍もの支那軍を相手に負けたことはないが、相手が多すぎて埒があかなかった。

よくアメリカ軍の東京大空襲は日本軍の重慶空爆と同じで、非難する資格は日本にはないという宣伝がある。朝日新聞などの反日勢力の宣伝だが、これも信じている日本人は多い。実態を知らないからだ。

アメリカ軍の空襲は日本全国200都市に及んでいる。しかも殺害されたのはほとんど女子供、老人などの非戦闘員だ。その数は50万人にも及ぶ。東京大空襲では10万人が殺された。その期間3ヶ月のことだ。一方日本の重慶空爆は5年間にわたって行われ、被害者は中国側の調査で2万人ほどである。一般市民が巻き込まれたのは蒋介石が市街地に高射砲などを設置したせいである。日本の空爆は高射砲などの軍事施設を正確に狙ったが、支那軍は市街地のど真ん中に高射砲を設置するという卑怯なことをしたために市民も巻き込まれたのだ。戦時中は新聞が「絨毯爆撃」などと戦意高揚を煽ったせいで無差別爆撃と言われたのである。本当に無差別爆撃をしたなら2万人程度の被害で済むはずがない。

事実は比較にもならないことだが、戦後アメリカと中国は日本軍を貶めるための宣伝をせっせと行い、朝日新聞などがそのデマを広めたのだ。戦争は武器をとってのことだけではないのだ。日本はアメリカと中国の情報戦や宣伝線にも負け続けてきた。朝日新聞や岩波書店、共産党員などのように裏切り者も多かったからである。

南京大虐殺や731部隊の細菌兵器開発などのデマも宣伝戦の一つだ。南京攻略時には日本から朝日新聞や毎日新聞などの特派員たちが多数立ち会っている。攻略直後の写真も多数残されている。それらを見れば虐殺がなかったことは明々白々だ。国民党軍が逃げた後は治安が戻り南京の人口は20万人から25万人に増えているのだ。

南京大虐殺の話は国民党の情報機関がでっち上げ、中国共産党が増幅させたデマを朝日新聞の記者だった本多勝一が記事にして広めた。また731部隊は支那大陸で蔓延していた伝染病などの検疫を任務としていた部隊だ。人体実験をしたという証拠写真などはペストで亡くなった人々を検視したり埋葬している写真だったり、支那人に殺された日本人を検視している写真だったことも分かっている。共産党員だった下里正樹がでっち上げ、森村誠一が「悪魔の飽食」という書にして広めたものだ。元731部隊の兵隊だったという証言者がいるが、ソ連に抑留されて洗脳された者たちばかりなのだ。支那大陸で捕虜となった者たちの中にも洗脳されて嘘の証言をしている者たちがいる。洗脳を拒否した者は酷い殺され方をした。共産党に捕虜にされ無事に帰国した者たちは皆洗脳されていると思って間違いない。戦後はそれらの洗脳された者たちが反日の宣伝に加担している。

日本にとって戦後とはこれらの裏切り者が全て死に絶えた時に終わると言えるのだ。その間日本は歴史戦を強いられ、負け続けているのである。今でも中国共産党や南北朝鮮が日本を貶める情報戦を仕掛けている。これらを裏切り者が日夜広めているのが実情だ。日本の最大の敵は日本国内の裏切り者たちだ。自分の親や祖父母を裏切り、先祖を貶める裏切り者を忘れてはならない。本多勝一下里正樹森村誠一植松隆吉田清次などの裏切り者を決して許してはならない。