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劣化に突き進む情けなさ

座間市で発覚した9人もの人を殺害した犯人の心情や動機は、不可思議と云われて犯罪学や犯罪心理学の学者を悩ましているという。そもそも推理小説などと違って現実の事件は短絡的な動機や感情的な暴走で起きることが多く、謎でも何でもない。しかし自己破滅的な犯罪は従来の人間心理学では説明できないものになってきている。

人間性や民族の劣化というのがこうした不可解犯罪の答えだ。人間も知性や理性が無くなれば野獣と同じ本能的な行動を取るようになる。しかも人間の本能は動物よりも始末が悪い。食うためではなく生き物を殺してみたくなったり、苦痛を与えて喜んだりするのが知性や理性が欠如した人間のすることなのだ。歴史的に支那人はそうした傾向がある。文化大革命で毛沢東に殺されたため、共産中国の一般市民には知識階級がいなくなった。市民の中には交通信号を守らず赤信号で道路を渡り車にひかれて死ぬものが多くいる。ほとんど知性を感じない姿だ。道端に人が倒れていても誰も声すらかけない。うっかり声をかけようものなら突然倒れていた者が襲ってきたり、仲間が寄ってきて身ぐるみ剥がされたりするからだ。支那人は昔から親戚や隣人を信じない。精々家族を信じる程度だ。なぜならそれだけ過酷な環境で生きながらえてきたからである。共産中国になってその過酷さは加速した。家族も密告することを強要された結果だ。文化大革命では子供が親を反動的人物として殴り殺した。そうした子供が今共産中国の中心的存在となっている。

日本人も日本的な礼節や知性、感性を失えば野獣にも劣る生き物になってしまう。その原因が戦後の日本人弱体化政策にあるのだ。しかも徐々に劣化するように巧妙に仕組まれている。その一つが祝祭日の改変だ。アメリカ占領軍は国民の祝日の意味を失わせるために従来の祝祭日を改変してきた。今日は「文化の日」だ。何を記念する日なのか訳がわからない。この日は戦前は誰もが知っていた「明治天皇生誕記念日」だ。だから国民の休日なのである。こうしたことが徐々にわからなくなっている日本人は確実に劣化しているのだ。

歴史に学ぶためにはまず自らの正しい歴史を知らねばならない。民度の劣化を防ぐためには歴史を正確に知ることから始めなければなならない。戦後の歴史教育は嘘だらけなのである。少しでも共産主義的傾向のある人間が記録している歴史は信用できるものではない。書物も選ばなければ正しい知識は得られないと知るべきだ。

日本人の劣化2

路上に無人の自動販売機が常にある光景は日本だけだと云う。他国では例外なく壊されるか盗まれるので置くことができない。日本人の民度の高さを象徴する話だが、もっと凄いのが田舎にある無人の野菜販売所だ。

日本では農家の道路側出入り口や畑の道路上に無人で野菜を売っていることがある。欲しい人は野菜の代金を置いてある代金箱に入れていくのが決まりだ。大抵100円均一である。これなどは外国人が見たら奇跡だと思うに違いない。日本が神の国と言われる所以である。

日本人のこうした善行は江戸時代に培われた。言行不一致が世界では常識ともなっているが、江戸時代の武士道は言行一致を旨とした。その文化は武士だけでなく庶民にも広く浸透して、商人なども正札と称する適正価格で売ることを常としていた。日本で値札を値切って買わないのは戦前までは常識だったのだ。だから安売りは半端物や不揃い品、中古品などに限られていた。

戦後は日本人の劣化が始まった。GHQの策謀が根底にあったことは事実だが、日本人自らが自分たち自身を貶めてきたのだ。主犯は日本人の共産主義者である。教師やマスコミ、役人に入り込んだ共産主義者が日本を共和制にするために、戦前の日本を暗黒時代だったかのように貶め、現行体制を批判して日本という国を共産主義国に売る働きをしたのだ。その状況を易々と受け入れてきた愚かな日本人も多く存在する。特に団塊の世代は罪が重い。

昨今のニュースで日本人の劣化が散見されるようになって久しい。子供を虐待して殺してしまう母親や継父などはその典型だ。戦後教育で個人の権利を主張することだけを教えられ、義務を忘れて個人の欲望に走る日本人の劣化した姿である。戦後はアメリカに倣って、自己主張をすることが善とされ、他のために自己を犠牲するなど愚かなことだと教えられてきた子供が多い。そんな子は大人になって欲望のためにだけ生きるようになった。金が一番という価値観も平然と口にするようになった。誰でもいいから殺したいなどと言いながら本当に殺してしまう不可思議な若者も出る始末だ。

また、震災の被災地で弱みに付け込んだ土地家屋の高騰や、空き巣が増えたりしたのも劣化の現れだ。言行不一致の政治家やマスコミの卑怯な偏向報道なども劣化の最たるものである。報道を生業とする新聞社が紙面を使って政治活動を平然と行い、捏造記事まで掲載するに至っては言語道断である。朝日、毎日、東京と地方の各新聞社は三流のゴシップ誌となんら変わらない劣化を起こしているのだ。しかもそれを今でも一流と思っている団塊の世代などが後押ししている為体だ。

安売りを売り物にしているスーパーチェーンなどは、適正価格とは何かをすっかり忘れている。そこで売られている製品のメーカーも、適正な小売価格を設定できないといういい加減さがある。そして人件費の安い国で生産した物を持ってきて安くするという新たな植民地政策的なメーカさえ多い。日本人もそれらが当たり前のように感じてしまっている。

最近のニュースで農家の無人野菜販売所に監視カメラが設置されていて、代金を払わずに野菜を持っていった人物の写真が張り出されているというものがあった。ついにここまで落ちたかという思いである。小学6年生に透明人間になったら何がしたいかと聞いたら、殺人や盗みと答えた者がいたというニュースを聞いた時と同じ殺伐とした思いがある。

1日も早く学校教育を戦前のレベルにしなければ我が国の人心の劣化は食い止められない。そのためにも憲法を改正するべきである。もっと義務を強調したものにすべきだ。国を守る義務や公共の福祉のための自己犠牲も加えるべきである。刑法にも禁固刑や罰金刑などより奉仕活動の義務を入れるべきだ。金を払えば服役を免れるなどは全く不要なものである。罰金よりも奉仕活動をさせるべきだ。この辺りだけはキリスト教国に倣っても良いと思う。

江戸時代に見習え

この記事は去年別のBlogに投稿したものだが、再掲することにした

江戸時代は支配階級の武士が質素を旨として、権力に富はつながっていなかった。現代の時代劇に登場する悪代官や悪徳商人の越後屋はフィクションでしかない。武士が金儲けに奔走したことなどないのだ。物質的豊かさは決して人間の真の幸福感には繋がらないと日本人は考えてきた。なぜなら際限がないからだ。武士階級は精神的な豊かさを追求していた。支配階級だけではない。庶民にも豊かさに対する欲望より粋や伝統や人情を重んじていた。金持ちが尊敬されたり妬まれたりすることなど決してなかったのだ。儒教の影響もあってのことだ。
西洋の価値観は物質面に偏りすぎている。物質的進化は人間の退化を生んできた。車は運動不足を生み、飽食は肥満を生み不健康を招き、コンピュータは物忘れを招く。パソコンやスマホで調べ物や文章を書いていれば漢字が書けなくなる。
人間にとっての究極の幸福感は生き甲斐や使命感の達成にある。人間はたかだか数十年しか生きられない。その間にどんなに美味なものを食おうと、どんなに楽をしようと、どんなに着飾ろうと、人の役には立たないし、自己満足だけで終わってしまう。
人間は諸動物と違ってただ生きて、命を繋いでいくことだけが目的で生まれてきたわけではない。人間だけが生まれてきた目的、すなわち生き甲斐を自分で見出せる存在だ。人それぞれ目的は違っているかもしれない。ただ食うために生きている者もいるだろう。着飾るために生きている者もいていい。だが全ての人間が食うためや着飾るために生きていては人間の真の進化はないだろう。
西洋人は、精神文化は物質的豊かさに裏付けされて初めてなるものだと考えてきた。だから文化は貴族が作ってきたのだ。しかし日本だけは違っていた。武家が支配者階級になってからは文化は庶民からも生まれている。それが可能だったのは日本という国が2000年もの間、同じ文化文明を維持してきたからなのである。
西洋の文化文明は数百年単位で変わってきた。故に豊かさは物質的なものに偏ったのだ。なぜなら支配者が変わるたびに以前の文化文明は破壊されてきたからだ。一から作り出すためには物質的な豊かさがまず必要だった。だから富は権力者に偏った。それが権力者と被支配者との対立を生んだ。革命思想はそこから生まれてきた。
しかし日本には支配者と被支配者という対立は無いに等しい。貴族が支配階級だった時代は西洋とたいして変わらないが、武家が支配者になった時代からは支配者に富が偏ることがなかった。だから革命思想など生まれなかったのである。
江戸時代以前が暗黒の時代だったなどと共産主義者がする歴史解釈は捏造以外の何物でもない。時代劇の作り方も現代の価値観で作っているから権力者が金儲けに走るのは当然のように描くが、江戸時代の武家は儒教の影響で金銭を穢れた物として忌み嫌っていたのだ。給料を米で払っていたのもその表れだ。貧しくなると商家から借金をしていた。商家は税金を取られなかったので裕福だったのだ。支配者階級が庶民から借金をしていた国など日本以外にはない。支配者階級が質素を美徳としていたため庶民に不満はなかった。これが支配階級の資質というものなのだ。だから300年間も平和が続いたのである。
現代の日本文化のほとんどは江戸時代に完成しているものばかりである。伝統を重んじ、粋を追求し、世界の芸術家や好事家を魅了する美を残している。技術も世界的なものを残してきた。ほとんどが庶民から生まれたものだ。
労働を疎まず勤勉に働く日本人は江戸時代に形成されてきた。日本は昔から労働者の国なのだ。今もほとんどの人々がサラリーマンではないか。西洋のキリスト教的原罪思想では勤勉さなど生まれない。日本人は仕事が生き甲斐だ。休みなど時々でいい。
額に汗して働かないものが支配している西洋と違って、日本は世界に誇れる格差のない社会を形成しているのだ。今更労働者革命など何の必要があろうか。欲望のみを追求する西洋の価値観など日本人には無用である。
戦後のアメリカ的価値観など捨ててしまえと言いたい。江戸時代に見習うべきである。

最近都心に久し振りに出て、初めて行く場所をスマホで調べた。スマホのナビアプリはとにかく便利だ。車でもナビで案内してもらえば迷うことが無い。しかし地図を見ながら道順を覚えたり、辞書を引きながら漢字や言葉の意味などを覚えた時代と違って、覚えなくても済むので脳は明らかに退化している。それが進歩、進化だろうかとふと思う。

日本という唯一無二の国

我が国は世界で唯一、2600年以上も君主の家系が途切れることなく続いている古代国家である。故に、その文化はどこにもない、どことも似ていない無二のものである。

第122代明治天皇が即位(1868年)して真っ先に行ったのは、香川県坂出市青海町にある白峰稜(崇徳天皇陵)に勅使を送ったことである。第75代崇徳天皇は1164年に崩御している。なんと700年も前に崩御した先祖の供養をしたのだ。

戦後の日本人は自国の歴史をまともに教えて貰っていない。従って、なぜ明治天皇が700年も前に亡くなった祖先の供養をしたのか知るものは少ない。ちなみに100年後の第124代昭和天皇も東京オリンピックの年(1964年)に崇徳天皇の供養をしているのも知らないだろう。

案外若い世代は崇徳天皇が日本の大魔王と言われていることをコミックやPCゲームなどで知っているかも知れない。夢枕獏の小説「陰陽師」にも大魔王・崇徳上皇が登場する。おそらく歴史ファンタジーの世界の話として知っているのだろうと思うが、嘘八百の韓国式歴史ファンタジーはともかく、崇徳大魔王の話は歴史的事実に基づいているのだ。

1156年後白河天皇と崇徳上皇の権力争いによる内乱が起きた。保元の乱である。原因は複雑であった。天皇家内部の権力争いと朝臣藤原家の対立に、武家の平氏や源氏の対立が絡まって起きた内乱である。乱は崇徳側が敗北し上皇は讃岐(今の香川県)に流罪となった。天皇が流刑になったのは400年振り、上皇側の武士が死刑になっているが、300年振りのことであった。

讃岐で上皇は仏教に帰依し、自分の血で160巻もの写経をして、戦死者の供養と乱を起こした反省を込めて寺に納めてくれるよう京へ送った。ところが後白河は呪いが込められているかも知れないとこれを拒否して送り返した。上皇はこれに激怒して舌をかみ切り、流れた血で、
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と写経に書き込んで憤死したと謂われている。

しかし上皇が呪いをかけて憤死したという話は後の創作である可能性が高い。なぜなら、崇徳上皇の死が意識されるようになったのは20年後の1176年になってからだからである。

1176年建春門院、高松院、九条院が若くして相次いで亡くなり、翌1177年には延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ヶ谷の陰謀という事件・動乱が次々に起こって、都では上皇の怨霊の祟りではないかと云われるようになったのだ。平安時代の貴族は天変地異が怨霊の仕業であると信じていた。当時の公家・吉田経房の日記「吉記」に、藤原教長が崇徳院と藤原頼長の悪霊を神霊として祀るべきと主張していたことが記されている。呪いのことも記されているのだ。

後白河天皇は教長の主張などに追い詰められ、1184年上皇を罪人とした保元の宣命を破却して、それまで讃岐院と呼ばれていた上皇を崇徳院と改め、頼長には正一位太政大臣が追贈された。これで崇徳院の怨霊は鎮まったかに思えたが、すでに武家による政治は目の前に迫っていた。つまり臣下である頼朝が権力を掌握し天皇親政から武家による幕府政治へ世の中は移っていったのだ。

平安貴族たちにとって臣下である武家が政治を司るという悪夢が始まって、これは怨霊の仕業に違いないと確信したのだ。それ以来崇徳上皇の怨霊は日本史上で最大の怨霊となったのである。少なくとも日本の貴族にとってその後の700年間は悪夢だったと云うことだ。

1867年徳川慶喜が大政奉還をした際には「保元・平治の乱以後武家に政権が移って以来、天皇の寵愛を頂いて政権を守って参りましたが、国難を招きましたことは私の不徳の致すところであります。ここに謹んで政権をお返しいたします。」と書いている。

慶喜が大政奉還をしなかったら、日本中で内乱になっていたに違いない。そうなれば外国の介入を招き日本は間違いなく外国の植民地になっていた。日本人が歴史を正しく認識し、海外の侵略から日本を守るために、日本本来の政治体制に戻すことが最善だと当時の日本人は考えたのだ。

従って、明治天皇は天皇親政が復権したことを崇徳院に報告し、今後は守り神として日本を守ってくださいとお祈りしたのである。そして天皇が独裁するのではなく、全ては公論で決めることや身分の上下を廃して、正しい政治をすることを祖先に誓ったのである。それが5箇条の御誓文である。ちなみに、それまで貴族の行列には庶民は土下座をしなければならなかったが、明治天皇は土下座令を廃している。

在日外国人の参政権

以下の文章は8年も前に投稿したものである。何度でも言わないとすぐに忘れる日本人は多いのでまた掲載することにした。衆院選挙がまたある。在日外国人に参政権を与えようとする政党や議員候補者に投票することは日本を危うくすることだと知らなければならない。

在日外国人に参政権を与えることがどうして問題なのか、今の日本人には分からなくなっているらしい。

この問題は戦前までの日本人なら考えもしなかった問題だろう。外国人に参政権を与えるなどあってはならない問題外のことからである。そして今でもそれは問題外のことなのである。

なぜ日本に住んでいる外国籍の人間に参政権を与えてはならないのか。簡単に云うと参政権とは国籍を持つ者に与えられるものだからである。従って日本に住んで日本国籍を取得した外国生まれの人には当然与えられる。

そもそも日本に帰化しない外国籍の人が日本の参政権など欲しがるはずがない。なぜならその人は日本のためではなく自国のために参政権を行使したいと思うだろうからだ。参政権はあくまで自分の国のために行使するものだから、自国に住んでいるからと言って外国人に与える国などないのだ。

ならばなぜ日本で外国籍の人間に参政権を与えようなどと云う問題が起きているのか。

在日外国人とは在日朝鮮人のことだからである。在日朝鮮人とは日本の敗戦時日本に在住していて、敗戦後朝鮮には帰国しなかった人々で未だに日本に帰化していない人々のことだ。1世の在日朝鮮人たちは日本に帰化する気はない。日本人になるとご先祖に申し訳がないという人も多いという。しかし生まれ故郷に帰ろうという気はないのだ。

在日朝鮮人参政権問題を支援している人々がよく言う理由がいくつかある。

1.在日朝鮮人は強制的に連行されてきた人々だから彼らの権利を認めなければならない。
2.帰化できないのは差別を受けてきたからで彼らの責任ではない。
3.最高裁の判決傍証で法律を作ることは認められた。

1番目は悪質なデマである。
強制的に徴用された朝鮮人(当時は日本人)がいたことは事実かも知れないが、敗戦後の日本はGHQの命令で、日本に在住していた朝鮮人たちを無償で帰国させているのだ。昭和10年に62万人いた朝鮮人たちは出稼ぎや密入国の結果であった。そして終戦直後には230万人になっていた朝鮮人たちの人口が、帰国政策で65万人に減っているのである。

つまり帰りたい者は皆帰国しているのだ。しかも無償で、である。残った者は自由意志で残った。一番の理由は朝鮮での身分的差別である。

日韓併合時代以前から朝鮮からの日本密入国は両国の問題だった。とにかく経済事情が違いすぎた。李氏朝鮮は日韓併合以前、世界でも希な貧民国だったのである。しかも長く貴族政治が続いたせいで身分制度が苛烈を極めた。最下層民は家畜同然の生活をしていたのだ。そこから逃げ出すことが日本への密入国につながった。今でも脱北者がいることとさほど変わりはないのである。

朝鮮戦争が始まって帰れなくなったのだという者もいるそうだが、GHQの強制帰国政策は朝鮮戦争以前の話だから理由にならない。

2番目は帰化しない朝鮮人たちの言い訳だろう。
差別はあったかもしれない。出稼ぎか密入国者が大半だったわけだから、日本人にとってはじゃまな存在だったに違いないからである。敗戦後は愚連隊などと称して暴れ回った朝鮮人も多かったため反感を買っている。しかし帰化すれば晴れて日本人になれるのだから帰化しない理由は一つしかない。その方が得だったからである。在日特権といわれる数々の優遇措置が彼らを朝鮮人のままでいさせるのだ。

3番目はご都合主義的な解釈でしかない。在日朝鮮人の参政権訴訟は最高裁で違憲判決が出ている。傍証は裁判官の個人的意見で、しかも判決に矛盾するものだ。

こんなにはっきりしている在日朝鮮人の参政権の問題を、なぜ公明党や民主党が支援しようとしているのか。

公明党と民主党では少し事情が違う。

公明党の場合は在日朝鮮人の中の創価学会員のためであろう。宗教集団には国籍などほとんどどうでも良いからだ。国籍に関係なく学会員なら同胞だからである。

民主党の場合は旧社会党や朝鮮系の議員が多いからだ。彼らにとっては在日朝鮮人こそ同胞だからである。

マスコミがほとんど報道しないこれらの事実を忘れてはならない。日本が在日外国人に乗っ取られる日が来るかもしれないのだ。軽々しく公明党や民主党の言い分を聞いていては日本人は日本人でなくなってしまうかもしれないのである。

光秀の謀反

最近、明智光秀が信長を襲った10日後に、反信長勢力の諸侯に宛てた直筆の手紙が発見されたそうだ。その内容は15代足利将軍の擁立に与するようにというものだったという。

光秀の信長暗殺の目的は足利幕府の再興だったわけだ。

信長が光秀をいじめたことが光秀謀反の原因だったなどと後世の人間は考えたが、江戸時代の小瀬甫庵が書いた「信長記」という小説がその元である。「桶狭間の戦い」も奇襲だったというのは甫庵の創作で、実際は信長に仕えていた太田牛一が書き残した「信長公記」に詳しい。信長は2千の部下を引き連れて正面から2万以上の今川軍に突撃したと牛一は書き残している。しかも今川軍は桶狭間山の尾根で休息中だったので、信長軍は山を駆け上がって攻めたという。突然の豪雨があったのは本当らしい。

後世の人間はその後の信長の戦を知っている。10倍の敵陣めがけて真正面から突撃するなど無謀な戦を信長がするはずはないと考えた。だから甫庵の書いた小説のほうが信じられてきたのだ。光秀に関しても、信長家臣の一番出世だったのに謀反を起こしたのは遺恨があったに違いないと考えた。甫庵が考えた信長の光秀いじめはそういう大衆の心理に大受けした。

歴史というものは後世の人間が信じ易いことを唱えた者が改変していくことが儘ある。為政者が意図的に改変することももちろん多いが、信じ難い偶然や運が良かっただけの結果があるものだ。戦なども勝てるはずの側が常に勝つとは限らないのが歴史である。

光秀の謀反もおそらくは朝廷が動いて信長の野望を阻止したものだと思う。朝廷は官位を一切受けなかった信長に危機感を抱いていたに違いないからだ。信長が少数の伴づれで京都に入った理由も朝廷の招きだったという説がある。

当時の信長はほぼ天下統一を果たして絶対権威になろうとしていた節がある。権威の中でも「暦」に関する決定権は朝廷にしかないのだが、その専権を信長は冒そうとしていた。信長の専横を甘んじて受けていた朝廷も最後の専権まで奪われそうになって反旗を翻したに違いない。光秀が選ばれたのも、元々勤皇でもあり足利将軍家の家臣でもあったからだ。私怨で謀反を起こしたわけではなかったというのが本当のところだろう。

しかし朝廷のそうした動きは秘匿されて表には決して出てこない。従って謎のままなのだ。

それにしても下剋上が常識的に通用していた戦国時代に、光秀の信長暗殺は裏切りと言われている。当時はどうか知らないが、後世の人間は信長の権威を認めて来たということだろう。

日本人の劣化

昨今のマスコミは自由主義政権の打倒工作を隠すこともなく繰り返し行おうとしている。役人のクズのような嘘つきを使って首相に濡れ衣を着せ、いかにも不正があったかのように報道して世論操作をしているのだ。森友や加計問題など、別段何の問題もないことをさも不正があったかのように報道をし、反対意見や反論などは書かない・知らせないという卑怯な手段で国民の目と耳をふさいでいるのだ。既にジャーナリズムは死んでいる。

こういう反日マスコミの卑怯な手段にすっかり翻弄されて政権不信に陥った国民がいる。誠に愚かなことだ。自分で物を考えず、新聞やテレビの報道を真に受ける劣化した国民が多いという証拠だ。

戦後、アメリカ占領軍は日本人が二度と自分たちに逆らわないように武器を放棄させた。その上で国家と国民を対峙する存在かのように教え込み洗脳した。この思想は共産革命勢力にとってこの上ない力となった。大学では共産主義者が教授となり、国家と国民は対峙した存在だと学生に教え込んだ。まじめな学生ほどそれを信じた。

共産主義や国家社会主義の政権は確かに国民とは対峙した存在であろう。そういう国には国民を監視し弾圧する政府が存在する。しかし日本という国家は2千年以上も続く皇族が一度も滅ぼされることなく君臨してきた国家だ。国民と対峙していたならとっくに滅ぼされる存在だったに違いない。しかも近代は早くから民主主義を取り入れ政権は自分たちで選んだ政治家に委ねてきた。そういう国家だから正規軍はどこの国よりも強かったのだ。ヨーロッパ諸国で日本に勝った国など存在しない。シナ大陸国家でも日本に勝った国などないのだ。

アメリカ軍は日本軍の強さに恐れをなした。しかも雌雄が決するとダメ押しをしないのが日本軍だった。敵を殲滅する趣味は日本軍にはない。高潔で強靭な軍隊が白人種ではない国に存在する。ルール違反をしなければアメリカは日本に勝てなかった。こういう民族とは二度と戦いたくないとアメリカ軍は思ったのだ。

日本人が二度と強力な軍隊を持てないようにするために、武器を奪うだけでなく国家観を喪失させることが必要だと考えた。纏まりがなくなれば日本人は国のために武器を取ることはないだろうと考えたのだ。自分勝手な国民ばかりになれば国を守ろうとすることさえしなくなるに違いないと考えた。

アメリカ占領軍の思惑は70年経って見事に成就している。特に昭和20年代生まれの団塊の世代に代表される日本人たちの中には国家のために何かすることは悪いことだと思い込んでいる輩がごまんといる。国境はなくすべきだと思い込んでいたり、日本は日本人だけのものではないと思っている輩もいる。それが美しいことだと思っているのだ。

自分たちで選んだ政治家に委ねたはずの政治を信じない矛盾に気づきもしない輩は、そこをつくマスコミの世論操作に翻弄されている。正に民族の劣化だ。自己中心的で子供を虐待して殺す日本人が増えた。損得しか考えないシナ人的価値観の国民も多くなった。負け組や勝ち組などの価値観はそれこそ損得勘定しか頭にない証拠だろう。

このままでは日本人は日本人でなくなる。早く団塊の世代が死滅し、今の若者が正しい価値観をもって国家観を抱かなかければ日本は滅んでしまう。最近つくづくそう思う。

品性下劣な元官僚

ついこの間、東大出の高級官僚ほどロクなものではないと書いたが、正に豊田真由美議員はその典型だ。品性下劣を絵に描いたような御仁ではないか。試験エリートなどは、ことほど左様にロクなものではないのだ。

名門高校に行って東大を出て官僚になったような人間は自分が一番だと思っている。議員になってしまってからは天下を取った気分でいたに違いない。誰もが自分の家来で奴隷みたいなものだ。何をしても許されると思っていたに違いない。

朝鮮では李朝時代に高級官僚の両班が身分の低い者、とりわけ奴隷をいじめ抜いていたという。道を歩いていて少しでも気に障ることがあれば、両班たちは下層階級の者を殴ったり蹴ったり、時には腕や足をへし折ったりして憂さを晴らしていたという。下層階級の者は反抗もできず泣き寝入りするしかなかった。品性が伴わない特権階級者は自分より階級が下の者、弱い立場の者をいじめることで憂さを晴らし、時には楽しんだりする。

田中角栄の娘、田中真紀子も秘書や役人を陰湿にいじめるので有名だったそうだ。生まれながらの天下人の娘で品性が伴わなければそうなってもおかしくない。東大卒の高級官僚も品性が伴わなければ豊田議員のような醜い人間になってしまう。そういう人間を国会議員などに選んだ選挙民こそ恥じるべきだろう。支援者とやらは品性下劣な人間を支援してどうするつもりだったのだろうか。それとも知らなかったのか。

民主主義とは選ばれるべき人が選ばれて、代表となって公共のために尽くす制度のことだ。もっと選ばれるべき人を探せと言いたい。行政を経験した人間を立法に就かせては駄目である。役人はどこまでいっても役人のための仕事しかしない。役人とは税金を食いつぶす存在だ。だから選良が必要なのだ。選ばれるべき人間は試験エリートなどではない。役人を監視できる無私の選良が議員になるべきなのである。

田中真紀子は正体がばれて政界から消えた。豊田などは即刻国会から追い出すべきである。

誠実な息子と不実な新聞

 1936年のベルリン五輪の男子マラソンで優勝した孫基禎(ソンギジョン)選手は、朝鮮半島北部の出身である。韓国は当時、日本の統治下にあり、孫選手は日の丸を胸につけて出場していた。
▼国際オリンピック委員会の公式記録でも、国籍は「JAPAN」、名前は日本語読みの「SON KITEI」となっている。もっとも韓国人は、この「歴史的事実」を認めようとしない。70年には、ベルリンを訪れた韓国の国会議員が、記念塔に刻まれている孫選手の国籍を勝手に「KOREA」に書き換える事件を起こしている。ドイツ当局はすぐに元に戻した。
▼もちろん、誤りはたださなくてはならない。「朝鮮半島で女性を強制連行した」。慰安婦問題の原点となったのは、故吉田清治氏の偽証だった。どうやって罪を償えばいいのか。長男が下した苦渋の決断は、『父の謝罪碑を撤去します』(大高未貴著、産経新聞出版)にくわしい。
▼長男の依頼を受けた元自衛官の奥茂治氏(69)は今年3月、吉田氏が韓国内に建立した謝罪碑の碑文を書き換え、慰霊碑とした。その奥氏が韓国警察に一時拘束され、現在も出国禁止措置が取られている。
▼韓国の国会議員は、逮捕状が出ていたドイツに戻ることはなかった。奥氏は違う。韓国警察の出頭要請に応じて、再び韓国入りしていた。公用物損壊などの罪で起訴されれば、裁判で吉田証言の嘘について説明するつもりだという。 ▼朝日新聞は謝罪碑が建立された時、「たった一人の謝罪」の見出しを付け、土下座する吉田氏の写真とともに大々的に取り上げた。後に記事を取り消したとはいえ、謝罪碑のその後と奥氏の行動について、無関心ではいられないはずである。今後の報道ぶりに注目している。
【2017年6月27日(火) 産経抄より】

朝鮮人も歴史に正対しない不実な人種だが、朝日新聞というイエロー・ジャーナリズムも罪作りを反省もしない、不実さでは天下逸品だ。恰好だけ謝罪して見せたが、その後も一向に反省した様子がない。そもそも朝日は確信犯的に「吉田清治」の嘘を利用しただけなので反省するわけがないのだ。
吉田の息子は親の犯した償いようのない罪のために苦悩したという。朝日新聞はそんなことには関心もないだろう。旧日本軍を貶めるためには、どんな卑怯な方法でも、明らかな嘘でも構わず報道してきた新聞だ。産経新聞は一応紳士的に朝日の誠実さを求めているが、どっこい朝日の不実さは筋金入りだ。こういう新聞がまだ生息していることが今の日本の不幸だと思う。

マスコミ不要論

アメリカは民主主義国の代表のように思われているが、その世論はマスコミによって扇動され形成されてきたといって良い。アメリカで新聞が一般的になったのはほんの100年ほど前のことだ。19世紀末期スペイン・ポルトガルの世界制覇はすっかり落陽を迎えていた。新興国アメリカは領土拡大を図り1898年、スペインからその植民地を奪うことに成功している。米西戦争はマスコミにアメリカ世論が扇動された典型的な例として知られる。

アメリカは落ちぶれたスペインから植民地を奪う計画を立てたが、政府が戦争をしたくても議会が反対していては開戦できないのがルールだった。そこで時の政府は新興の新聞という媒体を使って世論を動かすことを考えた。ピュリッツァーとハーストはそれぞれ、ニューヨーク・ワールド紙とニューヨーク・ジャーナル紙という新聞を発行していたが、熾烈な発行部数競争をしていた。二紙とも事実を報道するよりも、興味本位のスキャンダラスな記事やねつ造記事で部数を伸ばそうとしていた。両紙とも「イエロー・キッド」というコミックを掲載して部数を競ったのでイエロー・ジャーナリズムと呼ばれ、有名人のスキャンダルやねつ造記事を売り物にする新聞の代名詞になった。

政府の思惑により新聞各紙は、キューバの独立運動をスペインが弾圧していると書きたて、ワールド紙などはスペインの非道をねつ造してまで批判するというキャンペーンを展開した。アメリカ政府の狙いはキューバだけでなく、プエルトリコ、フィリピン、グアムなどスペインの植民地すべてであった。

ピュリッツァーは早くからキューバに特派員を送っていたが、平穏な日々が続くので「銃声一つ聞こえないので帰国する」と報告する記者に、「もう少し待て。戦争は私が用意する」と電報を打ったという話が伝わっている。事実、後に彼は「その時は戦争になってほしかった。大規模ではなく新聞が売れる規模程度に」と述べている。

1898年2月、アメリカ海軍はキューバでの砂糖生産事業にかかる邦人保護を名目に軍艦メイン号をハバナ湾に派遣した。ところが将官が上陸した夜、停泊中のメイン号が爆破沈没するという事件が起きてアメリカ兵250名が死亡した。この時アメリカの新聞各紙は一斉にメイン号事件はスペインの仕業だと報道した。スペインは開戦には消極的だったことが知られているが、アメリカの新聞報道は容赦なかった。この事件報道でワールド紙やジャーナル紙は数万部から数百万部へと発行部数を飛躍させた。アメリカ世論はスペインに対する開戦論で騒然となった。この時のキャンペーン・スローガンが「Rememeber The Main!」である。

アメリカの「リメンバー・・・」というキャンペーン・スローガンはこの時が2度目だった。一度目はアメリカがメキシコから領土を奪った戦争の時だ。1836年アメリカ政府はメキシコ領テキサスに独立義勇軍を送り込んで、サンアントニオにアラモ砦を築かせた。当然のようにメキシコ軍は陸の孤島のような砦を包囲して砦の義勇軍は全滅する。義勇軍に参加したアメリカの下院議員デビー・クロケットは歌にもなった有名人だ。「リメンバー・アラモ」はテキサス人はもちろんアメリカ人の合言葉となり、テキサスはアメリカ軍の支援を受けて共和国としてメキシコから独立する。そして1845年テキサス共和国はアメリカに吸収合併された。アラモの戦い当時アメリカの正規軍が近くに駐屯していたが義勇軍を見殺しにしたといわれている。その後アメリカはメキシコからニューメキシコ、カリフォルニアなどを奪って州として組み入れた。

「リメンバー・パールハーバー」の前に3回目のキャンペーンがある。第1次大戦を対岸の火事としてみている国民を参戦に誘導した事件で、「リメンバー・ルシタニア」というスローガンになった豪華客船のルシタニア号撃沈事件だ。1914年英独戦争が勃発したが、英国はアメリカに参戦を求めてきた。しかし国民は無関心だったので時のアメリカ政府とイギリスはドイツ軍の警告を無視して、1915年に豪華客船ルシタニア号に乗客のほかに武器弾薬を満載してドイツ軍に襲わせるようにしたのだ。ルシタニア号はドイツの潜水艦に攻撃され乗客1000名以上が犠牲になった。このキャンペーンでアメリカ国民は第1次大戦参戦を決意したのである。

1898年スペインとの交戦に消極的だった議会も世論の勢いに押されて4月に開戦の承認をして、アメリカとスペインは戦争状態となった。ちなみにキューバの戦線で活躍したアメリカ義勇軍「ラフ・ライダーズ」を率いた英雄として知られるのが、後の大統領セオドア・ルーズベルトだ。彼は日露戦争後、対日戦争計画を練るようになり、彼の遺志を継いだ甥のフランクリン・ルーズベルトが40年後に「Remember Pearl Harbor!」を演出することになる。

世論の沸騰を待たずともアメリカ政府は開戦の1年も前から戦争準備をしており、5月には当時行くのに2か月はかかったフィリピンでマニラ湾海戦が起きる。アメリカ軍はフィリピンの独立軍に終戦後の独立を約束して協力を取り付けスペイン軍と戦った。スペイン海軍は壊滅し、その後延べ12万人をつぎ込んだアメリカ軍にスペイン軍は降伏した。ところがアメリカ軍はスペインと勝手に協約を結び金銭でフィリッピンを買い取ってしまう。フィリピン独立政府をアメリカは承認せず、弾圧するようになった。当時のアメリカ軍司令官がアーサー・マッカーサーという、ダグラス・マッカーサーの父親である。マッカーサー親子はフィリピンを植民地として正に食い物にした。アメリカ軍人はアメリカ先住民やフィリピン原住民を騙すことにも殺すことにも何の呵責も感じないようだ。人種差別主義の典型であり、騎士道のない野蛮人の証拠だろう。だから日本に原爆も落とせたのだ。

日本との開戦時にもマスコミはアメリカ政府と結託して世論操作を行った。戦争不参加を公約に大統領になったフランクリン・ルーズベルトは、戦争をしたくても出来なかったので過去の成功例に学んだのだ。日本海軍の「真珠湾奇襲攻撃」は騙し撃ちと言われているが、当時の戦争に宣戦布告は必要不可欠なものではなかった。奇襲攻撃などは普通のことだったのである。その証拠にマレー沖海戦でイギリス極東艦隊を壊滅させた時にも、まだ日本が宣戦布告などしていない時に、イギリス海軍は旗艦プリンス・オブ・ウェールズをシンガポールに派遣している。当時の外交の流れから開戦はとうに予想できたからである。奇襲に備えるのは当時の常識だったのだ。アメリカ海軍も当然ハワイのアメリカ太平洋艦隊に対する奇襲を予想していた。ただ日本軍の力を過小評価していたのだ。アメリカ軍は日本軍を人種差別意識から完全に見下していただけのことである。だから慌てた。

マスコミが純粋な奇襲攻撃を騙し撃ちと宣伝してアメリカ軍の油断を隠したのである。誰も騙してなどいない。アメリカ軍は騙されてもいない。日本軍は正々堂々と真珠湾の軍事施設だけを狙って攻撃した。アメリカ軍はとてもそんなことが日本軍にできるとは思っていなかっただけのことである。しかしマスコミの世論操作は見事に成功してアメリカ国民はこぞって対日戦争に賛同した。そのお陰でヨーロッパ戦線にも参戦できることになった。アメリカのマスコミは常に正義の味方を語る。

近年では9.11テロ事件がアメリカ国民をイスラム戦線に向かわせた。「リメンバー9.11」が新たなスローガンとなった。しかし9.11テロ事件はユダヤ資本勢力の自作自演と言われるようになっている。ハイジャックされたジェット機が突っ込んだツインタワーが、その後もろくも崩壊したのが不自然と言われているのだ。被害を受けなかったツインタワーの隣のビルまで崩壊したが、そのビルもユダヤ資本のビルである。老朽化したビルをついでのように壊したと言われているのだ。

ところが最近アメリカのマスコミが世論操作に失敗した。トランプ大統領の誕生の時だ。いよいよアメリカのマスコミは政治操作も世論操作もできない時代になったのかもしれない。トランプ氏は記者会見などは滅多に開かずTwitterで国民に直接話しかけている。その方が早く正確に真意が伝わるからだろう。マスコミを通せば情報は捻じ曲げられてしまうことが多いからだ。トランプ氏は唯のトンデモおじさんではないようだ。

アメリカのマスコミがほとんどユダヤ系資本に牛耳られていることもトランプ大統領の誕生に関係している。ユダヤ系の思想はアメリカ人としてではなくあくまでユダヤ人としてだから、それがグローバル国際化という思想となっている。国境なき何とかと同じ思想だ。国益と称して実はユダヤ系資本に有利なことが多いのも国民の反感を買ったといえる。世界的な反グローバル運動はそういう反感の表れなのだ。

日本でもユダヤ系資本に有利なことが、いかにも日本のためのように強調されて報道されることがある。日本のマスコミはユダヤ系資本の提供する報道を鵜呑みにしているからである。もういい加減マスコミなど不要ではないだろうか。SNSがあればどこで何が起きているかわかる時代になった。

ちなみに、ごく最近私が住む近所の交差点で夜中に交通事故があった。見に行ってみると交差点でバスと乗用車がぶつかって信号機が柱ごと乗用車に乗っかっていた。夜のテレビやネットのニュースで詳細を知ろうとしたがどこにも出ていなくて、Twitterのニュースを集めたサイトで写真付きの詳細を知った。写真などは発生直後のものがあり、生々しいニュースになっていた。電車の遅れなどもSNSサイトのニュースが一番早く正確なことが多い。もう既にそういう時代なのだ。

しかしSNSのニュースも正邪を見極めなければ騙されることになる。必ず複数のメディアで確認する必要があるのは新聞などと同じだ。北朝鮮の日本人拉致事件を日本のマスコミ各社は産経新聞を除いて一切書かなかった。当時新聞が書かなければ無かったことと同じだった。産経新聞は外国に嫌われるわけである。なぜなら日本の国益を守っているからだ。他の新聞社は完全な裏切り者だと知ることだ。そういう裏切り者のことを日本語では「売国奴」という。

日本人が知らない世界を知ることが出来る書籍を紹介しておく。