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089月/18

日本建国の歴史

戦後の三流学者がすったもんだした挙げ句、日本の建国の歴史をねじ曲げてしまった典型的な例が「邪馬台国が後の大和朝廷である」かのようなデタラメである。そもそも「邪馬台国」や「卑弥呼」のような文字はわざわざ卑しい文字を使っているもので、支那人が他国や他民族を軽蔑して使う典型的な例だ。「倭人」の「倭」という文字も「小さく卑しい」という意味の文字なのである。しかもこれらの国の人々は体中に入れ墨をする風習を持っていたと支那の書籍(魏志倭人伝など)には書いてある。また倭人達は支那に朝貢する際「生口」を贈ったとある。奴隷のことだ。入れ墨の習慣と奴隷を使っていたということからして、倭人が天孫族とは到底思えない。天孫族の神話にはそうした話が一切出てこないからだ。初期の大和朝廷が支那の国に朝貢した際にも奴隷を贈っていた記事など無い。まして入れ墨の習慣も皆無だ。

邪馬台国は北九州にあった小国の一つで、金印が発見された「漢委奴国王」がいた国もそうした小国の一つなのだ。漢書には倭人の国は数百に分かれていたという記事がある。そして倭人の国は半島の南側だったことが支那の書からもわかる。半島の南側から北九州はほとんど一体で、倭人は行き来をしていた。その証拠が半島の南側で発見された古墳や遺跡なのだ。遺跡と言えば半島の紀元前1万年以前の地層からは土器が発見されている。ところが紀元前1万年から前5千年までの地層からは遺跡や土器は発見されていないという。つまりその時代に半島には人が住んでいなかったということだ。

日本でも旧石器時代の地層からの土器の発見が近年相次ぎ、その年代は紀元前1万2千年ごろとわかっている。世界で最も古い土器が日本で発見されているのだ。それからすると半島に人がいなかった時代に日本列島には既に人がいて、繁栄していたことがわかる。日本語が朝鮮語とも中国語とも似ていない理由だ。つまり日本人の祖先は半島からきたのではないと云うことだ。沖縄人も大陸や台湾からの流入ではないことがわかっている。DNAは日本人に近いのだ。

古事記や日本書紀にある「神武東征」の記述も、近年の地質学の成果で、大阪平野の発達史からみると、紀元前1千年から前50年ごろの河内潟の地形が「神武東征」に出てくる大阪付近に上陸した記述に一致することが分かったというのだ。その前後の時代の地形では全く一致しないことからこの時代しかあり得ないことも分かっている。つまり「神武東征」の記述は史実だったとわかるのである。各地に残る言い伝えも史実である証拠なのである。

戦後の日本人は古事記や日本書紀という日本人の祖先が残した歴史書を、アメリカ占領軍の策謀を真に受けて無視してきた。そのために建国の歴史が全く分からなくなってしまった。日本は世界でも希有な2000年以上も君主の家系が交代したことのない国である。しかもその君主は祖先を辿れば神になるのだ。神話に繋がる家系の君主は天皇を除けば遙か昔に全て滅んでしまった。日本の天皇だけが神代の時代から続く歴史を守って存在しているのだ。なぜか。

古代ギリシャ、古代エジプト、古代ローマなどの古代国家は神話を持っており国王は神の子孫だった。それは日本の天皇と同じだ。ところが日本以外の古代国家は、国民・大衆を虐げ搾取して、王家は自分たちの繁栄だけを追い求めたために悉く滅んだのだ。日本の天皇は国民・大衆を虐げることをしなかった。だから滅ぼす者がいなかったのである。もう一つ日本の天皇家は土着の民族や新興の豪族とは争わず姻戚関係を持つことにより共存共栄していったという歴史がある。それも古代国家が王家の血筋だけを守ろうとして滅んでいったのと対照的なことだ。

敗戦でアメリカ占領軍に蹂躙された日本も、そろそろ自主独立を果たすに十分な時間を過ごした。日本という国は世界でも二つと無い神の子孫が統治する国である。政治は国民の代表者が責任を持って行う民主国家だ。君主を最高権威として敬い、君主の希望する和の政治を行うのが政府の務めだ。国民は平和を祈る君主に見習い、争わず和をもって生きるのが務めである。

しかし他国が日本の君主の祈りを聞くとは限らない。事ある場合は一致団結して国難に当たるのも国民の務めである。個人は皆のために皆は個人のために働き生きるのが日本人なのだ。

ちなみに「天皇の最も重要な仕事は何か」と聞かれて答えられるだろうか。答えは「祈ること」である。日本の天皇は神道の最高神主なのだ。神事は何事にも先んじて行われ、いわゆる国事はその次なのである。アメリカ占領軍は神事を忘れさせるために日本の祭日や祝日を意味のないものに変えてしまった。そのことも取り戻さなければなるまい。

建国記念の日「2月11日」言わずと知れた建国記念日だ。初代天皇・神武天皇が即位した日である。

春分の日「3月20日」春期皇霊祭 歴代天皇や皇族を祀る儀式を行う日である。

昭和の日「4月29日」昭和天皇の誕生日を祝う日である。

こどもの日「5月5日」端午の節句 子供の成長と幸福を願う日。

秋分の日「9月22日~24日」秋季皇霊祭 歴代天皇や皇族を祀る日。

文化の日「11月3日」明治天皇の誕生日を祝う日。

勤労感謝の日「11月23日」新嘗祭 1年の収穫を感謝する神事。

その他にも戦後廃止された祭日がある。それらは全て日本人が最も大切にしてきたものを表しているのだ。

059月/18

敗戦後の裏切り者

日本がアメリカとの戦争で負けた後、日本は7年間アメリカ軍に占領統治された。その期間は日本人に一切の自由も権限もなかった。何事もマッカーサーが率いるGHQが決めたからだ。言論の自由も、憲法を改正する権限も、教育の自由も何もかも日本人には一切無かったのである。米兵の犯罪も隠されて日本人には全く知らされもしなかった。特に強姦事件が多かったのは特筆すべき事だろう。事件の隠蔽に協力したのがNHKであり朝日や毎日の新聞社だったのだ。

言論統制で最も厳しかったものが戦前の日本の立場を肯定する言論の禁止だった。歴史に関するものも皇室を肯定するものは禁止された。戦前の日本の立場を正しく著した書籍は悉く集められ焼かれてしまった。それにも数多くの日本人がバイトとして協力した。戦争に負けた日本人の中には奴隷に成り下がった者がいたと言うことだ。集められて燃やされた書籍その数7000冊。本当の戦争の原因などを解説した書籍などが燃やされて、戦後の日本人は正しい歴史に触れることができなくなってしまったのだ。

学者も選別され日本の立場を肯定する学者は排除された。簡単に言うと古事記、日本書紀を肯定する学者は公職を追放された。つまり自分の国の歴史を普通に教えていた学者は首になり、その後路頭に迷うことになったのである。年金さえもらえなくなったのだ。大学だけでなく地方の小・中学校の教職員さえ追放された。その数5千人、追放されるまでもなく嘘の教育をさせられることを拒否した11万6千人が自ら辞職している。公職追放を推進したのが、共産主義者や卑怯な迎合をした密告者達だった。密告者に告げ口をされればすぐに職を失う。さもしい連中は嘘の教育を次第に喜んで行うようになった。

まともな教育者の代わりに、日本の皇室を否定し日本の歴史を否定する者や、共産革命を目指して活動していた共産主義者や、職を奪われることを恐れた卑怯な転向学者がその地位に就くことになった。この時から日本の学者は、祖国を否定して亡国を目指すようなゆがんだ者たちの集まりとなったのである。特に歴史学者は人間性を失った卑怯者や、祖国を裏切った者たちの集まりとなった。他の学者達も、まともな者たちは追放されたために二流・三流の集まりとなってしまった。

これら転向学者は共産革命が起きれば必ず起きるであろう凄惨な旧体制派の処刑を恐れたのだ。ロシア革命ではロマノフ王家は女子供を含めて皆殺しになった。旧体制派の役人や学者も悉く殺された。昭和20年代初期はまさに革命前夜だと思われていたのだ。

GHQは教職員達に労働組合を組織させ、日本人を子供の時から祖国を誇れないような国民になるよう教育することにした。その片棒を担いだ代表者が共産主義者の羽仁五郎である。日教組の代表としてソ連や共産中国の援助を受け日本民族を滅ぼす活動を営々と行ったのだ。アメリカ軍は日本人を戦争で皆殺しにはできなかった。その代わり時間をかけて死んだも同然にしようとしたのである。日本人は白人種に公然と逆らった唯一の有色人種だったからである。アメリカは白人至上主義で人種差別の国なのだ。

そんなアメリカに好まれた二流三龍の学者たちとは東大総長・南原繁矢内原忠雄、法政大学総長の大内兵衛、京大総長の滝川幸辰、一橋学長の都留重人などである。戦後に転向した卑怯極まりない学者は、家永三郎石母田正井上光貞丸山真男などだ。歴史学者では和辻哲郎白鳥庫吉江上波夫田中卓井上光貞直木孝次郎古田武彦上田正昭などが祖国の正しい歴史を命惜しさにねじ曲げ、今日の反日勢力の元を作ったのである。

まともな学者の教職追放のせいで終戦直後に東大教授になった三流学者の典型が東大法医学部教授の古畑種基だろう。古畑が鑑定を行った殺人事件のうち、弘前事件(判決:懲役15年)、財田川事件(判決:死刑)、松山事件(判決:死刑)、島田事件(判決:死刑)には鑑定に問題があり、実際には冤罪だった。これらのいずれの事件も後に再審で判決が覆されて無罪が言い渡されている。国鉄総裁下山事件の際も古畑は死後轢断と判定して、慶応大学の生前轢断判定と真っ向から対立した。推理作家の松本清張も古畑の判定を採用してGHQの陰謀であると推理しているが、慶応大学の判定が正しければ自殺の可能性が高い。

また東大病理学教授の緒方知三郎も三流以下のとんでもない人物だ。唾液腺ホルモンなどというありもしないものを発見したとして、骨の生成や若返りの効果があると言ったので、厚生省が効果を認めていた。ところが緒方が死んでから、効果なしとして認定が取り消されたという代物なのである。緒方はかの有名な緒方洪庵の孫なのだが、東大教授の肩書きがものを言っていたのだ。これらの三流以下の学者達は戦前なら決して教授になどなれる器ではなかった。

それら裏切り者達の同類や弟子が今日でも日本の学会を牛耳り、日本人の品格を損なっている。法政大学の政治学者だという山口二郎などは品格を損なった代表のような存在だ。学者である前に人間として品がない。

もちろん日本の知識層がこういう為体だったわけだから文化自体も偽物や三流どころが幅をきかせた。歴史小説で国民的人気を博した司馬遼太郎の歴史観も、戦後の日本建国の歴史否定の影響を受けてねじ曲がったものである。また彼の小説も歴史的事実とはかけ離れたもので、人気があるだけに事実誤認の元となっている。

アメリカとの戦争を戦ったのは明治末期から大正生まれの人々が主体であった。戦死した人々はほとんどが己の信念に従って死んでいった。戦後の復興も信念を持った大正生まれの人々の努力のお陰だと思う。生き残った人々のうち信念を持たない者達や命惜しさに信念どころか魂まで捨て去った者達は、何を誇りに生きてきたのだろうか。情けない限りである。

私の父は大正8年生まれの陸軍士官学校出身の陸軍少尉として対英米戦争に参戦している。赴任地は満州の関東軍であった。昭和16年から4年間、満州国は中立国だったために戦闘らしい戦闘も経験せず、終戦間際にインドシナに単身赴任して敗戦となり、戻ってきたイギリス軍の捕虜になったという。本国から武装解除の指令を受けて武装解除を自ら行っているから負けた気もしなかったという。しかしその後部下の中にはゲリラになって独立戦争を戦うべきだという者がいたそうだ。インドシナを白人種の植民地から解放したという思いが強かった証拠だろう。共産軍と合流しても良いという部下もいたという。しかし父は部下達をなだめて本国に帰らせることに腐心したと回顧録に書いている。ところが帰国してみると軍部が解体され仕事もなく、炭鉱で石炭掘りをする重労働しかなかった。そこに労働組合ができて政治闘争が活発化した。後の社会党委員長成田知巳と一緒に活動したこともあったそうだ。士官学校を出た軍人ですら、敗戦後の日本で信念を貫くのは難しかったようである。それでも父は朝鮮戦争後再び軍備が必要とされたので自衛隊に入った。一時とはいえ労働運動をしていたせいで出世は望めなかった。自衛隊での父は小説ばかり読んでいる暇なオヤジだったようだ。それでも自分の半生を回顧録に残してくれた。少なくとも父は裏切り者では無かったようである。