人権派の偽善

人権保護とは国家権力から個人を守るためのものだと宣う御仁がいる。とんでもない与太話である。人権とは人間が集団の中で生きるために守られるべき最低限の権利のことであって絶対的権利のことではない。まして国家権力が触れてはならない権利なのでもない。

警察権と犯罪者との関係で言うと、犯罪者にも基本的人権はあるので拷問などの無理強いは受けない権利はある。しかし人の権利を奪った者や権利を侵害した者が自分の権利を主張するのは限度があってしかるべきだ。

また権利は相応の義務を伴うものである。国の法律を遵守するのが国民の義務だ。その義務を怠った者は権利の制限を受けるのが当然のことである。人権派の人間は守るべき当然の義務を無視している。社会生活を平穏に送るには皆が行うべき義務を遵守することが大前提だ。

国家権力は個人では果たせない個々人に義務を守らせる強制力として国民が与えたものである。もちろんこれは民主的国家の場合だ。共産主義国家のように独裁的全体主義国家は権力を国民監視のために使用する。権力は与えられたものではなく奪ったものだからだ。

共産主義者は国家権力を個人の上に置く。本来国家を守るべき軍隊を暴力装置と位置づけて政治の道具と考える。だから人権など端から無視している。そこで自由主義圏でも国家権力は危険だと思い込むわけだ。自分の思想から抜け出せないのだ。

そもそも人権という概念は中世ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人が考え出したものだ。ユダヤ人はヨーロッパ各国に住んではいたが社会的規範からは独立していた。法律は守っただろうが自分たちの宗教的生活は頑なに変えようとはしなかった。そのため差別され迫害されたのだ。しかしユダヤ人だと言うだけで土地を買うことや就学することや就職することを邪魔されては生きていけない。そこで全ての人間には最低限保証されるべき権利があると言い出したのだ。それが時代と共に通念となった。

国際連盟の人権擁護機構などは正にユダヤ的な発想で謂われ無き差別や迫害を監視している。日本では宗教差別や人種差別は起きない。もちろん国家レベルでの話しだ。共産主義者でさえ合法的に活動しているくらいだ。人権派の活動など最も不要な国だ。本当に人権を守りたいと活動しているなら中国や朝鮮に行くべきだろう。イスラム圏でも良い。毎日のように人権が無視され謂われ無き差別や迫害が起きている。そういう国に行こうともせず、最も人権侵害が少ないであろう日本でしか活動しない人権派など偽善でしかあるまい。

特に共産中国ではチベットやウイグル自治区で民族浄化などの非道が行われている。それこそチベット人やウイグル人達の人権は漢人に無残に踏みつけられているのだ。人権派を自称したり研究しているのなら共産中国の批判をしたらどうか。北朝鮮でも国民の人権は無いに等しいだろう。是非とも共産中国や北朝鮮の非道を街頭で訴えて欲しいと思う。世界に発信するべきだろう。テレビで大いに非難すべきだ。違うか?