新天皇は126代目

戦後共産主義にかぶれた輩は自分が日本人であることを呪うようになった。大江健三郎がその代表だが、日本を呪いながらちっとも日本から出て行こうとはしない。どういう神経なのか全く理解できない。日本人でありながら反日活動をしている輩の神経も理解不能だ。自分の出自を呪うならさっさと他国に帰化すれば良いのにと思う。余計なお世話だが・・。

日本人なら自分の国の神話や伝承などを普通に信じて良いのではないかと思う。誰でも自分が属している民族や国柄は誇りにするのが自然だ。呪うなど気でも違ったのかと思う。自分たちの先祖がたとえ悪いことをしたとしても、そのことを正当化する方が自然だろう。あえてさらけ出す必要など無いはずだ。まして自分たちの子孫にことさら教え込むなど狂気の沙汰である。

日本の共産主義者やそのシンパは狂気としか思えない行動を取っている。日教組の教師などは正に狂気の沙汰を日常的にしているのだ。自分たちの属する国の歴史をことさら悪く子供に教えている。あるいはしたり顔で「反省が必要なのだ」とまるで他人事のように言いつのる。日本人でないなら別に不思議ではない。外国の思惑で活動しているのなら多少理解もできる。おそらく日本に住みながら既に日本人を捨てているに違いない。だから反日行為を平然とするのだろう。

初代天皇である神武天皇の存在なども、日本人なら素直に信じれば良い。何の不都合もないはずだ。嘘だとかデタラメだとか言う輩は日本人ではないのだ。学問として古代天皇を研究しているのならいろいろな見解があってもいいだろう。しかし研究者でもないなら信じていれば良い。なぜなら日本人にしか関係の無い事柄だからだ。他国の人や他民族にとってはどうでも良いことだからである。

宗教の教義はその信徒にとって神聖なもので、異教徒にとってはどうでも良いものである。あるいは邪悪なものかもしれない。歴史的に偏狭なキリスト教徒などは異教徒に教義を貶されたり無視されると腹を立てて異教徒を殺しまくってきた。秀吉や家康が禁止したのはそういうキリスト教徒の偏狭さを見抜いたからだ。もちろん日本には既に神が存在していたからでもある。

日本人でありながら日本の古くからの言い伝えや神話などを、ことさら無視したり貶したりするのは不自然極まりないことである。キリスト教徒がキリストを「ただの人間だ」と言うに等しい。ユダヤ教徒ならキリストを神の子とか救世主とか思わないのは不思議ではない。同じように朝鮮人や中国人が日本の神話を否定するのは不思議ではない。朝鮮人は昔日本と戦争をして勝ったと思っているそうだ。正しいかどうかは別にして彼らには彼らの言い分があるものだ。

日本には営々として天皇という国民の平安を祈る君主が存在している。初代神武天皇から数えて126代目の天皇が今年誕生する。日本人なら祝福すれば良いことである。なぜならそれが日本人というものだからだ。