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天変地異と日本人

その昔日本人は天変地異を怨霊の仕業と信じていた。この世に恨みを残した高貴な人々の怨霊が祟って、地震や噴火や暴風雨、雷をこの世に起こすと信じていたのだ。疫病もその一つであった。

それら天変地異を鎮めるには怨霊の元を慰めて崇拝しなければならない。怨霊の鎮魂こそが祭り事の始まりだったのである。日本列島は火山の上にある。山の噴火は山の神の怒りが原因だ。科学的にはいろいろ解明されてはいるが、いつ起こるかは未だにわからない。人智を超えたものが天変地異なのである。いくら科学が進歩しようと、自然を人間が予想したり操作したりなど出来はしないのである。

西洋人などの一神教徒は創造主が全てを作ったと信じている。自然も神の創造物だ。そして人間が最後に作られ、自然を支配するよう祝福したと信じている。自然を征服することが人間の権利だと信じているのだ。だから自然破壊も動植物を生かすも殺すも自由だと思っている。

日本人は古代民族だ。自然を崇拝し恐れ感謝してきた。樹木を利用したら必ず植林して元に戻すことを欠かさなかった。動物を食料にした時は慰霊碑を建てて魂を慰め感謝してきた。食事をするときも神に捧げたものを頂くので「いただきます」と言う。動植物の命をもらうので「いただきます」でもあるのだ。こう言う風習は古代では普通に行われていたものだが、近代国家では日本だけである。

草津の本白根山が三千年ぶりに噴火した。噴火で死傷者が出たが不運としか言いようがない。誰のせいでもないからだ。予想ができなかったのかとか、安全策に手落ちはなかったのかとか、したり顔で言う輩がいるかもしれないが、それこそ不遜というものである。天変地異は人智を超えているのだ。人間などに解るわけはないのである。自然を敬い恐れ感謝し、災害に逢った人には慰めを言うほかはない。

現代の日本人は天変地異を怨霊の仕業とは思っていない。しかし自然の営みは人間の知恵などで制御できるものではないことは知っているはずだ。一神教徒のように自然を征服できると信じる日本人がいるなら、もはやその者は日本人ではない。

これからも地震や噴火、津波や台風など天変地異は必ず起きる。被害に逢うも逢ぬも運次第だ。運が良ければ感謝し、運が悪ければそれまでと諦めるしかない。運が良かった者は運の悪かった者を慰め、助けることである。そう言う日本人の行動が世界を驚かせている。一神教徒は運の悪かった者を負け組などと蔑み遠ざける。あるいは弱みに付け込む。日本人はそういう人種になってはならない。

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