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政治不信を煽る者

松本清張の小説は中学生の頃に出会って以来愛読してきた。既に50年になろうとしている。清張没後25年も経っているので新刊はないがどれも珠玉のものだと思っている。しかし清張の思想には共感できるものはあまりない。清張は共産主義シンパだったからだ。それでも小説としての出来は素晴らしいものだったと思う。現在の推理小説はあまり読まないが清張の亜流が多いと思う。特に清張直後に世に出た推理小説家はほとんど清張の亜流に過ぎない。

清張は40歳を過ぎてから世に出た。しかしその作品数は膨大なもので、推理小説界だけでなく文壇では「巨人」と言われていた。そのためもあって功罪は計り知れない。作品の出来は良いものが多いので罪の方が多いかもしれない。それは「政治不信」や「知識階級への不信」を世に広めたという罪だ。清張の執筆動機には貧富の差に対する怨嗟の念が強い。また権力者への不当に近い不信感が強いのだ。若い時の貧困や不当な扱いを受けた経験が彼の精力的な執筆の原動力となっているからである。また女性に対する不信感も清張の作品からは強く感じられる。これは理由がわからない。余程手ひどい失恋でもしたのだろうか。または母親に対する不信感が原因かもしれない。何れにしろ清張作品に出てくる女性はあまり良くは描かれていない。

清張の推理小説の犯人には役人や政治家、社会的地位のある人物が多く、殺人の動機が保身という新しい分野を開拓したことで人気が出た。それまでの探偵小説の殺人動機はほとんどが金銭か復讐だったからだ。アガサ・クリスティーの小説の犯人も財産目的か復讐または嫉妬の何れかが殺人の動機として描かれている。清張以後の殺人の動機は保身ばかりになった。だから亜流だというのである。

清張の作品が良い出来であればあるほど、犯人として登場する政治家や高級官僚などが保身に走る姿に現実味があって面白いのと同時に、それらに対する現実的な不信感が増長されていった。これに共産主義が絡めば、格好の現体制批判に応用できる。体制批判をすることが至上命題だったマスコミがこれに飛びついた。清張以後、社会悪と言えば政治家や高級官僚と相場は決まっていた。政治不信や行政不信はフィクションを越えて常識的になっていった。

私自身が高校生のころまで政治家や高級官僚は悪いことを普通にしているものと思っていた。しかも権力者が悪いことをしても隠蔽されてしまうものと思ってもいた。清張の作品にも小役人が犠牲になり上司やその上の官僚や政治家はしらばっくれてうやむやになる話もあって、実際はそんなものかもしれないという思いがあった。だからロッキード事件で田中角栄が逮捕されて本当に意外だったのを覚えている。既に清張作品はフィクションを越えていたのだ。

清張の作品はフィクションだ。それでも描き方に現実味があって説得力もあった。清張自身も実際の事件を推理することを精力的に行ったのでなおさら作品に凄みも出た。「昭和史発掘」などでは実際の疑獄事件や収賄事件、あるいは未解決事件を推理している。実際の事件推理では清張の思想が色濃く出るので共産主義的発想から間違った推理も多い。下山事件などの国鉄がらみの事件推理はその典型だろう。朝鮮戦争をアメリカの策謀と考えていたために間違った結論を出している。

何れにしろ清張が広めた社会的地位の保身目的という殺人動機は、瞬く間に社会に浸透していき、現実の政治家や高級官僚への不信感を増長させていった。この現象は共産主義者にとっては実に好都合であった。政治家や高級官僚に最初から悪いことをする輩というレッテルを張り、現実の政治不信に民衆を誘導したのだ。朝日や毎日などの大手マスコミがその手先となった。昨今でも総理大臣が関与したに違いないという憶測を記事にして、現体制を批判するという愚かなことを朝日や毎日などの大手マスコミが行って、現実を知っているネット民からは冷ややかな批判を浴びた事実がある。

しかしこうした共産主義者の体制批判や反日左翼マスコミの愚かな行為を真に受ける勢力もあるのだ。自分で考えずマスコミや権威者の言に左右される愚民は実に多いのである。特に戦後の共産主義教育にどっぷりと浸かってしまった世代は、事実や現実を見ようとはしない。彼らにとってはマスコミが見せてくれる風景が現実なのだ。愚民も勢力によっては無視できない存在となる。民主党に3年間も政権を与えた愚民勢力は今後も無視できない。常に共産主義者の策謀を世に知らしめ、反日マスコミの活動の裏を暴露していくことが日本にとって非常に重要なことである。

政治を司る者は益々世襲化している。世の不信感が強まればなおさら政治家や公務員は世襲化する。なぜなら家族にしか事実は解らないからだ。警察官や自衛官が世襲になっているのが良い証拠だろう。公務に携わる価値を正しく認識させるには教育しか方法がない。子供の時代に公務に携わる価値を教え込んでこそ政治家や公務員の質は高められる。「面従腹背が座右の銘」などと恥ずかしくもなく言い放つ役人が出るようではこの国も危ういと思い知ることだ。