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日本人の劣化3

日本が中世階級制度を破棄して国民国家になった明治時代だったが、依然として階級は存在していた。皇族、貴族、華族、平民という階級だ。皇族と貴族は昔からの家柄で支配階級であった。華族は明治維新に貢献した武家から新たな階級として創設されたものだ。その他は全て平民となった。

議会は貴族院と衆議院で構成された。貴族院は貴族と華族で構成され、衆議院は平民の代表者が選出されて構成された。選挙権は当初納税の過多で決められていた。実に合理的な考え方だ。納税をしていない者が政治に関与する資格はないという考え方である。なぜなら議会で決めるのは税金の使い方だからだ。選挙権は歴とした権利として認識されていた。

国民の教育が進み選挙民としての自覚が熟成したと判断されてから選挙権には制限がなくなった。女性の選挙権も認められるようになって本当の意味で国民総参加の政治が始まったと言っていい。しかしその質の高低は教育に委ねられた。人間の質は教育によってのみ形成されるものだ。特に家庭における教育が鍵を握っている。

例えば人間として恥じるべきものは何か。生きる上で重要なことは何か。礼節や高潔な価値観を身につけるのは家庭において教育する以外にないものなのだ。日本人が世界に誇れる民度は全て家庭教育の成果なのである。だからこそ皇族を始め貴族や華族は支配者階級としての自覚を家庭で教育して伝統としてきた。血筋が重要なのはそうした伝統なのであって単なる血の繋がりではない。

ちなみに日本では伝統的に子供には「嘘をつくな」「迷惑をかけるな」と教育してきた。だから自動販売機は深夜でも道端に普通に置いてあって盗難にも合わない。忘れ物も普通に届けられて戻って来る。朝鮮や中国では「負けるな」「人を信じるな」と教える。だから損をすることは負けることに繋がって、価値観は「損得」となる。子供の頃から人間不信だから嘘を平気でつくようになる。これだけでも民族性に違いがあるのだ。

近世血筋の伝統を嫌悪し、貴族階級を搾取階級とする思想が生まれた。事実中世ヨーロッパでは貴族階級は地主として民衆から搾取する階級であった。日本でも心得違いをする上流階級者もいただろう。ヨーロッパの平等思想は日本にも流入した。社会主義者や共産主義者が日本でも生まれ、貴族の中にも思想にかぶれる者が出た。文学者に多く見られる平等思想は広く国民に浸透するに及んだ。しかし共産主義だけは現政治体制を転覆させる革命思想に繋がるものとして非合法化された。自由主義国に見られる当然の処置だ。

ところが日本では対米英戦争敗戦後、占領米軍によって一気に身分制度が破壊された。貴族や華族は廃止され、皇族以外は全て平民となったのだ。共産主義まで合法化され、特に公務員の労働組合が結成されて、平等思想は凄まじく国民に流布されていった。旧体制派の公職追放で政治の中枢や大学教授などの知識階級には共産主義者が就いていった。そのため高等教育で共産主義者が育成されるという事態になった。

由々しき事態なのは政治の中枢や高級官僚に社会主義者や共産主義者が居座ることになったことだ。皇室に対する崇敬の念を持たない者が皇室の命運を握る事態になっているのだ。

共産主義は歴史的伝統を破壊することを最も重要な使命とする思想だ。そうしなければ完全な平等社会は生まれない。特に身分に関する伝統は血筋を絶やさなければ一掃することはできない。だからヨーロッパの王朝貴族は皆殺しになった。日本では皇族を皆殺しにしなければ共産社会は生まれない。しかし日本の場合、皇族だけでは済まない。なぜなら日本の貴族は皇族の子孫が大半だからだ。貴族だけではない。元武家は皇族の子孫なのである。これらを絶やすことなど不可能と言って良い。

しかし今の日本人はこうした歴史や伝統をすっかり忘れている。戦後教育はこうした歴史や伝統を忘れさせるために施されてきたと言って良い。日本の共産主義者は日本の伝統を破壊するために一番重要な家庭教育を放棄させようとしている。家庭を破壊する思想の代表は夫婦別姓やジェンダーフリーである。これらを唱える者が自覚しているいないに関わらず、これらの思想は結果的には家庭崩壊を生む。

元NHKアナウンサーの下重暁子が書いたという「家族という病」という本がある。下重は崩壊しかかっている現代の家庭を憂いて個人として自立すべきだと言っている。家族も所詮他人の始まりだという思想だが、元軍人を父に持つ著者の経験から敗戦後の堕ちた英雄に失望し、戦後の共産思想の影響を受けて家族が鬱陶しいものになったようだ。自覚はしていないようだが彼女の思想こそが共産主義の恐ろしさなのである。

家族は人間社会の最小単位だ。親子兄弟は上下関係の始まりである。アメリカでは兄弟に上下関係はない。能力で関係が出来る。親子でも上下関係ではなく師弟関係である。指導できない親に子は従わない。それも能力の問題とされる。日本では伝統的に親は子の指導をする義務を負っている。兄弟も年上のものが年下の指導をするように教育される。アメリカにはそうした伝統はない。

戦後の日本は自国の伝統を無視してアメリカ流をカッコいいと思う者が出てきた。しかし言語からして違うのが伝統というもので、言語は人間関係が重要な要素になっている。日本語では上下関係を表す言葉が最初からある。男女でも言葉が違う。男女の違いは言葉にも表されている。それは男女差別とは関係ない。違いがあるから違うのだ。男が使う言葉は断定的で強い調子だ。「そうだ」「違う」「良い」などだが、女言葉は優しい言い回しだ。「そうね」「違うわ」「いいわ」などだ。これが男女の違いなのだ。当然社会に対する役割も自ずと違うと考えてきたのが日本人なのだ。

ウーマンリブなどは女が無視され続けてきたアメリカだからこそ生まれた運動だ。なぜなら旧約聖書の世界では女は男の肋骨から生まれた存在だからだ。聖書を信じている敬虔なクリスチャンこそ女は男の一部という思想を持っているのだ。アメリカでDVが無くならず妻が夫に殺される事件が頻発するのは聖書を信じているからなのである。特に娼婦が数多く殺されるのはキリスト教国の特徴である。

アメリカでは伝統など高々数百年だ。男女の違いなどは無視されてきた。言葉に女言葉がないのも証拠の一つだ。女は回りくどい言い方をするだけだと言う。大人と子供の言葉にも違いはない。敬語は語尾にsirかmamをつけるだけだ。だから親子も友達のようになるのだ。親をファーストネームで呼ぶのも言葉に違いがないからである。親を尊敬している子はアメリカでもファーザーとかマザーあるいはダディーとかマームと呼ぶ。

日本のように2千年以上の歴史のある国はその伝統が民族の血の中に染み込んでいる。日本人は本人が好むと好まざるとに関わらずその伝統の中で生きている。親を名前で呼ぶ子は決して親を尊敬できない。親が指導者の権利も義務も放棄しているからだ。必ず親を軽蔑する日が来る。それが日本人の民族性というものだ。なぜなら子供が成人になったら社会に矯正されるからだ。上司を呼び捨てにする部下はいない。社会に矯正された子供は親を恨むことになる。もしくは悩むだろう。日本における社会人としては失格だからだ。それは親のせいだからである。

自分が日本人かどうかを知るにはチェックする方法がある。次の3点をチェックすると良い。

1自分専用の箸と茶碗を持っている。
2鳥居のあるところにゴミは捨てられない。
3親の名を呼び捨てにするのは気が引ける。

3つのうち一つでも違うことがあったら日本人としてはかなり劣化している。もし3つとも違っていなくて不思議だと思うなら歴史を勉強し直すことだ。自分が何者なのか。日本人とはどういう民族なのか。歴史を正しく勉強し直さなくてはわからないほど今の日本人は劣化している。

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