Monthly Archives: 10月 2017

2810月/17

日本人の劣化2

路上に無人の自動販売機が常にある光景は日本だけだと云う。他国では例外なく壊されるか盗まれるので置くことができない。日本人の民度の高さを象徴する話だが、もっと凄いのが田舎にある無人の野菜販売所だ。

日本では農家の道路側出入り口や畑の道路上に無人で野菜を売っていることがある。欲しい人は野菜の代金を置いてある代金箱に入れていくのが決まりだ。大抵100円均一である。これなどは外国人が見たら奇跡だと思うに違いない。日本が神の国と言われる所以である。

日本人のこうした善行は江戸時代に培われた。言行不一致が世界では常識ともなっているが、江戸時代の武士道は言行一致を旨とした。その文化は武士だけでなく庶民にも広く浸透して、商人なども正札と称する適正価格で売ることを常としていた。日本で値札を値切って買わないのは戦前までは常識だったのだ。だから安売りは半端物や不揃い品、中古品などに限られていた。

戦後は日本人の劣化が始まった。GHQの策謀が根底にあったことは事実だが、日本人自らが自分たち自身を貶めてきたのだ。主犯は日本人の共産主義者である。教師やマスコミ、役人に入り込んだ共産主義者が日本を共和制にするために、戦前の日本を暗黒時代だったかのように貶め、現行体制を批判して日本という国を共産主義国に売る働きをしたのだ。その状況を易々と受け入れてきた愚かな日本人も多く存在する。特に団塊の世代は罪が重い。

昨今のニュースで日本人の劣化が散見されるようになって久しい。子供を虐待して殺してしまう母親や継父などはその典型だ。戦後教育で個人の権利を主張することだけを教えられ、義務を忘れて個人の欲望に走る日本人の劣化した姿である。戦後はアメリカに倣って、自己主張をすることが善とされ、他のために自己を犠牲するなど愚かなことだと教えられてきた子供が多い。そんな子は大人になって欲望のためにだけ生きるようになった。金が一番という価値観も平然と口にするようになった。誰でもいいから殺したいなどと言いながら本当に殺してしまう不可思議な若者も出る始末だ。

また、震災の被災地で弱みに付け込んだ土地家屋の高騰や、空き巣が増えたりしたのも劣化の現れだ。言行不一致の政治家やマスコミの卑怯な偏向報道なども劣化の最たるものである。報道を生業とする新聞社が紙面を使って政治活動を平然と行い、捏造記事まで掲載するに至っては言語道断である。朝日、毎日、東京と地方の各新聞社は三流のゴシップ誌となんら変わらない劣化を起こしているのだ。しかもそれを今でも一流と思っている団塊の世代などが後押ししている為体だ。

安売りを売り物にしているスーパーチェーンなどは、適正価格とは何かをすっかり忘れている。そこで売られている製品のメーカーも、適正な小売価格を設定できないといういい加減さがある。そして人件費の安い国で生産した物を持ってきて安くするという新たな植民地政策的なメーカさえ多い。日本人もそれらが当たり前のように感じてしまっている。

最近のニュースで農家の無人野菜販売所に監視カメラが設置されていて、代金を払わずに野菜を持っていった人物の写真が張り出されているというものがあった。ついにここまで落ちたかという思いである。小学6年生に透明人間になったら何がしたいかと聞いたら、殺人や盗みと答えた者がいたというニュースを聞いた時と同じ殺伐とした思いがある。

1日も早く学校教育を戦前のレベルにしなければ我が国の人心の劣化は食い止められない。そのためにも憲法を改正するべきである。もっと義務を強調したものにすべきだ。国を守る義務や公共の福祉のための自己犠牲も加えるべきである。刑法にも禁固刑や罰金刑などより奉仕活動の義務を入れるべきだ。金を払えば服役を免れるなどは全く不要なものである。罰金よりも奉仕活動をさせるべきだ。この辺りだけはキリスト教国に倣っても良いと思う。

1810月/17

江戸時代に見習え

この記事は去年別のBlogに投稿したものだが、再掲することにした

江戸時代は支配階級の武士が質素を旨として、権力に富はつながっていなかった。現代の時代劇に登場する悪代官や悪徳商人の越後屋はフィクションでしかない。武士が金儲けに奔走したことなどないのだ。物質的豊かさは決して人間の真の幸福感には繋がらないと日本人は考えてきた。なぜなら際限がないからだ。武士階級は精神的な豊かさを追求していた。支配階級だけではない。庶民にも豊かさに対する欲望より粋や伝統や人情を重んじていた。金持ちが尊敬されたり妬まれたりすることなど決してなかったのだ。儒教の影響もあってのことだ。
西洋の価値観は物質面に偏りすぎている。物質的進化は人間の退化を生んできた。車は運動不足を生み、飽食は肥満を生み不健康を招き、コンピュータは物忘れを招く。パソコンやスマホで調べ物や文章を書いていれば漢字が書けなくなる。
人間にとっての究極の幸福感は生き甲斐や使命感の達成にある。人間はたかだか数十年しか生きられない。その間にどんなに美味なものを食おうと、どんなに楽をしようと、どんなに着飾ろうと、人の役には立たないし、自己満足だけで終わってしまう。
人間は諸動物と違ってただ生きて、命を繋いでいくことだけが目的で生まれてきたわけではない。人間だけが生まれてきた目的、すなわち生き甲斐を自分で見出せる存在だ。人それぞれ目的は違っているかもしれない。ただ食うために生きている者もいるだろう。着飾るために生きている者もいていい。だが全ての人間が食うためや着飾るために生きていては人間の真の進化はないだろう。
西洋人は、精神文化は物質的豊かさに裏付けされて初めてなるものだと考えてきた。だから文化は貴族が作ってきたのだ。しかし日本だけは違っていた。武家が支配者階級になってからは文化は庶民からも生まれている。それが可能だったのは日本という国が2000年もの間、同じ文化文明を維持してきたからなのである。
西洋の文化文明は数百年単位で変わってきた。故に豊かさは物質的なものに偏ったのだ。なぜなら支配者が変わるたびに以前の文化文明は破壊されてきたからだ。一から作り出すためには物質的な豊かさがまず必要だった。だから富は権力者に偏った。それが権力者と被支配者との対立を生んだ。革命思想はそこから生まれてきた。
しかし日本には支配者と被支配者という対立は無いに等しい。貴族が支配階級だった時代は西洋とたいして変わらないが、武家が支配者になった時代からは支配者に富が偏ることがなかった。だから革命思想など生まれなかったのである。
江戸時代以前が暗黒の時代だったなどと共産主義者がする歴史解釈は捏造以外の何物でもない。時代劇の作り方も現代の価値観で作っているから権力者が金儲けに走るのは当然のように描くが、江戸時代の武家は儒教の影響で金銭を穢れた物として忌み嫌っていたのだ。給料を米で払っていたのもその表れだ。貧しくなると商家から借金をしていた。商家は税金を取られなかったので裕福だったのだ。支配者階級が庶民から借金をしていた国など日本以外にはない。支配者階級が質素を美徳としていたため庶民に不満はなかった。これが支配階級の資質というものなのだ。だから300年間も平和が続いたのである。
現代の日本文化のほとんどは江戸時代に完成しているものばかりである。伝統を重んじ、粋を追求し、世界の芸術家や好事家を魅了する美を残している。技術も世界的なものを残してきた。ほとんどが庶民から生まれたものだ。
労働を疎まず勤勉に働く日本人は江戸時代に形成されてきた。日本は昔から労働者の国なのだ。今もほとんどの人々がサラリーマンではないか。西洋のキリスト教的原罪思想では勤勉さなど生まれない。日本人は仕事が生き甲斐だ。休みなど時々でいい。
額に汗して働かないものが支配している西洋と違って、日本は世界に誇れる格差のない社会を形成しているのだ。今更労働者革命など何の必要があろうか。欲望のみを追求する西洋の価値観など日本人には無用である。
戦後のアメリカ的価値観など捨ててしまえと言いたい。江戸時代に見習うべきである。

最近都心に久し振りに出て、初めて行く場所をスマホで調べた。スマホのナビアプリはとにかく便利だ。車でもナビで案内してもらえば迷うことが無い。しかし地図を見ながら道順を覚えたり、辞書を引きながら漢字や言葉の意味などを覚えた時代と違って、覚えなくても済むので脳は明らかに退化している。それが進歩、進化だろうかとふと思う。