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朝鮮人に謝ろう

百田尚樹氏が書いた本がアマゾンでベストセラーになっているという。「今こそ韓国に謝ろう」という本だが、まだ読んでいないので内容については詳しく知らないが、見当はつくので付け加えたいと思う。

我が国が朝鮮併合をした36年間というもの、実に余計なことをしたと私もつくづく思う。

百田氏が書いているかどうか知らないが、特に奴隷解放をしたことなどは誠に余計なことだった。朝鮮は李朝500年の間、両班という、およそ国民の8%だった高級官僚族が貴族として国を仕切り、仏教を排して儒教を国教としていた。だから女は男の持ち物とされ名前も必要なかった。身分は誠に細かく分別され、最下層は売り買いの対象となった奴隷だった。もちろん生かすも殺すも持ち主の自由だった。およそ国民の45%近くが奴隷階級だったという。奴隷よりも少し上の身分の者も、最下層がいるので腹いせに奴隷を殺す楽しみもあった。奴隷は殺しても罪には問われない。なにしろ持ち物なのだから。そういう意味では嫁も貰ってしまえば持ち物だから、殺したって罪には問われなかった。未亡人という言葉は儒教的に「夫が亡くなったというのに未だに死にもしない妻」という意味だ。妻は夫に従うものだから、夫が死んだら一緒に墓に入ることが当然と言われたのだ。それで家族に殺された妻は多かったのだ。

人間、楽しみを奪われれば怒ってもしょうがないと思う。日本は明治維新に倣って、勝手に朝鮮の身分制度を撤廃してしまった。奴隷以外の朝鮮人たちは相当怒ったに違いない。貧乏な農民さえこき使っても許された奴隷に、名前まで付けることを許して自由にしてやるとは。日本に渡って暮らそうと思った元奴隷階級者は、その後在日朝鮮人として特権を貰うことになった。まったく日本は余計なことをしたものだ。

むごたらしい死刑や拷問の類も勝手に廃止した。なにしろ娯楽があまりなかった国柄だから、見せしめの死刑などは国民の楽しみでもあったのだ。悪い奴は八つ裂きにして楽しんだのに、手足を切り落として八つ裂きにするのは残酷だなどと日本はむごい死刑は廃止してしまった。朝鮮人の楽しみを奪ったわけだ。

その他余計だったことは、日本は朝鮮人を人間として、民族として同等の扱いをしてきた。李朝の王族を我が国の皇室に準ずる待遇をした。これも朝鮮人にとっては失礼な話だったのだ。国の位置づけは朝鮮のほうが日本より上なのだそうだ。それを同等とは何事だと怒らせた。国立大学も大阪、名古屋などより早く作ったりした。義務教育の学校もいっぱい作ったが、そこでの教育もまったく余計だった。なにしろ漢字の文献しかないし、国民の大半は読み書きができなかった。ハングルの文献などなかったので、仕方なく日本語とハングルを一緒に教えた。科学の文献は日本語のものしかなかったのでそれで教えた。しかし日本語は何の役にも立たなかった。まったく勝手で無駄なことをしたものだ。深く反省しなければならないと思う。

実は日本人は江戸時代から朝鮮には勝手で無駄なことを結構しているのだ。朝鮮使節が来るたびにいろいろな技術を教えてきた。朝鮮ではその技術が一度も役に立ったことがない。身分制度のせいで技術者の地位が低かったからだ。貴族に教えればよかったが、貴族は体を動かすことさえ下品だとしていて教えることができなかったのだ。まったく余計なことをしたものだ。

特に特権階級の貴族から特権を奪った罪は許し難いものだろう。なにしろ労働は下品な行為として、食事さえ箸や茶碗を持たせ食いしていたり、たばこも持たせ吸いだった貴族に、これからは自分でやれと言ったのだから怒って当然だ。今では風習として茶碗を持たずに食べる行為が上品とされている。日本人も少しは見習ったほうがいいかもしれない。茶碗を手に持って食べるなど下品なことだとは日本人は知らないだろう。

台湾でもインドシナでも日本は余計なことを数々してきたが、不思議なことにそれらの国々からは非難されることは少ない。しかし朝鮮人たちは誇り高い民族らしいから、余計なことをしたと謝るべきかもしれない。なかなか許してもらえないがお詫びをし続けるしかないだろう。私も百田氏の意見に賛成だ。