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読まずに反対する愚者

60年、70年安保闘争に狂奔した学生運動家たちはろくに日米安保条約を読みもしないで反対運動をしていた。「憲法を守れ」と言って、もっともらしいことを言う輩も、憲法をよく読んでなどいない。中身も知らずに反対だの守れだのと主張する輩は、反対のための反対、変更したくないための運動をしているだけである。

現行の日本国憲法は対米英戦争に負けた後、アメリカ軍に占領された際に大日本帝国憲法を改正したものだ。軍事力で占領されて強制的に改正されたもので自主的に改正したものではない。特に主権を変更しているので由々しき問題を含んでいる。改正の手続きも意図的に困難な設定に変更してあったためその後の政府も追認するしかなかった。「強制的であれその後追認しているのだから自主的なものと言える」という護憲派の論はご都合主義的なものでしかない。改正そのものに反対するなどは論外である。憲法も法律も改正は行って当然のことである。改正にすら反対するのは民主主義者ではない証拠だ。

憲法9条は戦争放棄をうたっているが、軍事力保持や国の交戦権を全面否定しているため、自衛のための軍事力や国の交戦権を認める内容にしないと自衛すらできない状態だ。現実の自衛隊が憲法違反になりかねない状態で自衛などできるはずもない。電子兵器やミサイルが主体の近代戦で専守防衛など絵空事でしかない。先に撃たれたらそれで終わりだ。今の自衛隊は先に撃つことができないので戦力など意味がない。もし先に撃ったら憲法違反だし、殺人罪に問われかねないのだ。そんな状態で国防などできるはずもない。少なくとも、明らかに領土侵犯や領空侵犯があったら攻撃できるようにしておかなくては国防にならない。

こういう子供でも分かる話が、憲法改正に否定的な人々には解らないのか、解ろうとしていないのか。戦争に反対することと国防をすることは矛盾していることではないのだ。戦争をしないようにするからこそ国防を固めておかなければならないのだ。戦争をしないのと出来ないのとでは雲泥の差である。我が国が戦争を放棄しているから北朝鮮は平気で日本人を拉致したのだし、ミサイルも撃ってくるのだ。国家の武装は個人で言えば防犯のための鍵や警報装置や監視カメラの設置と同じだ。北朝鮮や共産中国のようなならず者国家がある限り、国防のための武装は怠るわけにはいかない。今は米軍に頼って国防をしているが、そういう現実を理解しようとしていない人々が多いのではないか。憲法の文面が平和を守っているのではないのだ。共産中国が尖閣列島を狙っていることは明白な事実だが、なかなか手が出せないのは沖縄に米軍がいるからである。沖縄の米軍反対運動家のほとんどは共産中国の工作員か、共産中国に金で雇われた輩なのだ。そういう事実をよく知ることだ。

よく読まずに反対する例をもう一つ。「教育勅語」と「修身」だ。
教育勅語は明治天皇が国民に対して教育の基本を説いたもので、先祖が残した教訓を大切にするように諭したものだ。

現代語訳にすると明治時代の道徳心を説いた文言で、非常に優れた君主からの教訓であることがわかる。

主権が君主にあった時代のことだから、国民に憲法を重んじ法律に従い、皇室の運命を助けよという文言も別に不思議ではない。

国民が守るべき道徳と法律、もし危急の事態には公のために奉仕するように諭した文言も君主として当然のことである。

こういう文章を読みもしないで批判する、もしくは時代背景を考えもしないで批判するなどは不勉強、不徳の極みだ。

共産主義者は天皇がどんなに立派だろうが滅ぼすことしか考えていないから批判するが、共産主義者ではないなら、ちゃんと文章を読んで自分で考えるべきだろう。修身は人間としての道徳心を教えるための書で、どこを読んでも正しいことが書かれている。これらも読みもしないで批判するのは共産主義者なら当然だが、そうでないならちゃんと読んでから批判するならするべきだろう。