Monthly Archives: 5月 2017

315月/17

「河野洋平」という恥知らず

改憲に反対していたという元自民党総裁だが、自民党の綱領である「改憲」に反対していた自民党員など裏切り者としか言い様がない。「獅子身中の虫」という言葉があるが正に彼のことだ。

そもそも自民党を脱退して何とかという新党を打ち立て政界をのし上がった人物だ。新党の勢いが落ちると又自民党に復党した。無節操を絵に描いたような男だ。その言動は反日そのものでいつでも中国の代理人だった。慰安婦の問題は彼の言動の後始末だ。それを今でも厚顔無恥に自己弁護している。戦後の中国代理人は数々いるが、旧社会党員と共に、河野洋平はその代表だ。

戦後の日本人はこういう男や、あからさまに中国の代理人を表明していた旧社会党員に政権をゆだね、自分たちを貶めてきた。自分で自分を守れないような決まりを後生大事に有り難がってきたツケは、まだ数十年間払わなければなるまい。争いを好まないのは良かったが、いつでも問題を先送りにして、にっちもさっちもいかなくなってから武人に戦いを強いた政権は、平安時代の貴族政治と何も変わらない。武家が政権を取っていた時代はこういう無様な事態は起きなかった。

誤解のないように言っておくが、明治時代はまだ武人が政権を取っていたのだ。日本の武人は争いは好まなかったが問題を先伸ばすことはなかった。戦いは直接の衝突前から始まっていることを武人は知っていた。愚かなのは戦いを知らない人種だ。資格試験に合格しただけの官僚が政権を取ってきた昭和の時代は、武人までもが試験で選ばれた似非武人が戦争を指揮した。だから純粋武人だったアメリカ軍に負けたのだ。しかもアメリカの武人たちはただの野蛮人だった。中世を経験していないアメリカに騎士道はなかったのだ。力で勝ったものが正義を言いつのるのが野蛮人の証拠だ。勝つためには非戦闘員を無慈悲に殺した。戦争犯罪を行ったのはアメリカ軍なのである。

中国も中世を経験していない古代のままの価値観しか持っていない。非道で無慈悲だ。支那大陸で無残な人殺しを重ねたのは同じ支那人なのだ。武士道を持って戦った日本陸軍は野蛮人の支那人に負けたことはないが、無駄な人殺しはしなかった。敗走しては繰り返し大挙して押しかける支那軍を蹴散らしただけだ。今でも共産軍は自国民に銃口を向ける。支那の共産軍は国防のためにあるのではない。共産党を守るために存在するのだ。だから軍隊を暴力装置と呼ぶ。

終戦時支那では100万の日本陸軍が健在だった。自ら武装解除した彼らをソ連軍が60万人も捕虜にしてシベリアへ拉致した。残った40万人のうち35万人は無敵の将軍・根元中将が率いた部隊が4万人の邦人居留民を守ってソ連軍と戦いながら生還したのを始め、無事祖国帰還を果たしている。5万人は共産軍に捕虜にされ惨殺されたが、わずかに生き残った者は洗脳されて帰国し、その後反日活動に荷担した。蒋介石率いる国民党軍は一度も勝ったことがない日本陸軍を後々利用しようと手を出さず、帰国の支援をして恩を売った。後に台湾に逃げ込んだ国民党軍を共産軍の追撃から救ったのは、蒋介石の呼びかけに応じて偽名で参戦して指揮を執った根元中将のおかげなのだ。

河野洋平はこうした歴史的事実を知ろうともせず、アメリカ軍に洗脳された罪悪感に縛られて中国擁護に明け暮れている。己の先祖に唾するような行為を恥じるが良い。不勉強を恥じるが良い。

035月/17

読まずに反対する愚者

60年、70年安保闘争に狂奔した学生運動家たちはろくに日米安保条約を読みもしないで反対運動をしていた。「憲法を守れ」と言って、もっともらしいことを言う輩も、憲法をよく読んでなどいない。中身も知らずに反対だの守れだのと主張する輩は、反対のための反対、変更したくないための運動をしているだけである。

現行の日本国憲法は対米英戦争に負けた後、アメリカ軍に占領された際に大日本帝国憲法を改正したものだ。軍事力で占領されて強制的に改正されたもので自主的に改正したものではない。特に主権を変更しているので由々しき問題を含んでいる。改正の手続きも意図的に困難な設定に変更してあったためその後の政府も追認するしかなかった。「強制的であれその後追認しているのだから自主的なものと言える」という護憲派の論はご都合主義的なものでしかない。改正そのものに反対するなどは論外である。憲法も法律も改正は行って当然のことである。改正にすら反対するのは民主主義者ではない証拠だ。

憲法9条は戦争放棄をうたっているが、軍事力保持や国の交戦権を全面否定しているため、自衛のための軍事力や国の交戦権を認める内容にしないと自衛すらできない状態だ。現実の自衛隊が憲法違反になりかねない状態で自衛などできるはずもない。電子兵器やミサイルが主体の近代戦で専守防衛など絵空事でしかない。先に撃たれたらそれで終わりだ。今の自衛隊は先に撃つことができないので戦力など意味がない。もし先に撃ったら憲法違反だし、殺人罪に問われかねないのだ。そんな状態で国防などできるはずもない。少なくとも、明らかに領土侵犯や領空侵犯があったら攻撃できるようにしておかなくては国防にならない。

こういう子供でも分かる話が、憲法改正に否定的な人々には解らないのか、解ろうとしていないのか。戦争に反対することと国防をすることは矛盾していることではないのだ。戦争をしないようにするからこそ国防を固めておかなければならないのだ。戦争をしないのと出来ないのとでは雲泥の差である。我が国が戦争を放棄しているから北朝鮮は平気で日本人を拉致したのだし、ミサイルも撃ってくるのだ。国家の武装は個人で言えば防犯のための鍵や警報装置や監視カメラの設置と同じだ。北朝鮮や共産中国のようなならず者国家がある限り、国防のための武装は怠るわけにはいかない。今は米軍に頼って国防をしているが、そういう現実を理解しようとしていない人々が多いのではないか。憲法の文面が平和を守っているのではないのだ。共産中国が尖閣列島を狙っていることは明白な事実だが、なかなか手が出せないのは沖縄に米軍がいるからである。沖縄の米軍反対運動家のほとんどは共産中国の工作員か、共産中国に金で雇われた輩なのだ。そういう事実をよく知ることだ。

よく読まずに反対する例をもう一つ。「教育勅語」と「修身」だ。
教育勅語は明治天皇が国民に対して教育の基本を説いたもので、先祖が残した教訓を大切にするように諭したものだ。

現代語訳にすると明治時代の道徳心を説いた文言で、非常に優れた君主からの教訓であることがわかる。

主権が君主にあった時代のことだから、国民に憲法を重んじ法律に従い、皇室の運命を助けよという文言も別に不思議ではない。

国民が守るべき道徳と法律、もし危急の事態には公のために奉仕するように諭した文言も君主として当然のことである。

こういう文章を読みもしないで批判する、もしくは時代背景を考えもしないで批判するなどは不勉強、不徳の極みだ。

共産主義者は天皇がどんなに立派だろうが滅ぼすことしか考えていないから批判するが、共産主義者ではないなら、ちゃんと文章を読んで自分で考えるべきだろう。修身は人間としての道徳心を教えるための書で、どこを読んでも正しいことが書かれている。これらも読みもしないで批判するのは共産主義者なら当然だが、そうでないならちゃんと読んでから批判するならするべきだろう。