たかまさ's WebSite

最近想うこと

最近とみに、本当に文明は進化しているのだろうかと想うことが多くなった。確かに文明の利器が増えて生活は便利になっている。しかし人類は進化しているとは思えないのだ。

不便さが努力の源なのではないかと思う。人間が努力しなくても済むように文明の利器は生まれているように思う。それは進化とは言えないのではないか。

早い話が、歩いたり走ったりするより便利なのが車だ。車に頼ると足腰が衰える。だからわざわざ健康のために歩いたり走ったりしなくてはならない。ワープロで文章を打ち込むのが便利だからと頼ると漢字が書けなくなる。スマホで検索すると便利だからと自分で文献を調べることをしなくなって、電池切れで途方に暮れるなど、など、人間自体は退化しているとしか思えないではないか。

自分で考えなくなって、人の意見やマスコミの意見に左右され、付和雷同する。現在の日本人は大半が退化しているとしか思えないがどうか。

自分で考えない輩は流行に左右され、週刊誌的ゴシップを信じ、マスコミに恐怖心を煽られては原発に反対したり、防衛強化が戦争に直結すると思い込む。ちゃんと考えれば原発は日本にとって必要不可欠のエネルギー源だし、防衛強化は共産中国のような野蛮な国がある限り必要であることは自明だ。

昔、評論家の大宅壮一は、テレビに夢中になる日本人を見て「一億総白痴化現象」と言った。最近、作家の佐藤愛子は「一億総アホの時代」と言っている。二人が言うのは、自分で考えない現象が甚だしいことを指しているのだ。

自分で考えるためには知識をじっくりと身につけなければならない。テレビや新聞などで見聞きすることは断片でしかないと知ることだ。書物も偏っては正しい知識にはならない。人がまとめた物はその人の意見でしかないと知らなければならない。

明治の偉人たちを生み出した教育者吉田松陰は、書物を読むときは著作者の人となりや経歴を知ることが重要なことだと塾生たちに言い聞かせている。共産主義者が書いた「世界平和論」は、戦争で自由主義者が死に絶えた後のことを書いていると知らなければならないし、宗教家が書いた「平和論」は異教徒には何の利益もないのだ。

自分で考えるには努力が必要である。知識も経験も自分から得ようとしなければならない。与えられているうちは自分で考えたことにはならない。面倒くさいと思ったその日から退化は始まる。