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テレビ不要論

テレビ番組を見なくなって久しいが、既に不要ではないかとさえ思う。不要というより昨今の日本のテレビ番組は害毒にさえ思える。

24時間チャリティーなどと銘打って芸能人が大挙して出演する番組が、視聴者にはチャリティーを要求しながら多額なギャラを出演者はもらうという詐欺のような番組だったり、偏向した思想でデマを垂れ流すプロパガンダ番組が横行していたり、国民の知る権利を代弁しているようなことを言いながら共産中国の侵略行為は報道しないニュース番組など、まるでどこか外国の番組でも流しているようなものばかりだ。

バラエティー番組は障害者をからかうような差別番組だったり、やらせばかりの番組だったり、知性を感じない馬鹿丸出しの番組が多く、視聴者をバカにしているようなものばかりである。ドラマも目新しいテーマもなく、昔見たことがあるようなものばかりである。何しろどのチャンネルを見ても同じようなお笑いタレントが司会をして、ニュース番組でさえお笑いタレントが偉そうな意見を言ったりする。

そうかと思うとバラエティーでなければどこも飽食番組ばかりである。日本にはお笑いと食い物しかないのかと思えるほどだ。教養のかけらも感じない。既にテレビは不要であろう。

最近はケーブルテレビで海外のドラマを見ている。中にはアメリカ人の野蛮さばかりが目立つ殺戮だらけの番組もあるが、知的好奇心をくすぐる番組が面白い。特に犯罪捜査を描いたドラマが多くあり、個性的な主人公たちが生き生きと活躍するのを見ていると、なぜ日本ではこういうドラマができないのかと情けなくもなる。

日本のテレビドラマは心理描写を誤解しているとしか思えない。映像で描くべきところを陳腐な台詞でお茶を濁すなど愚の骨頂である。日本映画が世界的になれない理由だろう。海外のテレビドラマは映画よりも濃密に人間を描く。数々のシリーズがそれぞれ10年も続いているものが多く存在する。それでいて一話完結だ。シナリオを練りに練っている証拠だ。

いつになったら日本のテレビ番組のクオリティーが高くなるのか、このままでは全く不要である。

ついでに言っておく。日本の映画が世界的になるには台詞がなくても見ているものが解るような映画を作ることだ。映画は映像芸術である。舞台劇ではないのだ。台詞など最小限度で良い。映像で描かなくて何が映画だと思う。日本には黒澤明という名監督がいた。黒沢が作った映画がハリウッドの映画監督を育てた。なぜ同じ日本人が黒沢を見習わないのか。映画には説教くさいセリフは不要だ。主人公が悲しむ場面で「悲しい」と台詞を言わせて何が伝わる。主人公が悲しむ場面で役者に笑顔を作らせて悲しみを描いてこそ映画であろう。笑顔で悲しみを表現してこそ役者と言える。泣いて悲しみを表現するのは大根役者だ。それでよしとする監督など無能としか思えない。怒りの描き方もしかりだ。怒っている役者に「怒ったぞ」と言わせたらお笑いにしかなるまい。

黒沢映画の「天国と地獄」のような、画面からビシビシと伝わってくる緊張感をその後の日本映画では見たことがない。黙って背中を見せている三船敏郎が演じる主人公の怒りや悲しみがひしひしと伝わる映画をその後見たことがない。舞台劇をやっている監督には映画は創れまい。日本の映画が復活する日を待ち望んでいる。