Monthly Archives: 9月 2016

299月/16

マスコミが言論の自由を妨害!

民進党の野田幹事長が国会質問で自民党の憲法改正案を撤回しろと言ったそうだ。朝日新聞や毎日新聞などのマスコミが社説で自民党案の撤回を主張したかららしい。さすがに左傾化したマスコミらしく各新聞社は自民党の案が気に入らないらしい。日本のマスコミは言論の自由や報道の公正性などには興味がないようだ。草案を引っこめろなどと平気で言うとは相当焼きが回っているらしい。

安倍首相の言うように各党が独自の改正案を出して討論すべきで、他の党の草案が気に入らないから撤回しなければ話し合いには応じないなどとは、議論すらする気がないと言っているのと同じである。実は民進党は議論をする気が無いのだ。なぜなら改正案が出せないからである。民進党は烏合の衆の寄せ集まりで党内の意見などまとめようが無いのだ。しかも無政府主義者もいれば保守主義者もいるという、まさに野合なのである。こんな政党にはまともな議論はできないだろう。

日本の新聞社は憲法改正には反対の立場を取るものが多い。文化人や芸能人にも護憲派は多く存在する。事実を見ずに幻想を抱いている輩が多いからだ。未だに憲法9条が平和を守ってくれたと盲信している。日本の憲法に何が書いてあろうと他国には関係がない。支那人や朝鮮人は日本が戦争を放棄しているなどとは知るまい。何をされても黙っている腰抜けだと思っているだけだ。日本にアメリカ軍の基地があるから攻めてこないだけである。

昨今少しは知られるようになった南沙諸島への共産中国の侵略も、フィリピンのアメリカ軍が引き上げた直後の出来事なのだ。フィリピンは憲法改正で外国軍の駐留を認めないと決めたためにアメリカ軍との安全保障条約を更新しなかった。クリントン政権時代ことだが、軍縮をしていたアメリカは経費節減の機会とばかりに引き上げることにした。ソ連の崩壊で東西冷戦も終わったと誤解したせいでもある。アメリカは共産中国を忘れていた。そこに共産中国はつけ込んだのだ。

こう言う事実を日本のマスコミは一切報道しなかった。北朝鮮の日本人拉致事件も産経新聞以外のマスコミは一切報道しなかった。そしてデマとでっち上げで旧日本軍を貶める記事を書いた。そのマスコミが与党の憲法改正草案を撤回しろと喚いているのだ。

すでに日本のマスコミは国民の信用を失っているが、未だに思考停止に陥っている者も多く存在する。日本の新聞やテレビなどのマスコミは害毒を垂れ流す諸悪の根源だ。思考停止の輩は少しは事実を知るがいい。

279月/16

テレビ不要論

テレビ番組を見なくなって久しいが、既に不要ではないかとさえ思う。不要というより昨今の日本のテレビ番組は害毒にさえ思える。

24時間チャリティーなどと銘打って芸能人が大挙して出演する番組が、視聴者にはチャリティーを要求しながら多額なギャラを出演者はもらうという詐欺のような番組だったり、偏向した思想でデマを垂れ流すプロパガンダ番組が横行していたり、国民の知る権利を代弁しているようなことを言いながら共産中国の侵略行為は報道しないニュース番組など、まるでどこか外国の番組でも流しているようなものばかりだ。

バラエティー番組は障害者をからかうような差別番組だったり、やらせばかりの番組だったり、知性を感じない馬鹿丸出しの番組が多く、視聴者をバカにしているようなものばかりである。ドラマも目新しいテーマもなく、昔見たことがあるようなものばかりである。何しろどのチャンネルを見ても同じようなお笑いタレントが司会をして、ニュース番組でさえお笑いタレントが偉そうな意見を言ったりする。

そうかと思うとバラエティーでなければどこも飽食番組ばかりである。日本にはお笑いと食い物しかないのかと思えるほどだ。教養のかけらも感じない。既にテレビは不要であろう。

最近はケーブルテレビで海外のドラマを見ている。中にはアメリカ人の野蛮さばかりが目立つ殺戮だらけの番組もあるが、知的好奇心をくすぐる番組が面白い。特に犯罪捜査を描いたドラマが多くあり、個性的な主人公たちが生き生きと活躍するのを見ていると、なぜ日本ではこういうドラマができないのかと情けなくもなる。

日本のテレビドラマは心理描写を誤解しているとしか思えない。映像で描くべきところを陳腐な台詞でお茶を濁すなど愚の骨頂である。日本映画が世界的になれない理由だろう。海外のテレビドラマは映画よりも濃密に人間を描く。数々のシリーズがそれぞれ10年も続いているものが多く存在する。それでいて一話完結だ。シナリオを練りに練っている証拠だ。

いつになったら日本のテレビ番組のクオリティーが高くなるのか、このままでは全く不要である。

ついでに言っておく。日本の映画が世界的になるには台詞がなくても見ているものが解るような映画を作ることだ。映画は映像芸術である。舞台劇ではないのだ。台詞など最小限度で良い。映像で描かなくて何が映画だと思う。日本には黒澤明という名監督がいた。黒沢が作った映画がハリウッドの映画監督を育てた。なぜ同じ日本人が黒沢を見習わないのか。映画には説教くさいセリフは不要だ。主人公が悲しむ場面で「悲しい」と台詞を言わせて何が伝わる。主人公が悲しむ場面で役者に笑顔を作らせて悲しみを描いてこそ映画であろう。笑顔で悲しみを表現してこそ役者と言える。泣いて悲しみを表現するのは大根役者だ。それでよしとする監督など無能としか思えない。怒りの描き方もしかりだ。怒っている役者に「怒ったぞ」と言わせたらお笑いにしかなるまい。

黒沢映画の「天国と地獄」のような、画面からビシビシと伝わってくる緊張感をその後の日本映画では見たことがない。黙って背中を見せている三船敏郎が演じる主人公の怒りや悲しみがひしひしと伝わる映画をその後見たことがない。舞台劇をやっている監督には映画は創れまい。日本の映画が復活する日を待ち望んでいる。