Monthly Archives: 6月 2015

306月/15

必要性を考えろ!

一時代前までは朝日に同調していたのは左翼思想の持ち主と相場は決まっていた。ところがソ連の崩壊や北朝鮮の実態が露わになり、共産中国も左翼の理想郷ではなくなった。今や朝日の信奉者は愚か者ばかりになっている。その最たるものがきれい事にしか反応しない左翼的正義の味方だ。

彼らに共通する関心事は「後進国の子供を救え」「障害者に愛の手を」「戦争反対」「原発反対」「国境なき医師団」「慈善事業」「憲法9条を守れ」「米軍基地反対」「差別被害者を守れ」「中韓友好」などだ。

「子供を救え、障害者に愛の手を、慈善事業、戦争反対、差別被害者を守れ」などは別に普通のことで、取り立てて声高に叫ぶことでもない。まさか「子供を救うな」「障害者はほっとけ」「慈善事業はするな」「戦争賛成」「差別被害者は差別しろ」などとは誰も言わないだろう。いかにも善人のように振る舞いたいなら勝手にやれば良いことだ。

こういう善人が言うであろうことに取り混ぜて、「原発反対、憲法9条を守れ、米軍基地反対、中韓友好」などを殊更に言うのが朝日新聞だ。朝日は必要性より危険性を強調して人心を煽る。朝日新聞しか読まない者は危険性だけを刷り込まれて必要性などは考えもしない。特に共産主義にかぶれて学生運動に明け暮れた団塊の世代は社会人になってからも思考が停止している。

原発反対の理由は正にその危険性だ。危険性だけなら毎日死者が出ている車社会の方が遙かに危険である。しかし車が危険だからといって車を使うなと運動している団体などはいない。車はその必要性の方が高いからだ。朝日も車不要論などは唱えない。車は自分たちも使うからだ。航空機も然りである。航空機の事故率は非常に低い。しかしいったん事故が起きれば確実に乗客は多数が死ぬことになる。昨今は500人乗りなどという大型機が登場している。ますます事故が起きたら死者が増えるだろう。しかし自分たちも使うから反対運動などしないのだ。必要性の方が高いからだ。

憲法9条を守ろうという考えは戦争を放棄しているからだ。戦争を放棄していれば戦争は起きるわけがないと思っているからだ。軍隊を持つ必要性はないと思っているからだろう。しかし警察の武装には反対しない。警察が何のために武器を持っているかを知らない者はいない。凶悪犯に対抗するには武器も必要だと知っているからだろう。必要性の方が高いからだ。警察権力も必要だと思っているだろう。アメリカのように警官が一方的に発砲するとは思っていないはずだ。

米軍基地に反対するのは全く必要性を知らないからだ。これが愚か者の証拠だ。日本が戦争放棄をしているので米軍がいるのだ。自衛隊は他の国の軍隊のように戦闘ができるわけではない。自分たちだけでは何もできない集団なのだ。いざ侵略が始まっても国会で承認がとれなければ動くこともできない集団だ。だから米軍がいるのである。憲法9条を守りたいなら米軍基地は歓迎しなければならないことが判っていないのである。だから思考が停止していると云うのだ。

「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動を支援している者がいる。そもそも誰がそんな運動を何のために始めたかを知らない愚か者がいる。朝日新聞は一般の一主婦が提唱したのが最初だと報じた。ところがこの主婦はキリスト教徒で、在日韓国系のキリスト教徒たちの反日活動に荷担しているのだ。

韓国系の反日活動をする集団に同調している主婦が、なぜ日本の憲法9条を守って、しかもノーベル平和賞に推奨しようとしているのか、よく考えてみるが良い。韓国系キリスト教徒の反日活動の思惑は明らかに日本の国力を押さえたいからである。憲法を改正して日本が再軍備をするようなことがあったら韓国の反日活動は不可能になるからだ。集団的自衛権行使に反対するのも同じ思惑からだ。

集団的自衛権行使は国の交戦権を認めていない我が国の憲法下で、国防をするために不可欠なことである。ここでも朝日は必要性を一切語らず、危険性を捏造してまで反対している。おそらくこういう洗脳から正気に戻るには共産中国がどこかの島でも侵略してからだろう。その時にはすでに遅いが愚か者には想像力も欠けているからどうしようもないことだ。

表面ずらのきれい事しか判らない愚か者が多すぎる。日本は民主主義の国だ。国民が思考を停止していては繁栄もおぼつかない。すべての事象はその必要性をまず議論すべきだろう。現国会でも必要性よりも危険性ばかりを議論している。実際の政治も行政も、危険性よりも先に必要性を議論しなければ本末転倒である。そもそも必要のないものなら、その危険性など考えなくても良いではないか。

国防や原発が必要ないというならその根拠を示してみろ。必要性を考えて初めて意味のある議論になる。根拠には知識が不可欠であることも判ってくるだろう。無知では議論にもならない。朝日しか読まなければ無知になると知ることだ。

206月/15

唯一無二の国

我が国は世界で唯一、2600年以上も君主の家系が途切れることなく続いている古代国家である。故に、その文化はどこにもない、どことも似ていない無二のものである。

第122代明治天皇が即位(1868年)して真っ先に行ったのは、香川県坂出市青海町にある白峰稜(崇徳天皇陵)に勅使を送ったことである。第75代崇徳天皇は1164年に崩御している。なんと700年も前に崩御した先祖の供養をしたのだ。

戦後の日本人は自国の歴史をまともに教えて貰っていない。従って、なぜ明治天皇が700年も前に亡くなった祖先の供養をしたのか知るものは少ない。ちなみに100年後の第124代昭和天皇も東京オリンピックの年(1964年)に崇徳天皇の供養をしているのも知らないだろう。

案外若い世代は崇徳天皇が日本の大魔王と言われていることをコミックやPCゲームなどで知っているかも知れない。夢枕獏の小説「陰陽師」にも大魔王・崇徳上皇が登場する。おそらく歴史ファンタジーの世界の話として知っているのだろうと思うが、嘘八百の韓国式歴史ファンタジーはともかく、崇徳大魔王の話は歴史的事実に基づいているのだ。

1156年後白河天皇と崇徳上皇の権力争いによる内乱が起きた。保元の乱である。原因は複雑であった。天皇家内部の権力争いと朝臣藤原家の対立に、武家の平氏や源氏の対立が絡まって起きた内乱である。乱は崇徳側が敗北し上皇は讃岐(今の香川県)に流罪となった。天皇が流刑になったのは400年振り、上皇側の武士が死刑になっているが、300年振りのことであった。

讃岐で上皇は仏教に帰依し、自分の血で160巻もの写経をして、戦死者の供養と乱を起こした反省を込めて寺に納めてくれるよう京へ送った。ところが後白河は呪いが込められているかも知れないとこれを拒否して送り返した。上皇はこれに激怒して舌をかみ切り、流れた血で、
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と写経に書き込んで憤死したと謂われている。

しかし上皇が呪いをかけて憤死したという話は後の創作である可能性が高い。なぜなら、崇徳上皇の死が意識されるようになったのは20年後の1176年になってからだからである。

1176年建春門院、高松院、九条院が若くして相次いで亡くなり、翌1177年には延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ヶ谷の陰謀という事件・動乱が次々に起こって、都では上皇の怨霊の祟りではないかと云われるようになったのだ。平安時代の貴族は天変地異が怨霊の仕業であると信じていた。当時の公家・吉田経房の日記「吉記」に、藤原教長が崇徳院と藤原頼長の悪霊を神霊として祀るべきと主張していたことが記されている。呪いのことも記されているのだ。

後白河天皇は教長の主張などに追い詰められ、1184年上皇を罪人とした保元の宣命を破却して、それまで讃岐院と呼ばれていた上皇を崇徳院と改め、頼長には正一位太政大臣が追贈された。これで崇徳院の怨霊は鎮まったかに思えたが、すでに武家による政治は目の前に迫っていた。つまり臣下である頼朝が権力を掌握し天皇親政から武家による幕府政治へ世の中は移っていったのだ。

平安貴族たちにとって臣下である武家が政治を司るという悪夢が始まって、これは怨霊の仕業に違いないと確信したのだ。それ以来崇徳上皇の怨霊は日本史上で最大の怨霊となったのである。少なくとも日本の貴族にとってその後の700年間は悪夢だったと云うことだ。

1867年徳川慶喜が大政奉還をした際には「保元・平治の乱以後武家に政権が移って以来、天皇の寵愛を頂いて政権を守って参りましたが、国難を招きましたことは私の不徳の致すところであります。ここに謹んで政権をお返しいたします。」と書いている。

慶喜が大政奉還をしなかったら、日本中で内乱になっていたに違いない。そうなれば外国の介入を招き日本は間違いなく外国の植民地になっていた。日本人が歴史を正しく認識し、海外の侵略から日本を守るために、日本本来の政治体制に戻すことが最善だと当時の日本人は考えたのだ。

従って、明治天皇は天皇親政が復権したことを崇徳院に報告し、今後は守り神として日本を守ってくださいとお祈りしたのである。そして天皇が独裁するのではなく、全ては公論で決めることや身分の上下を廃して、正しい政治をすることを祖先に誓ったのである。それが5箇条の御誓文である。ちなみに、それまで貴族の行列には庶民は土下座をしなければならなかったが、明治天皇は土下座令を廃している。