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日本の一族は皆親籍

日本には氏姓が元は四つしかないとされる。天皇は氏姓を持たず分家や家臣に氏姓を授けて行ったのである。源平藤橘(源氏、平氏、藤原氏、橘氏)のことである。

平安時代までは天皇親政といって天皇を直接補佐する貴族政治だった。日本の貴族は第38代天智天皇の時代に藤原氏を賜った中臣鎌足に始まる。藤原氏は後に天皇家と婚姻による関係を深めて朝廷での勢力を確定していった。藤原一族は摂政や関白になる資格を持つ家柄になり、近衛家、鷹司家、九条家、二条家、一条家が五摂関家と呼ばれた。その他には三条家、西園寺家、徳大寺家、今出川家、冷泉家、大飯御門家などが公家と云われる家系である。

公家には第43代元明天皇に仕えた県犬養三千代という女官が橘姓を賜った橘氏があるが、藤原氏との政争に敗れて下級官僚の地位に没落している。

第50代桓武天皇の皇子葛原親王の子高棟王や高見王が臣籍となり平姓を賜った平氏は、地方に下向して広まり、特に関東に土着し荒れ地を開墾した平氏は武家の始まりである。自警のための武装をしたからだ。天慶の乱を起こした平将門やそれを平定した平貞盛など関東では一大勢力となった。貞盛の後裔が平清盛である。また源頼朝が起こした鎌倉幕府を支えた北条氏、三浦氏、梶原氏、長尾氏は坂東平氏と称された平氏一族である。

第52代嵯峨天皇が皇子に源姓を与えて臣下に降ろしたのが源氏の始まりである。以降第54代仁明天皇、第55代文徳天皇、第56代清和天皇、第62代村上天皇以下、第106代正親町天皇までの皇子孫が源姓を名乗って16系統あるとされる。特に清和天皇の孫経基王に始まる清和源氏は源満政の系統が勢力を持ち、源頼朝、足利尊氏をはじめ武田氏、佐竹氏、土岐市、村上氏、小笠原氏など武家の名門を輩出している。

つまり日本の公家も武家もみんな天皇家と親籍なのだ。

ちなみに秀吉は天下統一を成し遂げたが、農民の出だったので氏を持っていなかった。羽柴秀吉は自分で勝手に名乗っただけだ。将軍には源氏しかなれなかったが、秀吉はさらに上を望んだ。そのために前関白の近衛前久の猶子となって藤原姓を名乗り、さらに新たな氏姓を求めた。朝廷は豊臣を下賜した。豊臣は源平藤橘と並ぶ氏姓となり、豊臣秀吉は関白・太政大臣となった。秀吉は家臣たちに豊臣朝臣を名乗らせたが、大坂の陣で羽柴宗家が滅び豊臣朝臣を名乗る者はいなくなった。

明治5年に氏姓制度は廃止され、明治8年に国民は名字を名乗る事を義務づけられた。それまで氏を持たなかった農民も村長や地主から名字を付けてもらっている。