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蒋介石の正体

蒋介石は支那大陸での終戦時「以徳報怨」と演説して日本の居留民や軍属の帰国を支援したとされている。日本人は蒋介石のこの演説に感動して未だに蒋介石を恩人と思っている日本人は多い。もちろんそのことを支那人が大いに利用して親中派を増やしたということもある。なにしろ共産党軍はすべて捕虜にして支那で苦役を課すべきだと主張していたし、ソ連軍は無抵抗の日本軍をやすやすと捕虜にして7万人も死亡させたのだからその違いは大きかった。

終戦時支那大陸にいた日本軍は100万人といわれている。一か所にまとまっていたわけではないが相当な数だ。重要なのは支那大陸で日本軍は全戦全勝だったということである。蒋介石は一度も日本軍に勝ったことなどなかったのだ。共産軍はというと日本軍の敵ではなかった。支那各地で悪さをして自国民に対してテロをはたらいていただけだ。こういう状況で日本は降伏することになったわけだ。ところがここにソ連軍が侵攻してきた。満州国境付近にいた日本軍は武装解除を自らしたためにソ連軍に抑留されることとなった。その数60万人といわれている。しかし主要部隊を率いていた根本中将は武装解除をせず邦人4万人を守り抜いて兵士35万人とともに帰国を果たしている。

1944年11月、駐蒙軍司令官に就任。翌1945年8月のソ連軍の満州侵攻は、8月15日の日本降伏後も止まらず、同地域に滞在していた同胞4万人の命が危機に晒されていた。ソ連軍への抗戦は罪に問われる可能性もあったが、生長の家を信仰していた根本は『生命の実相』よりそのような形式にとらわれる必要はないと考え、罪を問われた際は一切の責任を負って自分が腹を切れば済む事だと覚悟を決め、根本は「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う」と、日本軍守備隊に対して命令を下した。途中幾度と停戦交渉を試みるが攻撃を止まないソ連軍に対し、何度も突撃攻撃を繰り返しソ連軍の攻撃を食い止めながらすさまじい白兵戦を繰り広げた。、更に八路軍(中国共産党軍の前身)からの攻撃にも必死に耐え、居留民4万人を乗せた列車と線路を守り抜いた[2]。8月19日から始まったソ連軍との戦闘はおよそ三日三晩続いたものの、日本軍の必死の反撃にソ連軍が戦意を喪失した為、日本軍は8月21日以降撤退を開始、最後の隊が27日に万里の長城へ帰着した。出迎えた駐蒙軍参謀長は「落涙止まらず、慰謝の念をも述ぶるに能わず」と記している。一方、20日に内蒙古を脱出した4万人の日本人は、三日三晩掛けて天津へ脱出した。その後も引揚船に乗るまで日本軍や政府関係者は彼らの食料や衣服の提供に尽力した。

引揚の際、駐蒙軍の野戦鉄道司令部は、引き揚げ列車への食料供給に苦心していたとされる。8月17日頃から、軍の倉庫にあった米や乾パンを先に、沿線の各駅にトラックで大量に輸送していた。また、満州では関東軍が8月10日、居留民の緊急輸送を計画したが、居留民会が短時間での出発は大混乱を招く為に不可能と反対し、11日になってもほとんど誰も新京駅に現れず、結局、軍人家族のみを第一列車に乗せざるを得なかった。これが居留民の悲劇を呼んだと言われる。尚、前任の下村定陸軍大将が最後の陸軍大臣になった事を受けて8月19日、北支那方面軍司令官を兼任する。 1946年8月、根本は最高責任者として、在留邦人の内地帰還はもちろん、北支那方面の35万将兵の復員を終わらせ、最後の船で帰国した。<Wikipedia 根本博中将より>

さて、蒋介石が「以徳報怨」と言って日本軍に投降を呼びかけたので無事帰国できたという話はいったいどの部隊のことなのだろうか?日本軍は天皇陛下の終戦の詔を聞いて投降したのであって蒋介石の演説に応じたのではない。ソ連の侵攻軍から戦い抜いて帰国した民間人4万人と35万人の将兵も蒋介石の支援を受けて帰国したのでもない。それがいつの間にか蒋介石の演説があったので無事帰国できたという神話になっていったのだ。

実は蒋介石には思慮遠望があったのである。蒋介石率いる国民党軍は一度も日本軍に勝ったことがなかった。そのため自国民を犠牲にして逃げ回った。アメリカがどんなに軍事物資を支援しても国民政府軍は無駄に使っただけだったのだ。アメリカは航空機も多数提供したが操縦士が支那人では使いこなせず仕方なく操縦士まで派遣した。それがフライングタイガー部隊である。それでも日本軍の敵ではなかった。そういう状態で日本軍が降伏した。

いよいよ共産軍と蒋介石は決戦しなくてはならなくなった。蒋介石は何とか日本軍を共産軍との戦争に使いたかったのだ。そのためには恩を売ることが絶対的に必要だった。日本人は恩義を感じれば必ず報いる民族であることを蒋介石は知っていたのだ。黄河を氾濫させた時も被害にあった支那人を日本軍は決して見捨てないことを蒋介石は知っていて逃げる時間稼ぎをしたのである。蒋介石は根本中将のような無敵の司令官に援軍を頼みたかった。事実、台湾に逃げ込んだ蒋介石の呼びかけに退役していた根本中将が応じて、他の元将校とともに台湾に密航して名前まで変えて国民党軍を指揮したのだ。金門島の戦役では共産党軍を撃退して戦果を挙げた。蒋介石とは実に支那人の典型で、自分の利益のためにはどんなことでも、何でも利用しつくす人間なのだ。それに引き換え日本人とはなんとお人好しで見事な生き方をするのだろうと惚れ惚れする。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1356.html

上記サイトでは支那人の同じ人間と思えない習性を知ることができる。
蒋介石の恩に日本人は銅像まで建てて感謝したが、支那人とはそんなお人好しではない。