たかまさ's WebSite

光秀の謀反

最近、明智光秀が信長を襲った10日後に、反信長勢力の諸侯に宛てた直筆の手紙が発見されたそうだ。その内容は15代足利将軍の擁立に与するようにというものだったという。

光秀の信長暗殺の目的は足利幕府の再興だったわけだ。

信長が光秀をいじめたことが光秀謀反の原因だったなどと後世の人間は考えたが、江戸時代の小瀬甫庵が書いた「信長記」という小説がその元である。「桶狭間の戦い」も奇襲だったというのは甫庵の創作で、実際は信長に仕えていた太田牛一が書き残した「信長公記」に詳しい。信長は2千の部下を引き連れて正面から2万以上の今川軍に突撃したと牛一は書き残している。しかも今川軍は桶狭間山の尾根で休息中だったので、信長軍は山を駆け上がって攻めたという。突然の豪雨があったのは本当らしい。

後世の人間はその後の信長の戦を知っている。10倍の敵陣めがけて真正面から突撃するなど無謀な戦を信長がするはずはないと考えた。だから甫庵の書いた小説のほうが信じられてきたのだ。光秀に関しても、信長家臣の一番出世だったのに謀反を起こしたのは遺恨があったに違いないと考えた。甫庵が考えた信長の光秀いじめはそういう大衆の心理に大受けした。

歴史というものは後世の人間が信じ易いことを唱えた者が改変していくことが儘ある。為政者が意図的に改変することももちろん多いが、信じ難い偶然や運が良かっただけの結果があるものだ。戦なども勝てるはずの側が常に勝つとは限らないのが歴史である。

光秀の謀反もおそらくは朝廷が動いて信長の野望を阻止したものだと思う。朝廷は官位を一切受けなかった信長に危機感を抱いていたに違いないからだ。信長が少数の伴づれで京都に入った理由も朝廷の招きだったという説がある。

当時の信長はほぼ天下統一を果たして絶対権威になろうとしていた節がある。権威の中でも「暦」に関する決定権は朝廷にしかないのだが、その専権を信長は冒そうとしていた。信長の専横を甘んじて受けていた朝廷も最後の専権まで奪われそうになって反旗を翻したに違いない。光秀が選ばれたのも、元々勤皇でもあり足利将軍家の家臣でもあったからだ。私怨で謀反を起こしたわけではなかったというのが本当のところだろう。

しかし朝廷のそうした動きは秘匿されて表には決して出てこない。従って謎のままなのだ。

それにしても下剋上が常識的に通用していた戦国時代に、光秀の信長暗殺は裏切りと言われている。当時はどうか知らないが、後世の人間は信長の権威を認めて来たということだろう。

日本人の劣化

昨今のマスコミは自由主義政権の打倒工作を隠すこともなく繰り返し行おうとしている。役人のクズのような嘘つきを使って首相に濡れ衣を着せ、いかにも不正があったかのように報道して世論操作をしているのだ。森友や加計問題など、別段何の問題もないことをさも不正があったかのように報道をし、反対意見や反論などは書かない・知らせないという卑怯な手段で国民の目と耳をふさいでいるのだ。既にジャーナリズムは死んでいる。

こういう反日マスコミの卑怯な手段にすっかり翻弄されて政権不信に陥った国民がいる。誠に愚かなことだ。自分で物を考えず、新聞やテレビの報道を真に受ける劣化した国民が多いという証拠だ。

戦後、アメリカ占領軍は日本人が二度と自分たちに逆らわないように武器を放棄させた。その上で国家と国民を対峙する存在かのように教え込み洗脳した。この思想は共産革命勢力にとってこの上ない力となった。大学では共産主義者が教授となり、国家と国民は対峙した存在だと学生に教え込んだ。まじめな学生ほどそれを信じた。

共産主義や国家社会主義の政権は確かに国民とは対峙した存在であろう。そういう国には国民を監視し弾圧する政府が存在する。しかし日本という国家は2千年以上も続く皇族が一度も滅ぼされることなく君臨してきた国家だ。国民と対峙していたならとっくに滅ぼされる存在だったに違いない。しかも近代は早くから民主主義を取り入れ政権は自分たちで選んだ政治家に委ねてきた。そういう国家だから正規軍はどこの国よりも強かったのだ。ヨーロッパ諸国で日本に勝った国など存在しない。シナ大陸国家でも日本に勝った国などないのだ。

アメリカ軍は日本軍の強さに恐れをなした。しかも雌雄が決するとダメ押しをしないのが日本軍だった。敵を殲滅する趣味は日本軍にはない。高潔で強靭な軍隊が白人種ではない国に存在する。ルール違反をしなければアメリカは日本に勝てなかった。こういう民族とは二度と戦いたくないとアメリカ軍は思ったのだ。

日本人が二度と強力な軍隊を持てないようにするために、武器を奪うだけでなく国家観を喪失させることが必要だと考えた。纏まりがなくなれば日本人は国のために武器を取ることはないだろうと考えたのだ。自分勝手な国民ばかりになれば国を守ろうとすることさえしなくなるに違いないと考えた。

アメリカ占領軍の思惑は70年経って見事に成就している。特に昭和20年代生まれの団塊の世代に代表される日本人たちの中には国家のために何かすることは悪いことだと思い込んでいる輩がごまんといる。国境はなくすべきだと思い込んでいたり、日本は日本人だけのものではないと思っている輩もいる。それが美しいことだと思っているのだ。

自分たちで選んだ政治家に委ねたはずの政治を信じない矛盾に気づきもしない輩は、そこをつくマスコミの世論操作に翻弄されている。正に民族の劣化だ。自己中心的で子供を虐待して殺す日本人が増えた。損得しか考えないシナ人的価値観の国民も多くなった。負け組や勝ち組などの価値観はそれこそ損得勘定しか頭にない証拠だろう。

このままでは日本人は日本人でなくなる。早く団塊の世代が死滅し、今の若者が正しい価値観をもって国家観を抱かなかければ日本は滅んでしまう。最近つくづくそう思う。

品性下劣な元官僚

ついこの間、東大出の高級官僚ほどロクなものではないと書いたが、正に豊田真由美議員はその典型だ。品性下劣を絵に描いたような御仁ではないか。試験エリートなどは、ことほど左様にロクなものではないのだ。

名門高校に行って東大を出て官僚になったような人間は自分が一番だと思っている。議員になってしまってからは天下を取った気分でいたに違いない。誰もが自分の家来で奴隷みたいなものだ。何をしても許されると思っていたに違いない。

朝鮮では李朝時代に高級官僚の両班が身分の低い者、とりわけ奴隷をいじめ抜いていたという。道を歩いていて少しでも気に障ることがあれば、両班たちは下層階級の者を殴ったり蹴ったり、時には腕や足をへし折ったりして憂さを晴らしていたという。下層階級の者は反抗もできず泣き寝入りするしかなかった。品性が伴わない特権階級者は自分より階級が下の者、弱い立場の者をいじめることで憂さを晴らし、時には楽しんだりする。

田中角栄の娘、田中真紀子も秘書や役人を陰湿にいじめるので有名だったそうだ。生まれながらの天下人の娘で品性が伴わなければそうなってもおかしくない。東大卒の高級官僚も品性が伴わなければ豊田議員のような醜い人間になってしまう。そういう人間を国会議員などに選んだ選挙民こそ恥じるべきだろう。支援者とやらは品性下劣な人間を支援してどうするつもりだったのだろうか。それとも知らなかったのか。

民主主義とは選ばれるべき人が選ばれて、代表となって公共のために尽くす制度のことだ。もっと選ばれるべき人を探せと言いたい。行政を経験した人間を立法に就かせては駄目である。役人はどこまでいっても役人のための仕事しかしない。役人とは税金を食いつぶす存在だ。だから選良が必要なのだ。選ばれるべき人間は試験エリートなどではない。役人を監視できる無私の選良が議員になるべきなのである。

田中真紀子は正体がばれて政界から消えた。豊田などは即刻国会から追い出すべきである。

誠実な息子と不実な新聞

 1936年のベルリン五輪の男子マラソンで優勝した孫基禎(ソンギジョン)選手は、朝鮮半島北部の出身である。韓国は当時、日本の統治下にあり、孫選手は日の丸を胸につけて出場していた。
▼国際オリンピック委員会の公式記録でも、国籍は「JAPAN」、名前は日本語読みの「SON KITEI」となっている。もっとも韓国人は、この「歴史的事実」を認めようとしない。70年には、ベルリンを訪れた韓国の国会議員が、記念塔に刻まれている孫選手の国籍を勝手に「KOREA」に書き換える事件を起こしている。ドイツ当局はすぐに元に戻した。
▼もちろん、誤りはたださなくてはならない。「朝鮮半島で女性を強制連行した」。慰安婦問題の原点となったのは、故吉田清治氏の偽証だった。どうやって罪を償えばいいのか。長男が下した苦渋の決断は、『父の謝罪碑を撤去します』(大高未貴著、産経新聞出版)にくわしい。
▼長男の依頼を受けた元自衛官の奥茂治氏(69)は今年3月、吉田氏が韓国内に建立した謝罪碑の碑文を書き換え、慰霊碑とした。その奥氏が韓国警察に一時拘束され、現在も出国禁止措置が取られている。
▼韓国の国会議員は、逮捕状が出ていたドイツに戻ることはなかった。奥氏は違う。韓国警察の出頭要請に応じて、再び韓国入りしていた。公用物損壊などの罪で起訴されれば、裁判で吉田証言の嘘について説明するつもりだという。 ▼朝日新聞は謝罪碑が建立された時、「たった一人の謝罪」の見出しを付け、土下座する吉田氏の写真とともに大々的に取り上げた。後に記事を取り消したとはいえ、謝罪碑のその後と奥氏の行動について、無関心ではいられないはずである。今後の報道ぶりに注目している。
【2017年6月27日(火) 産経抄より】

朝鮮人も歴史に正対しない不実な人種だが、朝日新聞というイエロー・ジャーナリズムも罪作りを反省もしない、不実さでは天下逸品だ。恰好だけ謝罪して見せたが、その後も一向に反省した様子がない。そもそも朝日は確信犯的に「吉田清治」の嘘を利用しただけなので反省するわけがないのだ。
吉田の息子は親の犯した償いようのない罪のために苦悩したという。朝日新聞はそんなことには関心もないだろう。旧日本軍を貶めるためには、どんな卑怯な方法でも、明らかな嘘でも構わず報道してきた新聞だ。産経新聞は一応紳士的に朝日の誠実さを求めているが、どっこい朝日の不実さは筋金入りだ。こういう新聞がまだ生息していることが今の日本の不幸だと思う。

マスコミ不要論

アメリカは民主主義国の代表のように思われているが、その世論はマスコミによって扇動され形成されてきたといって良い。アメリカで新聞が一般的になったのはほんの100年ほど前のことだ。19世紀末期スペイン・ポルトガルの世界制覇はすっかり落陽を迎えていた。新興国アメリカは領土拡大を図り1898年、スペインからその植民地を奪うことに成功している。米西戦争はマスコミにアメリカ世論が扇動された典型的な例として知られる。

アメリカは落ちぶれたスペインから植民地を奪う計画を立てたが、政府が戦争をしたくても議会が反対していては開戦できないのがルールだった。そこで時の政府は新興の新聞という媒体を使って世論を動かすことを考えた。ピュリッツァーとハーストはそれぞれ、ニューヨーク・ワールド紙とニューヨーク・ジャーナル紙という新聞を発行していたが、熾烈な発行部数競争をしていた。二紙とも事実を報道するよりも、興味本位のスキャンダラスな記事やねつ造記事で部数を伸ばそうとしていた。両紙とも黄色い紙を使っていたのでイエロー・ジャーナリズムと呼ばれ、有名人のスキャンダルやねつ造記事を売り物にする新聞の代名詞になった。

政府の思惑により新聞各紙は、キューバの独立運動をスペインが弾圧していると書きたて、ワールド紙などはスペインの非道をねつ造してまで批判するというキャンペーンを展開した。アメリカ政府の狙いはキューバだけでなく、プエルトリコ、フィリピン、グアムなどスペインの植民地すべてであった。

ピュリッツァーは早くからキューバに特派員を送っていたが、平穏な日々が続くので「銃声一つ聞こえないので帰国する」と報告する記者に、「もう少し待て。戦争は私が用意する」と電報を打ったという話が伝わっている。事実、後に彼は「その時は戦争になってほしかった。大規模ではなく新聞が売れる規模程度に」と述べている。

1898年2月、アメリカ海軍はキューバでの砂糖生産事業にかかる邦人保護を名目に軍艦メイン号をハバナ湾に派遣した。ところが将官が上陸した夜、停泊中のメイン号が爆破沈没するという事件が起きてアメリカ兵250名が死亡した。この時アメリカの新聞各紙は一斉にメイン号事件はスペインの仕業だと報道した。スペインは開戦には消極的だったことが知られているが、アメリカの新聞報道は容赦なかった。この事件報道でワールド紙やジャーナル紙は数万部から数百万部へと発行部数を飛躍させた。アメリカ世論はスペインに対する開戦論で騒然となった。この時のキャンペーン・スローガンが「Rememeber The Main!」である。

アメリカの「リメンバー・・・」というキャンペーン・スローガンはこの時が2度目だった。一度目はアメリカがメキシコから領土を奪った戦争の時だ。1836年アメリカ政府はメキシコ領テキサスに独立義勇軍を送り込んで、サンアントニオにアラモ砦を築かせた。当然のようにメキシコ軍は陸の孤島のような砦を包囲して砦の義勇軍は全滅する。義勇軍に参加したアメリカの下院議員デビー・クロケットは歌にもなった有名人だ。「リメンバー・アラモ」はテキサス人はもちろんアメリカ人の合言葉となり、テキサスはアメリカ軍の支援を受けて共和国としてメキシコから独立する。そして1845年テキサス共和国はアメリカに吸収合併された。アラモの戦い当時アメリカの正規軍が近くに駐屯していたが義勇軍を見殺しにしたといわれている。その後アメリカはメキシコからニューメキシコ、カリフォルニアなどを奪って州として組み入れた。

「リメンバー・パールハーバー」の前に3回目のキャンペーンがある。第1次大戦を対岸の火事としてみている国民を参戦に誘導した事件で、「リメンバー・ルシタニア」というスローガンになった豪華客船のルシタニア号撃沈事件だ。1914年英独戦争が勃発したが、英国はアメリカに参戦を求めてきた。しかし国民は無関心だったので時のアメリカ政府とイギリスはドイツ軍の警告を無視して、1915年に豪華客船ルシタニア号に乗客のほかに武器弾薬を満載してドイツ軍に襲わせるようにしたのだ。ルシタニア号はドイツの潜水艦に攻撃され乗客1000名以上が犠牲になった。このキャンペーンでアメリカ国民は第1次大戦参戦を決意したのである。

1898年スペインとの交戦に消極的だった議会も世論の勢いに押されて4月に開戦の承認をして、アメリカとスペインは戦争状態となった。ちなみにキューバの戦線で活躍したアメリカ義勇軍「ラフ・ライダーズ」を率いた英雄として知られるのが、後の大統領セオドア・ルーズベルトだ。彼は日露戦争後、対日戦争計画を練るようになり、彼の遺志を継いだ甥のフランクリン・ルーズベルトが40年後に「Remember Pearl Harbor!」を演出することになる。

世論の沸騰を待たずともアメリカ政府は開戦の1年も前から戦争準備をしており、5月には当時行くのに2か月はかかったフィリピンでマニラ湾海戦が起きる。アメリカ軍はフィリピンの独立軍に終戦後の独立を約束して協力を取り付けスペイン軍と戦った。スペイン海軍は壊滅し、その後延べ12万人をつぎ込んだアメリカ軍にスペイン軍は降伏した。ところがアメリカ軍はスペインと勝手に協約を結び金銭でフィリッピンを買い取ってしまう。フィリピン独立政府をアメリカは承認せず、弾圧するようになった。当時のアメリカ軍司令官がアーサー・マッカーサーという、ダグラス・マッカーサーの父親である。マッカーサー親子はフィリピンを植民地として正に食い物にした。アメリカ軍人はアメリカ先住民やフィリピン原住民を騙すことにも殺すことにも何の呵責も感じないようだ。人種差別主義の典型であり、騎士道のない野蛮人の証拠だろう。だから日本に原爆も落とせたのだ。

日本との開戦時にもマスコミはアメリカ政府と結託して世論操作を行った。戦争不参加を公約に大統領になったフランクリン・ルーズベルトは、戦争をしたくても出来なかったので過去の成功例に学んだのだ。日本海軍の「真珠湾奇襲攻撃」は騙し撃ちと言われているが、当時の戦争に宣戦布告は必要不可欠なものではなかった。奇襲攻撃などは普通のことだったのである。その証拠にマレー沖海戦でイギリス極東艦隊を壊滅させた時にも、まだ日本が宣戦布告などしていない時に、イギリス海軍は旗艦プリンス・オブ・ウェールズをシンガポールに派遣している。当時の外交の流れから開戦はとうに予想できたからである。奇襲に備えるのは当時の常識だったのだ。アメリカ海軍も当然ハワイのアメリカ太平洋艦隊に対する奇襲を予想していた。ただ日本軍の力を過小評価していたのだ。アメリカ軍は日本軍を人種差別意識から完全に見下していただけのことである。だから慌てた。

マスコミが純粋な奇襲攻撃を騙し撃ちと宣伝してアメリカ軍の油断を隠したのである。誰も騙してなどいない。アメリカ軍は騙されてもいない。日本軍は正々堂々と真珠湾の軍事施設だけを狙って攻撃した。アメリカ軍はとてもそんなことが日本軍にできるとは思っていなかっただけのことである。しかしマスコミの世論操作は見事に成功してアメリカ国民はこぞって対日戦争に賛同した。そのお陰でヨーロッパ戦線にも参戦できることになった。アメリカのマスコミは常に正義の味方を語る。

近年では9.11テロ事件がアメリカ国民をイスラム戦線に向かわせた。「リメンバー9.11」が新たなスローガンとなった。しかし9.11テロ事件はユダヤ資本勢力の自作自演と言われるようになっている。ハイジャックされたジェット機が突っ込んだツインタワーが、その後もろくも崩壊したのが不自然と言われているのだ。被害を受けなかったツインタワーの隣のビルまで崩壊したが、そのビルもユダヤ資本のビルである。老朽化したビルをついでのように壊したと言われているのだ。

ところが最近アメリカのマスコミが世論操作に失敗した。トランプ大統領の誕生の時だ。いよいよアメリカのマスコミは政治操作も世論操作もできない時代になったのかもしれない。トランプ氏は記者会見などは滅多に開かずTwitterで国民に直接話しかけている。その方が早く正確に真意が伝わるからだろう。マスコミを通せば情報は捻じ曲げられてしまうことが多いからだ。トランプ氏は唯のトンデモおじさんではないようだ。

アメリカのマスコミがほとんどユダヤ系資本に牛耳られていることもトランプ大統領の誕生に関係している。ユダヤ系の思想はアメリカ人としてではなくあくまでユダヤ人としてだから、それがグローバル国際化という思想となっている。国境なき何とかと同じ思想だ。国益と称して実はユダヤ系資本に有利なことが多いのも国民の反感を買ったといえる。世界的な反グローバル運動はそういう反感の表れなのだ。

日本でもユダヤ系資本に有利なことが、いかにも日本のためのように強調されて報道されることがある。日本のマスコミはユダヤ系資本の提供する報道を鵜呑みにしているからである。もういい加減マスコミなど不要ではないだろうか。SNSがあればどこで何が起きているかわかる時代になった。

ちなみに、ごく最近私が住む近所の交差点で夜中に交通事故があった。見に行ってみると交差点でバスと乗用車がぶつかって信号機が柱ごと乗用車に乗っかっていた。夜のテレビやネットのニュースで詳細を知ろうとしたがどこにも出ていなくて、Twitterのニュースを集めたサイトで写真付きの詳細を知った。写真などは発生直後のものがあり、生々しいニュースになっていた。電車の遅れなどもSNSサイトのニュースが一番早く正確なことが多い。もう既にそういう時代なのだ。

しかしSNSのニュースも正邪を見極めなければ騙されることになる。必ず複数のメディアで確認する必要があるのは新聞などと同じだ。北朝鮮の日本人拉致事件を日本のマスコミ各社は産経新聞を除いて一切書かなかった。当時新聞が書かなければ無かったことと同じだった。産経新聞は外国に嫌われるわけである。なぜなら日本の国益を守っているからだ。他の新聞社は完全な裏切り者だと知ることだ。そういう裏切り者のことを日本語では「売国奴」という。

日本人が知らない世界を知ることが出来る書籍を紹介しておく。

朝鮮人に謝ろう

百田尚樹氏が書いた本がアマゾンでベストセラーになっているという。「今こそ韓国に謝ろう」という本だが、まだ読んでいないので内容については詳しく知らないが、見当はつくので付け加えたいと思う。

我が国が朝鮮併合をした36年間というもの、実に余計なことをしたと私もつくづく思う。

百田氏が書いているかどうか知らないが、特に奴隷解放をしたことなどは誠に余計なことだった。朝鮮は李朝500年の間、両班という、およそ国民の8%だった高級官僚族が貴族として国を仕切り、仏教を排して儒教を国教としていた。だから女は男の持ち物とされ名前も必要なかった。身分は誠に細かく分別され、最下層は売り買いの対象となった奴隷だった。もちろん生かすも殺すも持ち主の自由だった。およそ国民の45%近くが奴隷階級だったという。奴隷よりも少し上の身分の者も、最下層がいるので腹いせに奴隷を殺す楽しみもあった。奴隷は殺しても罪には問われない。なにしろ持ち物なのだから。そういう意味では嫁も貰ってしまえば持ち物だから、殺したって罪には問われなかった。未亡人という言葉は儒教的に「夫が亡くなったというのに未だに死にもしない妻」という意味だ。妻は夫に従うものだから、夫が死んだら一緒に墓に入ることが当然と言われたのだ。それで家族に殺された妻は多かったのだ。

人間、楽しみを奪われれば怒ってもしょうがないと思う。日本は明治維新に倣って、勝手に朝鮮の身分制度を撤廃してしまった。奴隷以外の朝鮮人たちは相当怒ったに違いない。貧乏な農民さえこき使っても許された奴隷に、名前まで付けることを許して自由にしてやるとは。日本に渡って暮らそうと思った元奴隷階級者は、その後在日朝鮮人として特権を貰うことになった。まったく日本は余計なことをしたものだ。

むごたらしい死刑や拷問の類も勝手に廃止した。なにしろ娯楽があまりなかった国柄だから、見せしめの死刑などは国民の楽しみでもあったのだ。悪い奴は八つ裂きにして楽しんだのに、手足を切り落として八つ裂きにするのは残酷だなどと日本はむごい死刑は廃止してしまった。朝鮮人の楽しみを奪ったわけだ。

その他余計だったことは、日本は朝鮮人を人間として、民族として同等の扱いをしてきた。李朝の王族を我が国の皇室に準ずる待遇をした。これも朝鮮人にとっては失礼な話だったのだ。国の位置づけは朝鮮のほうが日本より上なのだそうだ。それを同等とは何事だと怒らせた。国立大学も大阪、名古屋などより早く作ったりした。義務教育の学校もいっぱい作ったが、そこでの教育もまったく余計だった。なにしろ漢字の文献しかないし、国民の大半は読み書きができなかった。ハングルの文献などなかったので、仕方なく日本語とハングルを一緒に教えた。科学の文献は日本語のものしかなかったのでそれで教えた。しかし日本語は何の役にも立たなかった。まったく勝手で無駄なことをしたものだ。深く反省しなければならないと思う。

実は日本人は江戸時代から朝鮮には勝手で無駄なことを結構しているのだ。朝鮮使節が来るたびにいろいろな技術を教えてきた。朝鮮ではその技術が一度も役に立ったことがない。身分制度のせいで技術者の地位が低かったからだ。貴族に教えればよかったが、貴族は体を動かすことさえ下品だとしていて教えることができなかったのだ。まったく余計なことをしたものだ。

特に特権階級の貴族から特権を奪った罪は許し難いものだろう。なにしろ労働は下品な行為として、食事さえ箸や茶碗を持たせ食いしていたり、たばこも持たせ吸いだった貴族に、これからは自分でやれと言ったのだから怒って当然だ。今では風習として茶碗を持たずに食べる行為が上品とされている。日本人も少しは見習ったほうがいいかもしれない。茶碗を手に持って食べるなど下品なことだとは日本人は知らないだろう。

台湾でもインドシナでも日本は余計なことを数々してきたが、不思議なことにそれらの国々からは非難されることは少ない。しかし朝鮮人たちは誇り高い民族らしいから、余計なことをしたと謝るべきかもしれない。なかなか許してもらえないがお詫びをし続けるしかないだろう。私も百田氏の意見に賛成だ。

忠誠心はあるのか

自分たちの過去の言動は忘れ、高飛車に他者を非難する。そんな新聞や野党の二重基準には、つくづくうんざりする。学校法人加計学園の獣医学部新設計画をめぐり、義家弘介文部科学副大臣が、文書を流した文科省職員を守秘義務違反で処分する可能性に触れたところ、袋だたきに遭った件である。

 ▼「政権は文書の存在を語る者の口を封じるような行いさえした。(中略)考え違いもはなはだしい」。16日付朝日新聞社説がこう批判すれば、同日付毎日新聞社説も息を合わせて糾弾する。「告発への威嚇ともとれる発言だ。政と官の関係のゆがみの表れだろう」。
 ▼民進党の蓮舫代表も「保護しないといけない者を処分の対象とする。安倍晋三内閣の姿は、絶対に許してはいけない」と息巻いていた。われこそは正義の味方とばかりにかさにかかっているが、ご都合主義が過ぎる。
 ▼平成22年9月に尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で、中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりする事件があった。当時の民主党の菅直人内閣は海保が即日公開する予定だった衝突映像を隠蔽(いんぺい)したため、海上保安官だった一色正春氏が義憤にかられ、映像をインターネットに流した。
 ▼この時、朝日社説は「政府や国会の意思に反することであり、許されない」、毎日社説は「国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた『倒閣運動』でもある」と決め付けた。菅内閣の仙谷由人官房長官は「由々しき事件だ。徹底的に調べないといけない」と強調していた。
 ▼菅内閣の「ご意向」に反する公務員はけしからんと説いた新聞が、今では文書を漏らした職員を英雄扱いして持ち上げている。民進党ともども前非を悔いて、一色氏に謝罪して出直したらどうか。(6月17日産経抄より)

まことにコラム氏の言うとおりである。自分に都合の悪いときは同じ事象でも認めず批判してきた現野党やマスコミの正体が丸見えである。ここまであからさまにバカを晒されると精神状態を疑ってしまう。国民が忘れっぽいことを見透かしているのかもしれないが、それにしても酷いバカさ加減ではないか。

国民も確かに忘れっぽいから気を付けないといけない。共産中国の味方をするあまり、公務員が義務違反をしても、共産中国に関することだけは漏らしてならないが、そのほかは事実ならば大いに結構だという身勝手な理論だ。

このことから、現野党やそれを支援する反日マスコミは共産中国の手先だということが分かる。現政権を潰そうとしてデマやでっち上げも厭わず批判し続けているのも、共産中国の指示を受けているに違いない。今のマスコミにはNHKはじめ民放各社にも、共産中国の工作員が多数入り込んでいることは明らかなのだ。(デマに聞こえるかもしれないが事実である)

野党はただ批判のための批判をしているだけかもしれない。しかし蓮舫などは台湾籍を抜かないなど我が国に対する忠誠心は疑わしい。今の日本人は国家に対する忠誠心などはすっかり忘れているかもしれないが、国会議員や公務員などの税金で雇われている者は国家に対する忠誠心が最も問われなければならない存在だ。自衛隊にだけ国家に対する忠誠を誓わせるなど何様のつもりかと言いたい。

皇室を否定する日本の国会議員などは、本来存在してはならない。なぜなら天皇・皇室は現憲法でさえも国民総意の象徴なのだ。国民の象徴を否定する者が国民の税金を食い物にするなど言語道断だと思わないか。

蓮舫もそうだが、辻元清美も天皇・皇室を否定する輩である。最近憲法審議会では過去の言動を質問されて反省していると言ったそうだが、思想的に皇室廃絶を信じている者がそう簡単に反省などするはずがない。民進党には共産党よりも皇室廃絶思想を持った輩が多く存在するのだ。国会議員などの公人でなければ、加藤登紀子や大江健三郎などの個人は好きにするがいいが、こと政治に携わる者は全て国家に対する忠誠心を持たねばならない。理由は簡単だ。国家のために仕事をするからだ。だから外国からの献金禁止や外国人の立候補禁止事項があるのだ。公務員にも同じ理由で外国籍のものは雇ってはならない。

共産党ははなから税金を使う資格などない。議員をやるなら無給でやるべきだろう。党員からの上納金で金持ちなのだから、政治活動資金交付を断るだけでなく、無給でやるが良い。なぜなら共産党の存在意味は現国家の転覆にあるからだ。日本で共和制を敷くには皇室を廃絶しなければならないからだ。皇室を廃絶するということは国家転覆をすることになるからである。国家転覆をはかる政党を合法化したのはアメリカ占領軍だが、今でもこうした危険な政党を合法化したままの矛盾を国民は憂うべきだ。

最近日本共産党は政党名を変える動きを見せているという。名前を変えたところで思想的に変わるわけはない。ますます気を付けなければ共産中国と結託した勢力は姿を隠して国家転覆を謀るかもしれない。

”知らなかった”と知ることが重要だ。


この本は月刊「正論」に掲載された筆者のコラムをまとめたものだ。おそらく「正論」や「産経新聞」などを読んだことのない人にとっては知らないことばかりが書いてあるはずだ。筆者・高山正之氏は産経新聞社の社会部次長を経て、テヘラン支部長、ロサンゼルス支部長などを歴任し、帝京大学の教授をしていた人物で、週刊誌のコラムニストとしても有名だ。「変見自在」というコラム蘭の記事をまとめたシリーズは歴史の見方を変えてくれる名著である。

高山氏はジャーナリストとして世界を見て回った実体験を記事にしている。ものの見方も偏見なく見事だ。昨今のマスコミ記事は現場を見もしないで書く似非ジャーナリストが多く書いているらしい。朝日などは嘘を書くから現場を見ては書かないだろう。もし見ていても自分の書きたい事に都合の良い部分を切り取って書くだけだ。こういう輩はジャーナリストとは言わない。明らかに工作員の情報操作の類だ。

戦前には高山氏の著作のような本は、その道の専門家、例えば歴史学者や政治学者が書いたのだが、戦後は歴史学者や政治学者は嘘や間違いしか書かなくなった。なぜならまともな学者はアメリカ軍に追放されて、残った彼らはほとんど共産主義者や社会主義者で、天皇のいる日本が嫌いな連中ばかりだったからである。アメリカ軍が仕掛けていった日本人の魂崩壊作戦を引き継いだのが彼らであった。中には歴史学者・家永三郎のように昔皇国史観、今反日史観という極端に変節した卑怯者もいる。曲学阿世という4字熟語があるが、家永のごとくは正に「曲学阿世の徒」である。

天皇のいる日本が嫌いな人物は学者ばかりではない。歌手の加藤登紀子は若い頃「日本と聞くと吐き気がする」と言っていた。曽野綾子氏に「ならばさっさと日本を出て行ったらどうか」と雑誌紙面で言われたことがあるが、なぜか出て行きもしないで千葉で農業を始めた旦那の後を継いでいる。ノーベル文学賞を貰った大江健三郎も天皇からの文化勲章は拒否するなど日本の国体を否定する共産主義者だ。最近では全学連の闘士だった頃に「天皇家の気持ち悪い人たち」と言ったり、政治家になってからは「天皇に関する条項は憲法から削除すべき」などと書いた辻元清美が、今は憲法審査会に民進党代表で出ている。日本人でありながら天皇や皇室を嫌っている人物は、共産主義という宗教思想に心酔している輩だ。共産主義は皇室を滅ぼさなければ日本では成立しないからだ。こういうことは見過ごしてはならない。表面はニコニコしていても共産主義者は皇室一族を皆殺しにしようとしているのだから。嘘ではない。天皇が存在していては共産主義は成り立たないのだから。

役人のクズを支援する全体主義者

メディアは前川氏の発言を一生懸命報道するが、官僚主導の行政に戻った方がよいのだろうか。民主党政権が誕生した頃は、「官僚主導はいけないから政治主導にしなければならない」とみんな言っていたはずだ。獣医学部新設を問題視するメディアは、宗旨変えしたのだろうか。
(小泉純一郎内閣の竹中平蔵元経済財政担当相に秘書官として仕えた元官僚で、改革の現場に精通した岸博幸慶大大学院教授の意見)

しかし民主党政権は政治指導などする実力もなく官僚に手もなく誤魔化されてしまった。そもそも自治労などの左翼系ぐうたら役人が後ろ盾の政権だったのだから口ばかりなのである。朝日新聞などの反日系マスコミはそもそも保守系政権にケチをつけたいだけだから騒いでいるだけだ。

第1次安倍内閣の時も加計学園の新設申請は出されていて文科省が却下している。今の報道で騒いでいるように安倍さんとの関係で認可されたとしたらその時に認可されていたはずだ。認可しなかったのは文科省が規制路線を押し通したからなのである。それを必要だから規制を緩和しろというのが「総理の意向」なのだ。つまり役所の過剰で不要な規制を緩和しようという行政改革を総理がしている話なのである。

腐った役人の話を仰々しく報道するマスコミは何を目的にしているのか。

民主党政権時代には行政改革をマスコミも推進した。個人的なパフォーマンスばかりが目立ち、結果が伴わない改革だったが、マスコミは概ね支援していた。しかしそれは単に当時の政権が保守政権ではなかったからだ。日本の保守陣営は一貫して自由主義である。

故渡部昇一氏は「現代は左翼対右翼の対立ではなく、全体主義者対自由主義者の対立なのだ」と言っていた。その通りだと思う。共産主義も社会主義も民族主義も決して自由主義ではない。個人の自由よりも平等な思想や同じ考えを優先する全体主義である。「ダメなものはダメ」と言って話し合いを拒否した旧社会党の委員長がいたが、全体主義者は民主主義者でもない。話し合いをしない国会議員など存在価値もない。

共産党や民進党はあえて民主主義を盛んに口にする。民主主義ではないからそう言い立てるのである。その証拠に北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」と名乗っている。独裁者の支配する国が民主主義であるはずがない。

第2次大戦前のドイツで台頭したナチスは正式名を「国家社会主義ドイツ労働者党」という。れっきとした社会主義で全体主義である。日本でも同時期に国家社会主義は軍部で賛同者が増えて515や226事件を起こしている。経済が疲弊して国民が貧困のどん底に喘いだ時代の反動なのだ。配給制や富・財産の再分配が叫ばれた結果なのである。自由主義は必ず格差を生む。個性を重要視すれば価値観は限りなく多様化する。それを平等優先・同じ価値観を第一に考えるのが全体主義なのである。

朝日などの反日系マスコミや左翼系市民活動家などの常とう句は「格差をなくせ」「労働者を守れ」などだ。これはナチスの選挙公約と同じだ。言論の自由も全体主義者は否定する。反対意見を罵倒し抹殺しようとするのがその証拠だ。「ダメなものはダメ」と言うのは、価値観が同じじゃないとダメと言っているわけだ。全体主義者は意見の違う者の言うことは聞こうとしない。違う価値観を受け入れられないのだ。これは新興宗教の狂信者と似ている。

日本は戦前、国家社会主義に傾倒した。そして戦後、共産・社会主義に毒されたといって良い。古来日本は自由主義でしかも共生という社会主義的な解決手段を有してきた国家である。国民皆保険などはその典型なのだ。アメリカは自由主義の権化だから皆保険など絶対に実現しない。オバマが言い出したのでいっぺんに人気がガタ落ちした。なぜアメリカ人は皆保険を嫌うか。皆保険とは金持ちや健康な人間が貧乏人や病弱な人間を助けてやるという制度だ。アメリカの金持ちは裕福なのは自分の努力のおかげだと自負している者が大半である。貧乏なのはその人間の努力が足りないのだと考える。不健康なのも自分の責任と考えるのがアメリカ人だ。だから決して他人のために保険金を払ってやろうとは思わない。払うのはあくまで自分のためや家族のためである。だから国民皆保険には反対するのだ。やはり一文無しで移民から成功した金持ちが多いせいではないだろうか。

日本人は国民皆保険には寛容である。「明日は我が身」という格言があるからかもしれないし、裕福なのは全て自分の努力の結果とは思っていない。不健康も自堕落ばかりが理由だとは思っていないだろう。いろいろな価値観を認めて共生するのが日本流なのだ。全体主義になるのは不幸な時代の証拠だと思う。

面白いのは左翼系の考えに近いのに自分は民主主義者だと思っている間抜けが多いことだ。民主主義者は絶対正義など信じない。多数が正義だと思ったことを正義とするのが民主主義だ。少数意見は聞くが決めるときは多数決で決める。だから気を付けないと間違った方向に行くこともある。決めるための知性が要求される主義でもある。しかし全会一致で決めるのは民主主義ではない。共産・社会主義は全会一致が原則だ。

国会の採決の際に「多数党が強行採決した」と問題にするマスコミがあるが、多数決で決めるのが鉄則の民主主義なのだから、話し合いが煮詰まったと判断すれば採決する責任が国会にはある。反対だけど少数意見だから力ずくでも採決を阻止するなどという行為は言語道断、民主主義に反するのだ。話し合いの末の採決をマスコミが批判するならそのマスコミも全体主義だという証拠だ。

腐った役人

面と向かってはこちらの意見に従いながら、陰に回って不平や非難を言うようなことはするな。中国神話に登場する伝説の君主、舜(しゅん)は、後継者で夏王朝の始祖となる禹(う)にこう説いた。徳をもって理想的な仁政を敷いた「聖人」らしい言葉である。

▼万人が聖人君子になれるわけではないが、これはあんまりではないか。「私、座右の銘が『面従腹背』なんです」。学校法人加計学園の獣医学部新設計画をめぐり、退任後に首相官邸批判を始めた前川喜平・前文部科学事務次官が1日、テレビ朝日番組で言い放ったセリフである。

▼仮にも文教行政のトップとして、子供たちに学問の意義や人の道を教える立場だった者が言うことだろうか。この人が出会い系バーに足しげく通い、「女子の貧困調査」と称して少女たちに小遣いを渡していたことも明らかになっているが、今度こそ心底あきれた

2017年6月3日「産経抄」より。

西洋では役人は監視しないと悪いことしかしないと思われている。オンブズマンはそうした考えから生まれたシステムだ。アメリカでも役人の地位はさほど高くない。日本は儒教の影響で役人は高貴な職業と考えられてきた。武家が政権を取っていた時代には為政者は襟を正して清廉潔白が旨であった。役人は公僕でなければならないのだ。汚職とは、そういう崇高な仕事を汚す行為という意味である。なにも収賄だけが汚職ではない。

それがどうだろう。腐敗どころか最初から悪徳を座右の銘にするとは見下げ果てた輩である。おそらく権力者を悪と見立てて、それに対抗することを良しとする考えのつもりだったのだろう。民主主義がわかっていない全体主義者の考えである。権力者を最初から悪と決めつけるのは共産主義洗脳の代表的なものだ。時の権力を打倒する対象とするのは共産革命の基本的考えである。上級公務員試験に合格して役人になるような連中にはこうした共産かぶれが非常に多い。

アメリカ占領軍に洗脳された個人的権利の偏重は、役人を公僕から高級労働者に変えてしまい、しかも鼻持ちならない指導者層でもあるような優越感を持たせる結果を生んでいる。こうした腐った高級官僚が、退官後は政界を目指して権力者になろうとするのだから救い難い状況なのだ。選挙民の資質が問われる話である。

役人は税金という人の金で仕事をし生活をする。だから監視していないと無駄金を使い、保身のための仕事を増やす。決して自分からは節約や効率を考えない。公僕とは正反対の自分たちの利益を守ることしか考えないのだ。だから選挙民に選ばれた議員が役人を監督指導しなければならないのだ。高級官僚だった者を議員に選ぶほどバカげた行為はないと知ることである。元役人は役人のための仕事しかしない。

戦後の日本はどこぞの社会主義国家のように役人天国になってしまった。高級官僚は試験優等生だ。資質などは試験に影響ない。許認可権を有する官庁では自分が偉くなったと錯覚する環境でもある。窓口の受付まで偉そうに振舞う。彼らには公僕であることをいつでも意識させなければロクなことはしない。税金は彼らを雇うために払っているのだ。常に納税者が雇い主だと思い知らせなければならない。その点だけは西洋社会を見習っても良いと思う。