たかまさ's WebSite

セクハラは言語道断だが・・

財務省トップの役人がセクハラで辞めた。ノーパンしゃぶしゃぶや不倫などで高級官僚が辞職したりスキャンダルになったり、かつての日本の品格が地に墜ちていることが情けない。文科省にも「面従腹背が座右の銘」と言って憚らなかった天下り斡旋役人が辞任させられたと思ったら、政府に反旗を翻して言いたい放題週刊誌ネタになっている。

しかし役人の資質が地に墜ちているのは時の政府の責任ではない。監督責任はあるので辞めさせたりしているが、責任はそれで果たしたと言える。問題はそうした官僚の不祥事を政府攻撃に利用している野党やマスコミの態度だ。役人の不祥事は不祥事として責任追及をするのは当然だが、他に審議すべき事案は責務として審議するのが国会議員のやることだろう。不祥事の対応が気にくわないからと言って、それが他の国会審議を拒否する理由にはならない。まして野党第1党には自分たちが提出した議案も審議する気がないときている。

マスコミも政府攻撃のためならねつ造だろうがスキャンダルだろうが何でも利用する気だ。さらに問題なのはそういう野党やマスコミのご都合主義を真に受ける国民がいるということだ。

役人がセクハラをしたからと言って時の政府の支持率が下がる理由がわからない。役人は選挙による選抜でなったわけではない。どんな政党が政権を取ろうと高級官僚とは試験に合格すればなれる存在だ。スケベだろうが破廉恥だろうが役人にはなれる。財務省や文科省のトップが破廉恥な人間だったとしても今の政府にどんな責任があるのだ。任命責任ならあるからさっさと辞任させれば良いことだ。そんな奴らはどうせどっかに天下るだけだろう。しょせん高級官僚は性格や品位でなるものではなく、試験に受かれば良いだけの学業エリートでしかない。

高級官僚の品格のなさが現政府の責任のように世論を誘導し、転覆を謀っている野党やマスコミは本来の職務を誤っている。もう一度言う。高級官僚がスケベだったりセクハラ野郎だったりすることが政府の責任か?任命した責任はある。だから辞めさせればそれで終わりだろう。そんな人事問題と国会審議をごちゃ混ぜにする野党こそ問題だ。現政府は国際的な危機に対応する政策を着実にこなしている。経済政策も着実に成果が上がってきている。現実に新卒就職率は確実に上がっているし、人手不足になっているのだ。

現実を報道せず、政府攻撃の世論操作をなりふり構わずにしている朝日や毎日・東京などのマスコミに扇動されることこそ国家的危機である。

先の対米英戦争にのめり込んでいった際も、朝日などの新聞が国民の戦意を煽りに煽った。シナ大陸での邦人殺害被害も頻繁に起きていたが、時の政府は戦闘不拡大政策をとっていた。そこに噛みついて国民を戦争に突き進ませたのは当時の朝日新聞だ。アメリカでもそうだった。ピューリッツァーは「戦争は新聞が起こす」とまで言って、デマでも何でも使える記事は片っ端に書いて国民の戦意を煽った。それで起きたのが米西戦争だ。フィリピンはその結果アメリカがスペインから植民地として奪っている。

大手マスコミに煽られて、成果を出している現政府の支持を減らすなど馬鹿げているにも程があると思わないのか。歴史に学ぶ時は今であろう。

安倍首相は官僚と闘っている

税金をもっとむしり取りたい財務省や、規制を盾に利権を手放さない文科省などに対して、規制緩和や景気優先で行政改革をしているのが安倍首相だ。家計学園の件は岩盤規制とまで言われた文科省の獣医学部新設規制を打ち破って行政改革を達成した案件なのである。だから文科省の最高責任者だった前川は、安倍憎しのあまり嘘を並べて政府攻撃をしたのである。

森友の案件は杜撰な行政をしていた財務省がぼろを出した事件で、自分たちの杜撰さを棚に上げて政府攻撃をする材料を財務省が提供しているのだ。消費税増税を棚上げにしようとしていた安倍首相を追い落とすためなのである。

高級官僚たちは選挙で成り上がる国会議員など歯牙にもかけていない。政府首相にしてもどうせ2年や4年で交代するのだから、日本の政治は自分たちがやっているんだという高慢なエリート意識で凝り固まっているのだ。前川元事務次官がいみじくも言った「面従腹背が座右の銘」というのが高級官僚の本音なのである。大東亜戦争で帝国日本を滅亡の淵に立たせた学歴エリートの軍事参謀たちと全く同じ、鼻持ちならない意識を持つ連中なのだ。

防衛相の日報問題も制服組が報告したものを背広組が隠蔽したものなのである。”文民統制が”どうのという議論が起きているそうだが、阿保らしいほどに関係ない話だ。日本には軍人はいないのだから文民も何もあったものではない。あるのは制服組という実践部隊のグループと背広組と言う事務管理の役人グループがいるだけなのだ。制服組が出してきた報告書に「戦闘地域の実態」があったために、戦闘地域には派遣しないはずの自衛隊の立場がなくなってしまうのを恐れて、背広組が報告書を隠ぺいしただけのことなのだ。

事の本質を現代のテレビや新聞で知ることは不可能である。現代の日本のマスコミ人は表面的な事象しか見ることができない無能な連中ばかりだからだ。ネットでしっかり事実を確認して自分の頭で事の本質を考えるべきである。野党がしている政府攻撃に情報を提供しているのは政府側にいるはずの役人だ。共産党に軍事情報が簡単に漏れる実態もある。防衛省の背広組に共産主義信奉者がいる証拠なのである。制服組にもいるかもしれないが、命がけの活動をする制服組には少ないだろう。デスク仕事をしている背広組に共産主義信奉者か共産中国の工作員がいるはずである。試験に合格さえすればいいのだから身上調査も思想調査もしないだろう。NHKの職員にも共産中国の工作員はごまんといるはずだ。

安倍首相は国民が選んだ国会議員の代表である。その首相が日本を牛耳っている鼻持ちならない官僚と闘っているのに、官僚たちと結託して政府攻撃をしている野党議員は国民の敵である。間違ってはならない。学歴エリートが国を動かすのではない。国民の代表者が国を動かさなければならないのだ。それを邪魔する野党議員を選んでいる少数派国民はよく考えることだ。国の役に立っているのはどっちか。役人は簡単に首にはできない。国会議員は選挙で落とせる。国政を邪魔するような議員は次回の選挙では落とさなければならない。

もう一度言う。安倍首相は国民の税金を上げようとしている財務省の役人や、利権がらみで権力を手放そうとしない文科省の役人と闘ってきたのだ。マスコミや野党議員が言う疑念は言いがかりなのである。官僚たちが手ごわい安倍首相を追い落とすために、自分たちの身を削ってまでバカな連中を利用しているのだ。第1次安倍内閣の時は国民の年金をずさんな管理で消滅させた自治省が、自分たちの落ち度をリークしてまで安倍内閣を倒そうとした。年金問題は当時の政府の責任ではない。自治労と言う役人の中にいる共産主義信奉者たちがさぼってずさんな管理をしただけのことだ。労働組合と役人が結託して国民の年金を食い物にしたのだ。そのつけを当時の安倍首相に払わせた。民主党の「ミスター年金」はそういう役人たちに踊らされた間抜けなのだ。

地球温暖化の嘘

地球温暖化はCO2が原因だというので日本は対策に多大な金をかけている。しかしこのところの異常な寒冷化は、温暖化はどこにいったとでも言いたくなる状況だ。世界でも怪しくなったと感じている証拠に、各国が温暖化対策費を削減しているという。

CO2が温暖化の元凶という説はどうも嘘くさい。CO2などよりも太陽の活動が最も地球の温度に影響が強いのは誰が考えても真っ当だ。このところの太陽の活動は低調だというのである。暖房ストーブの温度が下がっているのだ。地球が冷える訳である。

最近の日本の異常気象はエルニーニョの逆現象であるラニーニャの影響という。しかしアメリカのフロリダで30年振りに雪が降り、アフリカのサハラ砂漠に雪が積もり、シベリアではマイナス65度を記録したことの理由にはならない。これらはCO2増加によるというより太陽の活動低下によるものというのが本当のところのようだ。

今やCO2削減はビジネスになっている。日本は唯々諾々としてCO2削減権を買わされたりして金ばかり取られているのだ。CO2原因説は国連の機関であるIPCCが唱えたものらしい。ところがその説の中心的人物であるイギリスのイーストアングリア大学気候研究所の所長が、20年も前から温暖化が停止しているデーターを隠蔽していたことが分かったという。2005年7月5日付けのメールに「1998年以降気温低下が起きている」と書いたものが流出したというのだ。

この事件以来、世界各国がCO2削減政策を変更したというのである。なぜ日本は未だにCO2削減政策を変更しないのか。国連が提唱したことを馬鹿の一つ覚えのように有り難がる日本の学者やマスコミが邪魔をしているとしか思えない。どうして日本の学者はここまで劣ってしまったのか。

日本を占領したGHQは日本の知識レベルを下げるために、それまでの知識階級だった人々をことごとく公職から追放して、代わりに共産主義者の3流学者と入れ替えた。そのツケなのだ。日本の国立大学の教授で戦後出世したのはそうした3流学者ばかりなのである。

せめて政治家くらいまともなレベルでいてほしいが、現在の野党が3流だし、マスコミはもっとレベルが低い。年間4兆円という膨大な税金をCO2削減に費やしている状況は、我々の血税をドブに捨てているのではないかと思える。この冬の寒さは尋常ではない。温暖化よりも寒冷化の方が地球にとって脅威ではないだろうか。

神話を教えない愚

4年前に他のブログに書いた記事だ。再掲する。

世界の民族にはそれぞれ特有の民族の起源を表す神話が存在する。似たようなものが多いが、世界の宗教も経典には神話の世界が描かれている。もちろん事実だけを書いたものではない。歴史書ではなく神話だからだ。

ユダヤ教徒やキリスト教徒の経典である旧約聖書にも民族誕生の神話が書いてある。神による天地創造の世界だ。彼らの神エホバ(ヤハウェイ)は創造主だ。最初の人間アダムも神の創造物である。土くれから造ったと書いてある。この事から肉体は神から与えられたものだから人間が変えてはならないという考えも生まれた。「髭を剃らない、髪を切らない」というのもそういう考えからだ。風呂にも入らない敬虔な信徒も多いらしい。戦国時代に日本に来たオランダのクリスチャンは風呂に入る習慣がなくて不潔で、いつも頭の周りにハエがたかっていたそうだ。現代では輸血も拒否する信者がいるほどだ。当然進化論も否定される。人間は神の創造物であって猿から進化したなどとはもってのほかだからだ。キリスト教国のアメリカの州には進化論を教えることを禁止しているところがあるほどだ。

聖書に書かれたことはすべて史実だと信じる信者もいるが、別に史実であるかないかは問題ではない。信者がそう信じれば良いことだ。神話とはその民族にとって史実かどうかなど問題ではない。言い伝えや記述をただ信じればよいことである。

日本の神話には日本という国を造った神の話があり、その神の子孫である天皇が治める国であると言い伝えられてきた。もちろん統一国家として確固たる基盤ができたときに、大和朝廷が正当な統治者の系統であるという権威を持たせるために造られたものだろう。国史としての「日本書紀」や言い伝えを書にした「古事記」が残されている。

日本人ならわが国の神話を信じればよいことだ。我が国は神の子孫である天皇が治める平和な国家で、一度もその系統は奪われたことがない。現在の天皇は初代神武天皇から数えて125代目の天皇なのだ。信じたくなければ日本人をやめればよい。信じたくもないし日本人を捨てる気はないというのは変な話だ。自分の生まれた国が神話を持っているのは少なくとも1300年以上も事実なのだ。信じなくても否定する必要がどこにあるのか。

自分の国がどういう国かを知りたくもないならさっさとどこか他国へ行くがよい。アメリカは国家に忠誠さえ誓えば市民にしてくれるはずだし、韓国で反日運動でもすれば仲間にしてくれるかもしれない。支那人も朝鮮人も自国のやっていることに反対ならさっさと逃げ出す。ほとんどがアメリカ人になる。アメリカは差別はあるが移民の国だからだ。

別に日本人みんなが神の子孫なのではない。天皇家が日本という国を造った神の子孫であると言い伝えられてきただけだ。だから日本を治めるには最もふさわしいと日本人はずっと思ってきた。だから今でも君主なのだ。他国や他民族は軍事力の強者や勝者がふさわしいという考えがほとんどだった。だから王朝は戦争をして変遷していった。日本だけが力ではなく血筋で統治者を決めてきたのだ。

日教組は日本の神話を「嘘だらけのでたらめ話」と今でも教えているという。共産主義者は暴力装置による革命こそが統治者を決めるにふさわしい方法という考えだ。暴力で勝った者が王者にふさわしいという考えだ。毛沢東がそう教えた。だから血筋などは絶やしてしまえと思っている。日教組は暴力で日本を変えたいと思っている勢力なのである。だから日本の神話を否定する。天皇を否定する。彼らはそうして共産中国を引き入れようとしているのだ。日本が共産化すれば日本ではなくなる。日本の神話を否定する日本人は既に日本人ではない。他民族になりたいと思っている流浪の民なのだ。

自分たちの子供を共産中国に売り飛ばされたくなければ、家庭で日本の神話を読み聞かせればよい。はるか昔から言い伝えられてきた日本人の祖先の神話だ。日本という国がどういう国なのか神話を知れば自ずと解ってくる。天皇がどういう存在なのか、日本がいかに平和を希求してきたか。全ては神話に書かれてあるのだ。日本人ならこういう神話を持つ日本という母国が誇らしく思えるはずである。神話を教えない民族は必ず滅びるという。今、日本は滅びかけている。

天変地異と日本人

その昔日本人は天変地異を怨霊の仕業と信じていた。この世に恨みを残した高貴な人々の怨霊が祟って、地震や噴火や暴風雨、雷をこの世に起こすと信じていたのだ。疫病もその一つであった。

それら天変地異を鎮めるには怨霊の元を慰めて崇拝しなければならない。怨霊の鎮魂こそが祭り事の始まりだったのである。日本列島は火山の上にある。山の噴火は山の神の怒りが原因だ。科学的にはいろいろ解明されてはいるが、いつ起こるかは未だにわからない。人智を超えたものが天変地異なのである。いくら科学が進歩しようと、自然を人間が予想したり操作したりなど出来はしないのである。

西洋人などの一神教徒は創造主が全てを作ったと信じている。自然も神の創造物だ。そして人間が最後に作られ、自然を支配するよう祝福したと信じている。自然を征服することが人間の権利だと信じているのだ。だから自然破壊も動植物を生かすも殺すも自由だと思っている。

日本人は古代民族だ。自然を崇拝し恐れ感謝してきた。樹木を利用したら必ず植林して元に戻すことを欠かさなかった。動物を食料にした時は慰霊碑を建てて魂を慰め感謝してきた。食事をするときも神に捧げたものを頂くので「いただきます」と言う。動植物の命をもらうので「いただきます」でもあるのだ。こう言う風習は古代では普通に行われていたものだが、近代国家では日本だけである。

草津の本白根山が三千年ぶりに噴火した。噴火で死傷者が出たが不運としか言いようがない。誰のせいでもないからだ。予想ができなかったのかとか、安全策に手落ちはなかったのかとか、したり顔で言う輩がいるかもしれないが、それこそ不遜というものである。天変地異は人智を超えているのだ。人間などに解るわけはないのである。自然を敬い恐れ感謝し、災害に逢った人には慰めを言うほかはない。

現代の日本人は天変地異を怨霊の仕業とは思っていない。しかし自然の営みは人間の知恵などで制御できるものではないことは知っているはずだ。一神教徒のように自然を征服できると信じる日本人がいるなら、もはやその者は日本人ではない。

これからも地震や噴火、津波や台風など天変地異は必ず起きる。被害に逢うも逢ぬも運次第だ。運が良ければ感謝し、運が悪ければそれまでと諦めるしかない。運が良かった者は運の悪かった者を慰め、助けることである。そう言う日本人の行動が世界を驚かせている。一神教徒は運の悪かった者を負け組などと蔑み遠ざける。あるいは弱みに付け込む。日本人はそういう人種になってはならない。

朝鮮という厄介な国・民族

現在は北と南に分かれている朝鮮だが、歴史的には4世紀ごろからの高句麗、新羅、百済の三国時代を経て、統一新羅240年、高麗470年、李氏朝鮮500年という王朝が半島を治めてきた。これらの王朝はそれぞれ支那大陸の統一王朝の属国となっていた。その後日清戦争の結果独立し大韓帝国となったが、国政が安定せず、日露戦争後日本が併合することになった。

半島王朝と支那大陸王朝の関係は、唐の時代に新羅が結託して高句麗と百済を滅ぼし統一したのが統一新羅。また唐の滅亡後、北宋時代から南宋を経て元の時代から明の時代にかけて高麗が半島を支配した。日本を侵略しようとした元寇の手先となったのが高麗である。高麗軍の将軍だった李成桂が、支那大陸の明王朝と結託して反乱を起こし高麗王朝を滅ぼして自ら王となったのが李朝である。日本の時代と比較すると、三国時代が飛鳥時代、統一新羅が奈良時代から平安時代初期、高麗王朝が平安時代から鎌倉時代を経て室町時代の半ばまで、その後は江戸時代幕末までが李氏朝鮮である。

統一新羅が高句麗や百済を滅ぼした時には、百済が日本に援軍を求めてきたので大和朝廷が半島南端の白村江に派兵したが敗れている。この時高句麗や百済から王朝貴族が日本に亡命してきた。いわゆる帰化人がその人々である。彼らは大和朝廷に仕えて数々の技術力を発揮している。また高麗が元王朝の手先となって九州に攻め込んできたときには、鎌倉武士が水際で抵抗したため上陸できず、沖合に停泊していたところを台風に襲われて全滅している。これが「神風」の起源である。しかし対馬では高麗軍の残虐な行為で島民が惨たらしく殺された。高麗王朝は文化的には青磁を生み出したことで世界では有名になり、英語のKoreaは高麗に由来する。

李朝は元々高麗軍の将軍だった李成桂が成り上がった王朝のためか、王朝内部の抗争が頻発して血族同士が血で血を洗う政争を繰り返した。明王朝の影響で儒教を国教にしたため男尊女卑、官尊民卑などが激しく、身分制度は苛烈を極めた。明の科挙を取り入れた試験制度を重んじて、合格者の高級官僚は文班と武班に分かれていたので両班と呼ばれ、後に貴族化するという事態になった。しかもその人口比率は1割に満たなかった。官尊民卑のため上から順番に税金を取り立てるばかりで下層民は搾取に喘いだ。最下層は他の民族に例を見ない奴隷階級であった。奴隷は売り買いの対象となり、まさに所有物だった。公の奴隷と私的な奴隷に分かれていたという。もちろん奴隷の子は奴隷でしかなかった。およそ国民の4割が奴隷階級だったという。李朝時代は100年間で人口が全く変わらなかったという記録がある。国民の大半が若くして餓死していたからだ。

儒教は先祖崇拝も教義の一つのため、先祖の失敗を批判できないという欠点がある。つまり過去の失敗から学ぶことができないので進歩が期待できないのだ。そういう時代が500年も続いたため、現代の朝鮮人も常に失敗を繰り返すのが普通になっているのだ。官尊民卑は現代でも生きているので役人天国である。そのため賄賂も普通にやり取りされる。だから大統領が辞めると必ず汚職事件で逮捕されることが普通に起きるのだ。これには例外がないので日本人としては唖然とするしかない。

また法治国家だったことがないので、民衆が法律を守ることがない。法律はあっても為政者が勝手に改変したり新設したりするので、民衆は守る気になれないのだ。役人が勝手に法律を作って取り締ったり税を取り立てたりするので民衆は誤魔化すことが常となった。嘘は方便どころか必要不可欠の技術だったのである。今でも朝鮮には「官災除け」のお守りがあるという。汚吏から身を守る必要が今でもあるという証拠だ。日本における武士道が生まれなかった国の悲劇だろう。軍人も武装したやくざのような存在なのだ。朝鮮の英雄と呼ばれる人物もほとんどがテロリストばかりなのである。

こういう国、または民族は信用するに値しない。なぜなら契約や約束を守る習慣がないからだ。嘘は技術なのだから全く信用できない。国としても簡単に約束を破棄する。条約すら簡単に反故にするのだから話にならない。言い訳が面白い。「状況が変わった」と言うのが常なのだ。これをまじめに言うから始末が悪い。これは支那大陸の国も同じだ。清朝との条約をその後の国民政府を率いた蒋介石は守ろうとはしなかった。毛沢東も清朝の約束など無視してきた。国という考えがないからだろうと思う。朝鮮も政府が変われば過去の政府の締結した条約など守る必要はないと思っている節がある。

つまりは朝鮮も支那大陸の王朝も国家としてではなく、征服王朝の立場でしか物を考えないということだ。近代国家とは言い難いのはそうした理由からだ。未熟な古代国家が日本の隣には依然として存在するのだ。こういう国家に約束を守らせる方法は一つしかない。圧倒的な力で屈服させることだ。残念ながら日本の隣国は力の強い国の言うことしか聞かない連中ばかりなのである。そういう意味では人間社会というより動物社会に等しい。

ちなみに朝鮮の歴代王朝の宗主国支那王朝への最大の貢ぎ物は女であった。元朝からの要求で高麗王朝は国内から狩り集めた処女ばかりを数百人献上したという記録がある。一時期は処女を守らせるために結婚禁止令まで出したという。李朝時代の女奴隷も個人間のお土産や上司に対する貢ぎ物だった。儒教世界での女は男の慰み物でしかないのだ。だから韓国軍はベトナム戦争時代に現地女性を嬲り物にして数万人の混血児が生まれることになったのだ。武士道をもって戦闘に臨んだ日本軍兵士とは根本的に違うのである。日本兵は強姦をしない代わりに慰安婦というプロを利用した。韓国軍もロシア軍もアメリカ軍も慰安婦など必要とはしなかった。現地女性を強姦すれば済んだからである。だから東南アジアでも混血児は多いのだ。日本系の混血児が圧倒的に少ないのは強姦が少なかった証拠なのである。

また統一新羅時代に半島人は姓名を唐風に創始改名したことがある。それ以前は長々しい名前だった朝鮮人もその時以来現在の名前になっている。日本が併合していた時代には日本名を名乗る者が多かった。中華風にしたり日本風にしたりするのは、それぞれの時代で強い民族を真似るからだ。独自の文化を持たない国情がそうさせるのである。李朝時代にハングルで書かれた古典が皆無だったのも独自の文化がなかった証拠だ。文献は全て漢字だった。それも1割にも満たない貴族しか読めなかった。その上儒教は労働を蔑むため、職人や技術者が育たない。これでは文化が育つわけもないのだ。現代の韓国はアメリカ文化を真似るだけである。北朝鮮は李朝時代の再来だ。その上気位ばかりは宗主国中華よりも高いので日本を蔑み言うことを聞かない。どうにもならない民族、国家である。

政治不信を煽る者

松本清張の小説は中学生の頃に出会って以来愛読してきた。既に50年になろうとしている。清張没後25年も経っているので新刊はないがどれも珠玉のものだと思っている。しかし清張の思想には共感できるものはあまりない。清張は共産主義シンパだったからだ。それでも小説としての出来は素晴らしいものだったと思う。現在の推理小説はあまり読まないが清張の亜流が多いと思う。特に清張直後に世に出た推理小説家はほとんど清張の亜流に過ぎない。

清張は40歳を過ぎてから世に出た。しかしその作品数は膨大なもので、推理小説界だけでなく文壇では「巨人」と言われていた。そのためもあって功罪は計り知れない。作品の出来は良いものが多いので罪の方が多いかもしれない。それは「政治不信」や「知識階級への不信」を世に広めたという罪だ。清張の執筆動機には貧富の差に対する怨嗟の念が強い。また権力者への不当に近い不信感が強いのだ。若い時の貧困や不当な扱いを受けた経験が彼の精力的な執筆の原動力となっているからである。また女性に対する不信感も清張の作品からは強く感じられる。これは理由がわからない。余程手ひどい失恋でもしたのだろうか。または母親に対する不信感が原因かもしれない。何れにしろ清張作品に出てくる女性はあまり良くは描かれていない。

清張の推理小説の犯人には役人や政治家、社会的地位のある人物が多く、殺人の動機が保身という新しい分野を開拓したことで人気が出た。それまでの探偵小説の殺人動機はほとんどが金銭か復讐だったからだ。アガサ・クリスティーの小説の犯人も財産目的か復讐または嫉妬の何れかが殺人の動機として描かれている。清張以後の殺人の動機は保身ばかりになった。だから亜流だというのである。

清張の作品が良い出来であればあるほど、犯人として登場する政治家や高級官僚などが保身に走る姿に現実味があって面白いのと同時に、それらに対する現実的な不信感が増長されていった。これに共産主義が絡めば、格好の現体制批判に応用できる。体制批判をすることが至上命題だったマスコミがこれに飛びついた。清張以後、社会悪と言えば政治家や高級官僚と相場は決まっていた。政治不信や行政不信はフィクションを越えて常識的になっていった。

私自身が高校生のころまで政治家や高級官僚は悪いことを普通にしているものと思っていた。しかも権力者が悪いことをしても隠蔽されてしまうものと思ってもいた。清張の作品にも小役人が犠牲になり上司やその上の官僚や政治家はしらばっくれてうやむやになる話もあって、実際はそんなものかもしれないという思いがあった。だからロッキード事件で田中角栄が逮捕されて本当に意外だったのを覚えている。既に清張作品はフィクションを越えていたのだ。

清張の作品はフィクションだ。それでも描き方に現実味があって説得力もあった。清張自身も実際の事件を推理することを精力的に行ったのでなおさら作品に凄みも出た。「昭和史発掘」などでは実際の疑獄事件や収賄事件、あるいは未解決事件を推理している。実際の事件推理では清張の思想が色濃く出るので共産主義的発想から間違った推理も多い。下山事件などの国鉄がらみの事件推理はその典型だろう。朝鮮戦争をアメリカの策謀と考えていたために間違った結論を出している。

何れにしろ清張が広めた社会的地位の保身目的という殺人動機は、瞬く間に社会に浸透していき、現実の政治家や高級官僚への不信感を増長させていった。この現象は共産主義者にとっては実に好都合であった。政治家や高級官僚に最初から悪いことをする輩というレッテルを張り、現実の政治不信に民衆を誘導したのだ。朝日や毎日などの大手マスコミがその手先となった。昨今でも総理大臣が関与したに違いないという憶測を記事にして、現体制を批判するという愚かなことを朝日や毎日などの大手マスコミが行って、現実を知っているネット民からは冷ややかな批判を浴びた事実がある。

しかしこうした共産主義者の体制批判や反日左翼マスコミの愚かな行為を真に受ける勢力もあるのだ。自分で考えずマスコミや権威者の言に左右される愚民は実に多いのである。特に戦後の共産主義教育にどっぷりと浸かってしまった世代は、事実や現実を見ようとはしない。彼らにとってはマスコミが見せてくれる風景が現実なのだ。愚民も勢力によっては無視できない存在となる。民主党に3年間も政権を与えた愚民勢力は今後も無視できない。常に共産主義者の策謀を世に知らしめ、反日マスコミの活動の裏を暴露していくことが日本にとって非常に重要なことである。

政治を司る者は益々世襲化している。世の不信感が強まればなおさら政治家や公務員は世襲化する。なぜなら家族にしか事実は解らないからだ。警察官や自衛官が世襲になっているのが良い証拠だろう。公務に携わる価値を正しく認識させるには教育しか方法がない。子供の時代に公務に携わる価値を教え込んでこそ政治家や公務員の質は高められる。「面従腹背が座右の銘」などと恥ずかしくもなく言い放つ役人が出るようではこの国も危ういと思い知ることだ。

日本人の劣化3

日本が中世階級制度を破棄して国民国家になった明治時代だったが、依然として階級は存在していた。皇族、貴族、華族、平民という階級だ。皇族と貴族は昔からの家柄で支配階級であった。華族は明治維新に貢献した武家から新たな階級として創設されたものだ。その他は全て平民となった。

議会は貴族院と衆議院で構成された。貴族院は貴族と華族で構成され、衆議院は平民の代表者が選出されて構成された。選挙権は当初納税の過多で決められていた。実に合理的な考え方だ。納税をしていない者が政治に関与する資格はないという考え方である。なぜなら議会で決めるのは税金の使い方だからだ。選挙権は歴とした権利として認識されていた。

国民の教育が進み選挙民としての自覚が熟成したと判断されてから選挙権には制限がなくなった。女性の選挙権も認められるようになって本当の意味で国民総参加の政治が始まったと言っていい。しかしその質の高低は教育に委ねられた。人間の質は教育によってのみ形成されるものだ。特に家庭における教育が鍵を握っている。

例えば人間として恥じるべきものは何か。生きる上で重要なことは何か。礼節や高潔な価値観を身につけるのは家庭において教育する以外にないものなのだ。日本人が世界に誇れる民度は全て家庭教育の成果なのである。だからこそ皇族を始め貴族や華族は支配者階級としての自覚を家庭で教育して伝統としてきた。血筋が重要なのはそうした伝統なのであって単なる血の繋がりではない。

ちなみに日本では伝統的に子供には「嘘をつくな」「迷惑をかけるな」と教育してきた。だから自動販売機は深夜でも道端に普通に置いてあって盗難にも合わない。忘れ物も普通に届けられて戻って来る。朝鮮や中国では「負けるな」「人を信じるな」と教える。だから損をすることは負けることに繋がって、価値観は「損得」となる。子供の頃から人間不信だから嘘を平気でつくようになる。これだけでも民族性に違いがあるのだ。

近世血筋の伝統を嫌悪し、貴族階級を搾取階級とする思想が生まれた。事実中世ヨーロッパでは貴族階級は地主として民衆から搾取する階級であった。日本でも心得違いをする上流階級者もいただろう。ヨーロッパの平等思想は日本にも流入した。社会主義者や共産主義者が日本でも生まれ、貴族の中にも思想にかぶれる者が出た。文学者に多く見られる平等思想は広く国民に浸透するに及んだ。しかし共産主義だけは現政治体制を転覆させる革命思想に繋がるものとして非合法化された。自由主義国に見られる当然の処置だ。

ところが日本では対米英戦争敗戦後、占領米軍によって一気に身分制度が破壊された。貴族や華族は廃止され、皇族以外は全て平民となったのだ。共産主義まで合法化され、特に公務員の労働組合が結成されて、平等思想は凄まじく国民に流布されていった。旧体制派の公職追放で政治の中枢や大学教授などの知識階級には共産主義者が就いていった。そのため高等教育で共産主義者が育成されるという事態になった。

由々しき事態なのは政治の中枢や高級官僚に社会主義者や共産主義者が居座ることになったことだ。皇室に対する崇敬の念を持たない者が皇室の命運を握る事態になっているのだ。

共産主義は歴史的伝統を破壊することを最も重要な使命とする思想だ。そうしなければ完全な平等社会は生まれない。特に身分に関する伝統は血筋を絶やさなければ一掃することはできない。だからヨーロッパの王朝貴族は皆殺しになった。日本では皇族を皆殺しにしなければ共産社会は生まれない。しかし日本の場合、皇族だけでは済まない。なぜなら日本の貴族は皇族の子孫が大半だからだ。貴族だけではない。元武家は皇族の子孫なのである。これらを絶やすことなど不可能と言って良い。

しかし今の日本人はこうした歴史や伝統をすっかり忘れている。戦後教育はこうした歴史や伝統を忘れさせるために施されてきたと言って良い。日本の共産主義者は日本の伝統を破壊するために一番重要な家庭教育を放棄させようとしている。家庭を破壊する思想の代表は夫婦別姓やジェンダーフリーである。これらを唱える者が自覚しているいないに関わらず、これらの思想は結果的には家庭崩壊を生む。

元NHKアナウンサーの下重暁子が書いたという「家族という病」という本がある。下重は崩壊しかかっている現代の家庭を憂いて個人として自立すべきだと言っている。家族も所詮他人の始まりだという思想だが、元軍人を父に持つ著者の経験から敗戦後の堕ちた英雄に失望し、戦後の共産思想の影響を受けて家族が鬱陶しいものになったようだ。自覚はしていないようだが彼女の思想こそが共産主義の恐ろしさなのである。

家族は人間社会の最小単位だ。親子兄弟は上下関係の始まりである。アメリカでは兄弟に上下関係はない。能力で関係が出来る。親子でも上下関係ではなく師弟関係である。指導できない親に子は従わない。それも能力の問題とされる。日本では伝統的に親は子の指導をする義務を負っている。兄弟も年上のものが年下の指導をするように教育される。アメリカにはそうした伝統はない。

戦後の日本は自国の伝統を無視してアメリカ流をカッコいいと思う者が出てきた。しかし言語からして違うのが伝統というもので、言語は人間関係が重要な要素になっている。日本語では上下関係を表す言葉が最初からある。男女でも言葉が違う。男女の違いは言葉にも表されている。それは男女差別とは関係ない。違いがあるから違うのだ。男が使う言葉は断定的で強い調子だ。「そうだ」「違う」「良い」などだが、女言葉は優しい言い回しだ。「そうね」「違うわ」「いいわ」などだ。これが男女の違いなのだ。当然社会に対する役割も自ずと違うと考えてきたのが日本人なのだ。

ウーマンリブなどは女が無視され続けてきたアメリカだからこそ生まれた運動だ。なぜなら旧約聖書の世界では女は男の肋骨から生まれた存在だからだ。聖書を信じている敬虔なクリスチャンこそ女は男の一部という思想を持っているのだ。アメリカでDVが無くならず妻が夫に殺される事件が頻発するのは聖書を信じているからなのである。特に娼婦が数多く殺されるのはキリスト教国の特徴である。

アメリカでは伝統など高々数百年だ。男女の違いなどは無視されてきた。言葉に女言葉がないのも証拠の一つだ。女は回りくどい言い方をするだけだと言う。大人と子供の言葉にも違いはない。敬語は語尾にsirかmamをつけるだけだ。だから親子も友達のようになるのだ。親をファーストネームで呼ぶのも言葉に違いがないからである。親を尊敬している子はアメリカでもファーザーとかマザーあるいはダディーとかマームと呼ぶ。

日本のように2千年以上の歴史のある国はその伝統が民族の血の中に染み込んでいる。日本人は本人が好むと好まざるとに関わらずその伝統の中で生きている。親を名前で呼ぶ子は決して親を尊敬できない。親が指導者の権利も義務も放棄しているからだ。必ず親を軽蔑する日が来る。それが日本人の民族性というものだ。なぜなら子供が成人になったら社会に矯正されるからだ。上司を呼び捨てにする部下はいない。社会に矯正された子供は親を恨むことになる。もしくは悩むだろう。日本における社会人としては失格だからだ。それは親のせいだからである。

自分が日本人かどうかを知るにはチェックする方法がある。次の3点をチェックすると良い。

1自分専用の箸と茶碗を持っている。
2鳥居のあるところにゴミは捨てられない。
3親の名を呼び捨てにするのは気が引ける。

3つのうち一つでも違うことがあったら日本人としてはかなり劣化している。もし3つとも違っていなくて不思議だと思うなら歴史を勉強し直すことだ。自分が何者なのか。日本人とはどういう民族なのか。歴史を正しく勉強し直さなくてはわからないほど今の日本人は劣化している。

「原発反対」と「9条を守れ」は共産中国の戦略だ。

この記事は2年前のものだ。いよいよ台湾を併合しようとしている共産中国の動きを今一度注意喚起しておきたい。

「安全保障法制」を「戦争法制」と言い換えて「戦争に巻き込まれる!」と叫び続けた民主党や共産党の馬鹿騒ぎは、法案が通ってしまうと嘘のように鎮まっている。正に能天気な一国平和主義の馬鹿騒ぎだったわけだが、朝日が担ぐ能天気集団が真面目にバカをやっている間に、共産中国の軍事力による世界戦略は着々と進行している。

今や共産中国の領土的野心は、東南アジア共通の脅威になっている。アメリカは利己的になって何時逃げ出すかわからない。日本は戦争に巻き込まれるのではなく、良いように蹂躙されるだけだ。今の日本に戦争はできないからである。アメリカが弱腰になっていると共産中国は好き勝手をする。日本はアメリカを巻き込んでおかないと安全ではないのだ。そのことがわかっていない能天気が、国会周辺に駆けつけたという年寄りや主婦たちなのだ。扇動したマスコミや共産党、民主党はわかっていてそういうマヌケを利用した。ひょっとしたら民主党にはわかっていないボケが多いかもしれない。山本太郎などはもちろんわかっていない能天気の筆頭だろう。

1991年フィリピンのアメリカ空軍は1951年に締結した「米比相互防衛条約」の期限切れを迎え、ピナツボ火山の噴火被害もあってクラーク基地から撤退することにした。フィリピンも憲法を改正して外国軍の駐留を認めないことにしたため条約の延長はなかったのだ。1992年にはアメリカ海軍も撤退を決めた。クリントン政権も軍縮を実施していたからだ。

元々1951年は日米安保条約、米比相互防衛条約、米韓相互防衛条約、米華(台湾)相互防衛条約などのアジア圏における共産国家包囲網が敷かれた年である。仮想敵国はソ連であった。前年の朝鮮戦争がソ連の陰謀であったことが判っていたからだ。知らないのは日本国民だけだった。ソ連が崩壊し緊張が急速に緩和したのが1991年のことだ。

ところが1994年、新たな共産主義国中国が野心をむき出しにしてきた。フィリピンの大陸寄りの沖には無数の岩礁地帯があり、その一つ南沙諸島のミスチーフ環礁に共産中国軍がコンクリートの建物を建設して領有を主張したのだ。そして既にベトナムから奪っていた西沙諸島を含めて勝手に三沙市と命名したのである。

フィリピンは慌てて国際機関に共産中国の不法を訴えたが、遅きに失した。アメリカも対中政策の転換を余儀なくされた。フィリピンは1998年アメリカ軍の寄港を認める条約を結び、2001年には再びクラーク基地やスービック基地の利用を認める軍事協定を結んだ。しかしその後も共産中国は着々と岩礁に建築物を設置し、滑走路まで建設するようになった。

一方1968年に尖閣諸島を含む東シナ海の大陸棚に油田の可能性が発表されると、にわかに尖閣諸島領有を主張する国が出てきた。1970年、台湾が最初でついで共産中国が領有を主張をするようになったのだ。

尖閣諸島は1885年から日本政府が沖縄県当局を通じて、再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入した。この行為は国際法上正当に領有権を取得するためのやり方(先占の法理)に合致している。尖閣諸島は1895年4月締結の下関条約第2条に基づき日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれない。

1996年9月15日、ニューヨークタイムズ紙はモンデール駐日大使の「米国は諸島の領有問題のいずれの側にもつかない。米軍は条約によって介入を強制されるものではない」という発言を伝え、10月20日には大使発言について「尖閣諸島の中国による奪取が、安保条約を発動させ米軍の介入を強制するものではないこと」を明らかにしたと報じた。

この発言は日本で動揺を起こし、慌てた米国はそれに対して尖閣は日米安保5条の適用範囲内であると表明した。米国政府は1996年以降、尖閣諸島は「領土権係争地」と認定した。その一方では、日本の施政下にある尖閣諸島が武力攻撃を受けた場合は、日米安保条約5条の適用の対象にはなると言明している。この見解はクリントン政権時の1996年米政府高官が示した見解と変わらないとされる。ブッシュ政権時の2004年3月には、エアリー国務省副報道官がこれに加え「従って安保条約は尖閣諸島に適用される」と発言し、それが今でも米政府関係者から繰り返されている。

ただし「安保条約5条の適用」は米国政府においても「憲法に従って」の条件付であって米軍出動は無制限ではないことから、「尖閣諸島でもし武力衝突が起きたなら初動対応として米軍が戦線に必ず共同対処する」とは記述されていない。むろん「出動しない」とも記述されてはいない。

2009年3月、オバマ政権は「尖閣諸島は沖縄返還以来、日本政府の施政下にある。日米安保条約は日本の施政下にある領域に適用される」とする見解を日本政府に伝えた。同時にアメリカ政府は尖閣諸島の領有権については当事者間の平和的な解決を期待するとして、領土権の主張の争いには関与しないという立場を強調している。

こういうアメリカの姿勢と日本政権の左傾化に勢いついたのか、2010年には尖閣諸島で領海侵犯をした共産中国の漁船が海上保安庁艦船に体当たりをするという事件が起きた。時の民主党政権は隠蔽を図ったが、ビデオが流出して発覚した。

共産中国の南シナ海戦略ははっきりしている。

日本にとってはシーレーンの封鎖に他ならない。アメリカもこの点にようやく気がついたか、今年(2015年)になって南シナ海に戦艦を派遣して共産中国の動きを牽制し始めた。日本が集団的自衛権の行使を宣言したからだ。安全法制はこのために成立されたものだ。共産中国の侵略性にはアメリカを巻き込んでおかないと日本のシーレーンは守れないのだ。石油を運ぶ海路が封鎖されるかもしれないのである。こういう共産中国の戦略を支援しているのが日本の共産主義者や社会主義であり、偏向マスコミなのだ。

「原発反対」と「9条を守れ」は共産中国の戦略を支援する対の運動なのである。

原発を廃止すれば石油で発電するしかない。その石油はシーレーンを使って運ばれる。そこを共産中国が抑えれば日本に圧力がかけられる。9条を守らせて戦争ができない国のままなら云うことを聞かせるのは簡単だ。能天気な善人が反対運動をしている限り喜ぶのは共産中国だと思い知ることだ。偏向マスコミは知っていて運動を煽っているのだ。日本の共産党や社会主義者は共産中国の犬なのである。

歴史を知らない愚かさ

数年前に別のブログに書いた記事だ。何度でも言う必要があると思うのでここに掲載する。

日本の左翼思想家は日本という国の体制を根底から変えたいと思っている。天皇家が日本に君臨しているなど、どうにも我慢がならないのだ。真面目な共産主義者は専制君主と立憲君主の区別などどうでも良いと思っているのだろう。いずれにしても君主などは殺してしまわないと共和制にはならないということは解っている。もちろん今の日本では難しいことも。だから熱心に天皇を貶めて、現在の国の体制を維持しようとする勢力を軍国主義者とレッテルを貼って、自分たちを平和の使徒のように正当化するのだ。大江健三郎などがその典型だろう。彼が旧帝国軍の悪行を書いたり言ったりするときには、それが事実かどうかなど問題にはしていない。悪いことをしたに違いないという論旨だからだ。それは天皇の軍隊だったという理由からだ。

真面目な共産主義者ではなくとも大学で共産主義にかぶれた団塊の世代は、天皇家を皆殺しにしようとは思わなくても共和制にはするべきだと思っている。権力者のすることに反対するのは美しいことだと思っている。憲法で戦争を放棄しているうちに革命が起きれば良いと思う共産主義者が言うことに疑問を持たないのも「戦争放棄」を美しいと思うからだ。戦争放棄を規定した憲法を改定するのは改悪だと思うのは「美しくない」からだろう。それが政治的にどういう意味を持つかには興味がないのだ。しかも「みんながそう思うならそうなのだろう」というポリシーの無さがこの年代の特徴だ。

軍隊の存在はそれだけで危険だ、原子力発電所もあるだけで危険極まりない、オスプレーも危険な軍用機だ、と危険性ばかりを唱え、必要性などは考えもしない。すっかり朝日新聞や毎日新聞の刷り込みに毒されて思考停止に陥った共産主義かぶれの集団が団塊の世代だ。

フランスもロシアも、皇帝一族や国王一族を皆殺しにして共和制になった。君主制の国が共和制になると言うことはそういうおぞましい事が必要なのだ。アメリカなどの最初から統治する形態がなかった国は共和制しか取れなかった。アメリカ人は根底では君主制に憧れているのだ。大統領選に熱狂するのも、イギリスに憧れるのもそのせいだ。元々白人種の理想はローマ帝国の政治形態なのである。

日本は2000年以上も前から君主制の国だ。しかも世界でただ一国古代国家がそのまま近代国家になった国だ。その間君主の家系は一度も他に取って代わられなかった。なぜか?

そもそもなぜ共和制などと言う政治形態が考え出されたかと言えば、専制君主が横暴を極め庶民の生殺与奪が専制君主に握られていた時代が長かったからだ。貴族政治が庶民の怨嗟を招いた結果、革命思想が誕生したのだ。共産主義や革命思想は貧困層の嫉妬と怨嗟がその原動力なのである。

日本でも平安時代までは貴族政治が続いた。庶民は虐げられて搾取に喘いだ。それを変えたのが武家の政治だった。武家も貴族の出だが、自ら開墾をし、武装して自衛をする勢力だった。貴族と違っていたのは自ら労働を惜しまなかった点だ。それが庶民にも受け入れられ、その後800年以上も続く政治形態になった。しかも君主という権威は武家の祖先という理由から守られたのだ。つまり日本の君主は庶民を虐げた暴君が少なかったと言うことだ。だから天皇家は一度も他に代わられることがなかったのだ。

日本という国に共産主義や共和制など言う思想や政治形態は最も似合わないのだ。現在の天皇家は常に国民の平和を祈願する存在で、自分たちのための権力など一切持たない。正に奇跡的な君主なのである。それは歴史上の事実が雄弁に物語っている。

現在の日本人は歴史上の事実をきちんと知らずに過ごしている。教育の欠陥だが、自らも書籍でしっかり学ぶべきだろう。日本だけの歴史ではなく、世界の歴史的事実の中で日本が何をしてきたかを知ることが重要だ。歴史とは物語だ。戦争もなぜ起きたかを知らなければ歴史に学ぶことすらできない。歴史に学ばなければ平和も安全もただの夢想に終わる。

今の日本は団塊の世代が絶滅しないと救われないと思う。思想的にもそうだが社会的な問題を起こすのも団塊の世代が圧倒的に多い。孫を甘やかし、金しか与えられないのもこの世代だ。歴史を知らない愚か者はボケる前に消えてなくなれと念じてやまない。