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日本の一族は皆親籍

この記事は4年前に投稿したものだが、歴史的に不変なことなので再投稿することにした。

日本には氏姓が元は四つしかないとされる。天皇は氏姓を持たず分家や家臣に氏姓を授けて行ったのである。源平藤橘(源氏、平氏、藤原氏、橘氏)のことである。

平安時代までは天皇親政といって天皇を直接補佐する貴族政治だった。日本の貴族は第38代天智天皇の時代に藤原氏を賜った中臣鎌足に始まる。藤原氏は後に天皇家と婚姻による関係を深めて朝廷での勢力を確定していった。藤原一族は摂政や関白になる資格を持つ家柄になり、近衛家、鷹司家、九条家、二条家、一条家が五摂関家と呼ばれた。その他には三条家、西園寺家、徳大寺家、今出川家、冷泉家、大飯御門家などが公家と云われる家系である。

公家には第43代元明天皇に仕えた県犬養三千代という女官が橘姓を賜った橘氏があるが、藤原氏との政争に敗れて下級官僚の地位に没落している。

第50代桓武天皇の皇子葛原親王の子高棟王や高見王が臣籍となり平姓を賜った平氏は、地方に下向して広まり、特に関東に土着し荒れ地を開墾した平氏は武家の始まりである。自警のための武装をしたからだ。天慶の乱を起こした平将門やそれを平定した平貞盛など関東では一大勢力となった。貞盛の後裔が平清盛である。また源頼朝が起こした鎌倉幕府を支えた北条氏、三浦氏、梶原氏、長尾氏は坂東平氏と称された平氏一族である。

第52代嵯峨天皇が皇子に源姓を与えて臣下に降ろしたのが源氏の始まりである。以降第54代仁明天皇、第55代文徳天皇、第56代清和天皇、第62代村上天皇以下、第106代正親町天皇までの皇子孫が源姓を名乗って16系統あるとされる。特に清和天皇の孫経基王に始まる清和源氏は源満政の系統が勢力を持ち、源頼朝、足利尊氏をはじめ武田氏、佐竹氏、土岐市、村上氏、小笠原氏など武家の名門を輩出している。

つまり日本の公家も武家もみんな天皇家と親籍だということだ。

ちなみに秀吉は天下統一を成し遂げたが、農民の出だったので氏を持っていなかった。羽柴秀吉は自分で勝手に名乗っただけだ。将軍には源氏しかなれなかったが、秀吉はさらに上を望んだ。そのために前関白の近衛前久の猶子となって藤原姓を名乗り、さらに新たな氏姓を求めた。朝廷は豊臣を下賜した。豊臣は源平藤橘と並ぶ氏姓となり、豊臣秀吉は関白・太政大臣となった。秀吉は家臣たちに豊臣朝臣を名乗らせたが、大坂の陣で羽柴宗家が滅び豊臣朝臣を名乗る者はいなくなった。

明治5年に氏姓制度は廃止され、明治8年に国民は名字を名乗る事を義務づけられた。それまで氏を持たなかった農民も村長や地主から名字を付けてもらっている。

共産中国の経済侵略

援助を受けていたはずが、巨額の借金を抱えた上でインフラも奪われる-。中国が推し進める現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」が生み出す巨額債務への警戒感がここに来て急速に広がっている。米シンクタンクは、債務返済が困難となる恐れがある8つの国を指摘した。債務と金利が重くのしかかる、一帯一路の負の側面が浮かぶ。(ニューデリー 森浩)

「代償なし」ではない

「参加各国は、(中国によるインフラへの投資などを)フリーランチと考えるべきではない」国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は12日の講演で、一帯一路についてこう指摘した。「フリーランチ」とは「代償なし」「無料」などを意味する。IMFトップが一帯一路にともなうリスクを公に警告した格好だ。巨額の債務による“代償”を背負う形となった代表例が、スリランカだ。

スリランカ南部ハンバントタ港は2010年、親中派ラジャパクサ政権下で建設が始まり、建設費約13億ドル(約1421億円)の多くを中国からの融資でまかなった。だが、スリランカに重荷となったのが、中国側が設定した最高で年6・3%という金利だ。そもそも財政に余裕があるとは言えず、当初から返済に窮するようになる。最終的に昨年12月、港の株式の80%を中国国営企業に貸与し、リース料として11億2千万ドル(約1224億円)を受け取ることで合意した。リースという形を取ってはいるが、貸与期間は99年間で事実上の売却といえる。スリランカ側からすれば、いつのまにか港が中国の手に渡った格好だ。
(2018年5月7日産経の記事より)

共産中国もちゃんと歴史に学んでいる。いま共産中国が行っている経済侵略は、19世紀にイギリスなどが行ったシナへの経済侵略をそっくり真似たものだ。イギリスばかりではない。20世紀になると白人諸国は発展途上のアフリカ、アジア各国に経済援助というお為ごかしを武器に乗っ取りを仕掛けてきた。昔から侵略は武力によるものばかりではないのだ。このニュースはアメリカの研究機関が発表したものだが、自分たちがしてきたことなので詳しいわけだ。

2015年製作の「クーデター(原題・No Escape)」という映画がある。

「エネミー・ライン」で主役を張ったオーウェン・ウィルソンと5代目ボンド俳優のピアース・ブロスナンが共演している。時は現代、アジアのどこかに赴任してきたアメリカ人家族、ところが赴任翌朝いきなり暴動が起き外国人が次々に殺される事態となる。家族を連れて逃げ切ることはできるか、という話だ。

この映画の舞台はベトナムの隣の国で起きるという設定だが、ブロスナンが暴動の原因らしきものを吐露する場面がある。白人の経済侵略が原因だというのだ。主人公は水道事業を展開する企業の赴任社員なのだ。インフラを整備するという経済援助を隠れ蓑に国家の乗っ取りをたくらんだ報いだという。ブロスナンはイギリス人の設定なのかもしれない。邦題は「クーデター」だが実際は民間人の暴動である。軍隊が起こすクーデターならこの家族も助からなかっただろうから映画にならないわけだ。

映画自体は結構ハラハラする面白いものだ。しかし監督はあまり有名ではない。作品を調べるとスリラーを得意にしているようである。脚本もかなり荒っぽいが、白人を殺しまくるアジア人たちの立場をちゃんと理解して描いているところが興味深い。過去にシナ大陸で起きた義和団の乱のように、排外運動として、共産中国が経済侵略をしているアジア各国で将来起こるかもしれない話である。その時に襲われるのはもちろん中国人だ。しかし日本人も巻き込まれないようにしなければなるまい。

白人たちと違って歴史上日本人は経済援助を善意から行ってきた。こういうことは世界では珍しいのだ。日本人は理解していないが、世界では国家や企業が善意で動くことはないからだ。だから日本はいつでも誤解され非難されてきたのだ。それも国家が軍事的に強ければだれも文句は言わない。そこをちゃんと知っておくことである。今の日本は軍事的に弱小なので悪者にされているのだ。

映画「クーデター」はベトナムに戦争で負けたアメリカ人が描いているから、最後にベトナムが正義の味方として登場するのも面白い。B級映画も背景を知って見ると結構面白いものがたくさんある。

セクハラは言語道断だが・・

財務省トップの役人がセクハラで辞めた。ノーパンしゃぶしゃぶや不倫などで高級官僚が辞職したりスキャンダルになったり、かつての日本の品格が地に墜ちていることが情けない。文科省にも「面従腹背が座右の銘」と言って憚らなかった天下り斡旋役人が辞任させられたと思ったら、政府に反旗を翻して言いたい放題週刊誌ネタになっている。

しかし役人の資質が地に墜ちているのは時の政府の責任ではない。監督責任はあるので辞めさせたりしているが、責任はそれで果たしたと言える。問題はそうした官僚の不祥事を政府攻撃に利用している野党やマスコミの態度だ。役人の不祥事は不祥事として責任追及をするのは当然だが、他に審議すべき事案は責務として審議するのが国会議員のやることだろう。不祥事の対応が気にくわないからと言って、それが他の国会審議を拒否する理由にはならない。まして野党第1党には自分たちが提出した議案も審議する気がないときている。

マスコミも政府攻撃のためならねつ造だろうがスキャンダルだろうが何でも利用する気だ。さらに問題なのはそういう野党やマスコミのご都合主義を真に受ける国民がいるということだ。

役人がセクハラをしたからと言って時の政府の支持率が下がる理由がわからない。役人は選挙による選抜でなったわけではない。どんな政党が政権を取ろうと高級官僚とは試験に合格すればなれる存在だ。スケベだろうが破廉恥だろうが役人にはなれる。財務省や文科省のトップが破廉恥な人間だったとしても今の政府にどんな責任があるのだ。任命責任ならあるからさっさと辞任させれば良いことだ。そんな奴らはどうせどっかに天下るだけだろう。しょせん高級官僚は性格や品位でなるものではなく、試験に受かれば良いだけの学業エリートでしかない。

高級官僚の品格のなさが現政府の責任のように世論を誘導し、転覆を謀っている野党やマスコミは本来の職務を誤っている。もう一度言う。高級官僚がスケベだったりセクハラ野郎だったりすることが政府の責任か?任命した責任はある。だから辞めさせればそれで終わりだろう。そんな人事問題と国会審議をごちゃ混ぜにする野党こそ問題だ。現政府は国際的な危機に対応する政策を着実にこなしている。経済政策も着実に成果が上がってきている。現実に新卒就職率は確実に上がっているし、人手不足になっているのだ。

現実を報道せず、政府攻撃の世論操作をなりふり構わずにしている朝日や毎日・東京などのマスコミに扇動されることこそ国家的危機である。

先の対米英戦争にのめり込んでいった際も、朝日などの新聞が国民の戦意を煽りに煽った。シナ大陸での邦人殺害被害も頻繁に起きていたが、時の政府は戦闘不拡大政策をとっていた。そこに噛みついて国民を戦争に突き進ませたのは当時の朝日新聞だ。アメリカでもそうだった。ピューリッツァーは「戦争は新聞が起こす」とまで言って、デマでも何でも使える記事は片っ端に書いて国民の戦意を煽った。それで起きたのが米西戦争だ。フィリピンはその結果アメリカがスペインから植民地として奪っている。

大手マスコミに煽られて、成果を出している現政府の支持を減らすなど馬鹿げているにも程があると思わないのか。歴史に学ぶ時は今であろう。

安倍首相は官僚と闘っている

税金をもっとむしり取りたい財務省や、規制を盾に利権を手放さない文科省などに対して、規制緩和や景気優先で行政改革をしているのが安倍首相だ。家計学園の件は岩盤規制とまで言われた文科省の獣医学部新設規制を打ち破って行政改革を達成した案件なのである。だから文科省の最高責任者だった前川は、安倍憎しのあまり嘘を並べて政府攻撃をしたのである。

森友の案件は杜撰な行政をしていた財務省がぼろを出した事件で、自分たちの杜撰さを棚に上げて政府攻撃をする材料を財務省が提供しているのだ。消費税増税を棚上げにしようとしていた安倍首相を追い落とすためなのである。

高級官僚たちは選挙で成り上がる国会議員など歯牙にもかけていない。政府首相にしてもどうせ2年や4年で交代するのだから、日本の政治は自分たちがやっているんだという高慢なエリート意識で凝り固まっているのだ。前川元事務次官がいみじくも言った「面従腹背が座右の銘」というのが高級官僚の本音なのである。大東亜戦争で帝国日本を滅亡の淵に立たせた学歴エリートの軍事参謀たちと全く同じ、鼻持ちならない意識を持つ連中なのだ。

防衛相の日報問題も制服組が報告したものを背広組が隠蔽したものなのである。”文民統制が”どうのという議論が起きているそうだが、阿保らしいほどに関係ない話だ。日本には軍人はいないのだから文民も何もあったものではない。あるのは制服組という実践部隊のグループと背広組と言う事務管理の役人グループがいるだけなのだ。制服組が出してきた報告書に「戦闘地域の実態」があったために、戦闘地域には派遣しないはずの自衛隊の立場がなくなってしまうのを恐れて、背広組が報告書を隠ぺいしただけのことなのだ。

事の本質を現代のテレビや新聞で知ることは不可能である。現代の日本のマスコミ人は表面的な事象しか見ることができない無能な連中ばかりだからだ。ネットでしっかり事実を確認して自分の頭で事の本質を考えるべきである。野党がしている政府攻撃に情報を提供しているのは政府側にいるはずの役人だ。共産党に軍事情報が簡単に漏れる実態もある。防衛省の背広組に共産主義信奉者がいる証拠なのである。制服組にもいるかもしれないが、命がけの活動をする制服組には少ないだろう。デスク仕事をしている背広組に共産主義信奉者か共産中国の工作員がいるはずである。試験に合格さえすればいいのだから身上調査も思想調査もしないだろう。NHKの職員にも共産中国の工作員はごまんといるはずだ。

安倍首相は国民が選んだ国会議員の代表である。その首相が日本を牛耳っている鼻持ちならない官僚と闘っているのに、官僚たちと結託して政府攻撃をしている野党議員は国民の敵である。間違ってはならない。学歴エリートが国を動かすのではない。国民の代表者が国を動かさなければならないのだ。それを邪魔する野党議員を選んでいる少数派国民はよく考えることだ。国の役に立っているのはどっちか。役人は簡単に首にはできない。国会議員は選挙で落とせる。国政を邪魔するような議員は次回の選挙では落とさなければならない。

もう一度言う。安倍首相は国民の税金を上げようとしている財務省の役人や、利権がらみで権力を手放そうとしない文科省の役人と闘ってきたのだ。マスコミや野党議員が言う疑念は言いがかりなのである。官僚たちが手ごわい安倍首相を追い落とすために、自分たちの身を削ってまでバカな連中を利用しているのだ。第1次安倍内閣の時は国民の年金をずさんな管理で消滅させた自治省が、自分たちの落ち度をリークしてまで安倍内閣を倒そうとした。年金問題は当時の政府の責任ではない。自治労と言う役人の中にいる共産主義信奉者たちがさぼってずさんな管理をしただけのことだ。労働組合と役人が結託して国民の年金を食い物にしたのだ。そのつけを当時の安倍首相に払わせた。民主党の「ミスター年金」はそういう役人たちに踊らされた間抜けなのだ。

地球温暖化の嘘

地球温暖化はCO2が原因だというので日本は対策に多大な金をかけている。しかしこのところの異常な寒冷化は、温暖化はどこにいったとでも言いたくなる状況だ。世界でも怪しくなったと感じている証拠に、各国が温暖化対策費を削減しているという。

CO2が温暖化の元凶という説はどうも嘘くさい。CO2などよりも太陽の活動が最も地球の温度に影響が強いのは誰が考えても真っ当だ。このところの太陽の活動は低調だというのである。暖房ストーブの温度が下がっているのだ。地球が冷える訳である。

最近の日本の異常気象はエルニーニョの逆現象であるラニーニャの影響という。しかしアメリカのフロリダで30年振りに雪が降り、アフリカのサハラ砂漠に雪が積もり、シベリアではマイナス65度を記録したことの理由にはならない。これらはCO2増加によるというより太陽の活動低下によるものというのが本当のところのようだ。

今やCO2削減はビジネスになっている。日本は唯々諾々としてCO2削減権を買わされたりして金ばかり取られているのだ。CO2原因説は国連の機関であるIPCCが唱えたものらしい。ところがその説の中心的人物であるイギリスのイーストアングリア大学気候研究所の所長が、20年も前から温暖化が停止しているデーターを隠蔽していたことが分かったという。2005年7月5日付けのメールに「1998年以降気温低下が起きている」と書いたものが流出したというのだ。

この事件以来、世界各国がCO2削減政策を変更したというのである。なぜ日本は未だにCO2削減政策を変更しないのか。国連が提唱したことを馬鹿の一つ覚えのように有り難がる日本の学者やマスコミが邪魔をしているとしか思えない。どうして日本の学者はここまで劣ってしまったのか。

日本を占領したGHQは日本の知識レベルを下げるために、それまでの知識階級だった人々をことごとく公職から追放して、代わりに共産主義者の3流学者と入れ替えた。そのツケなのだ。日本の国立大学の教授で戦後出世したのはそうした3流学者ばかりなのである。

せめて政治家くらいまともなレベルでいてほしいが、現在の野党が3流だし、マスコミはもっとレベルが低い。年間4兆円という膨大な税金をCO2削減に費やしている状況は、我々の血税をドブに捨てているのではないかと思える。この冬の寒さは尋常ではない。温暖化よりも寒冷化の方が地球にとって脅威ではないだろうか。

神話を教えない愚

4年前に他のブログに書いた記事だ。再掲する。

世界の民族にはそれぞれ特有の民族の起源を表す神話が存在する。似たようなものが多いが、世界の宗教も経典には神話の世界が描かれている。もちろん事実だけを書いたものではない。歴史書ではなく神話だからだ。

ユダヤ教徒やキリスト教徒の経典である旧約聖書にも民族誕生の神話が書いてある。神による天地創造の世界だ。彼らの神エホバ(ヤハウェイ)は創造主だ。最初の人間アダムも神の創造物である。土くれから造ったと書いてある。この事から肉体は神から与えられたものだから人間が変えてはならないという考えも生まれた。「髭を剃らない、髪を切らない」というのもそういう考えからだ。風呂にも入らない敬虔な信徒も多いらしい。戦国時代に日本に来たオランダのクリスチャンは風呂に入る習慣がなくて不潔で、いつも頭の周りにハエがたかっていたそうだ。現代では輸血も拒否する信者がいるほどだ。当然進化論も否定される。人間は神の創造物であって猿から進化したなどとはもってのほかだからだ。キリスト教国のアメリカの州には進化論を教えることを禁止しているところがあるほどだ。

聖書に書かれたことはすべて史実だと信じる信者もいるが、別に史実であるかないかは問題ではない。信者がそう信じれば良いことだ。神話とはその民族にとって史実かどうかなど問題ではない。言い伝えや記述をただ信じればよいことである。

日本の神話には日本という国を造った神の話があり、その神の子孫である天皇が治める国であると言い伝えられてきた。もちろん統一国家として確固たる基盤ができたときに、大和朝廷が正当な統治者の系統であるという権威を持たせるために造られたものだろう。国史としての「日本書紀」や言い伝えを書にした「古事記」が残されている。

日本人ならわが国の神話を信じればよいことだ。我が国は神の子孫である天皇が治める平和な国家で、一度もその系統は奪われたことがない。現在の天皇は初代神武天皇から数えて125代目の天皇なのだ。信じたくなければ日本人をやめればよい。信じたくもないし日本人を捨てる気はないというのは変な話だ。自分の生まれた国が神話を持っているのは少なくとも1300年以上も事実なのだ。信じなくても否定する必要がどこにあるのか。

自分の国がどういう国かを知りたくもないならさっさとどこか他国へ行くがよい。アメリカは国家に忠誠さえ誓えば市民にしてくれるはずだし、韓国で反日運動でもすれば仲間にしてくれるかもしれない。支那人も朝鮮人も自国のやっていることに反対ならさっさと逃げ出す。ほとんどがアメリカ人になる。アメリカは差別はあるが移民の国だからだ。

別に日本人みんなが神の子孫なのではない。天皇家が日本という国を造った神の子孫であると言い伝えられてきただけだ。だから日本を治めるには最もふさわしいと日本人はずっと思ってきた。だから今でも君主なのだ。他国や他民族は軍事力の強者や勝者がふさわしいという考えがほとんどだった。だから王朝は戦争をして変遷していった。日本だけが力ではなく血筋で統治者を決めてきたのだ。

日教組は日本の神話を「嘘だらけのでたらめ話」と今でも教えているという。共産主義者は暴力装置による革命こそが統治者を決めるにふさわしい方法という考えだ。暴力で勝った者が王者にふさわしいという考えだ。毛沢東がそう教えた。だから血筋などは絶やしてしまえと思っている。日教組は暴力で日本を変えたいと思っている勢力なのである。だから日本の神話を否定する。天皇を否定する。彼らはそうして共産中国を引き入れようとしているのだ。日本が共産化すれば日本ではなくなる。日本の神話を否定する日本人は既に日本人ではない。他民族になりたいと思っている流浪の民なのだ。

自分たちの子供を共産中国に売り飛ばされたくなければ、家庭で日本の神話を読み聞かせればよい。はるか昔から言い伝えられてきた日本人の祖先の神話だ。日本という国がどういう国なのか神話を知れば自ずと解ってくる。天皇がどういう存在なのか、日本がいかに平和を希求してきたか。全ては神話に書かれてあるのだ。日本人ならこういう神話を持つ日本という母国が誇らしく思えるはずである。神話を教えない民族は必ず滅びるという。今、日本は滅びかけている。

天変地異と日本人

その昔日本人は天変地異を怨霊の仕業と信じていた。この世に恨みを残した高貴な人々の怨霊が祟って、地震や噴火や暴風雨、雷をこの世に起こすと信じていたのだ。疫病もその一つであった。

それら天変地異を鎮めるには怨霊の元を慰めて崇拝しなければならない。怨霊の鎮魂こそが祭り事の始まりだったのである。日本列島は火山の上にある。山の噴火は山の神の怒りが原因だ。科学的にはいろいろ解明されてはいるが、いつ起こるかは未だにわからない。人智を超えたものが天変地異なのである。いくら科学が進歩しようと、自然を人間が予想したり操作したりなど出来はしないのである。

西洋人などの一神教徒は創造主が全てを作ったと信じている。自然も神の創造物だ。そして人間が最後に作られ、自然を支配するよう祝福したと信じている。自然を征服することが人間の権利だと信じているのだ。だから自然破壊も動植物を生かすも殺すも自由だと思っている。

日本人は古代民族だ。自然を崇拝し恐れ感謝してきた。樹木を利用したら必ず植林して元に戻すことを欠かさなかった。動物を食料にした時は慰霊碑を建てて魂を慰め感謝してきた。食事をするときも神に捧げたものを頂くので「いただきます」と言う。動植物の命をもらうので「いただきます」でもあるのだ。こう言う風習は古代では普通に行われていたものだが、近代国家では日本だけである。

草津の本白根山が三千年ぶりに噴火した。噴火で死傷者が出たが不運としか言いようがない。誰のせいでもないからだ。予想ができなかったのかとか、安全策に手落ちはなかったのかとか、したり顔で言う輩がいるかもしれないが、それこそ不遜というものである。天変地異は人智を超えているのだ。人間などに解るわけはないのである。自然を敬い恐れ感謝し、災害に逢った人には慰めを言うほかはない。

現代の日本人は天変地異を怨霊の仕業とは思っていない。しかし自然の営みは人間の知恵などで制御できるものではないことは知っているはずだ。一神教徒のように自然を征服できると信じる日本人がいるなら、もはやその者は日本人ではない。

これからも地震や噴火、津波や台風など天変地異は必ず起きる。被害に逢うも逢ぬも運次第だ。運が良ければ感謝し、運が悪ければそれまでと諦めるしかない。運が良かった者は運の悪かった者を慰め、助けることである。そう言う日本人の行動が世界を驚かせている。一神教徒は運の悪かった者を負け組などと蔑み遠ざける。あるいは弱みに付け込む。日本人はそういう人種になってはならない。

朝鮮という厄介な国・民族

現在は北と南に分かれている朝鮮だが、歴史的には4世紀ごろからの高句麗、新羅、百済の三国時代を経て、統一新羅240年、高麗470年、李氏朝鮮500年という王朝が半島を治めてきた。これらの王朝はそれぞれ支那大陸の統一王朝の属国となっていた。その後日清戦争の結果独立し大韓帝国となったが、国政が安定せず、日露戦争後日本が併合することになった。

半島王朝と支那大陸王朝の関係は、唐の時代に新羅が結託して高句麗と百済を滅ぼし統一したのが統一新羅。また唐の滅亡後、北宋時代から南宋を経て元の時代から明の時代にかけて高麗が半島を支配した。日本を侵略しようとした元寇の手先となったのが高麗である。高麗軍の将軍だった李成桂が、支那大陸の明王朝と結託して反乱を起こし高麗王朝を滅ぼして自ら王となったのが李朝である。日本の時代と比較すると、三国時代が飛鳥時代、統一新羅が奈良時代から平安時代初期、高麗王朝が平安時代から鎌倉時代を経て室町時代の半ばまで、その後は江戸時代幕末までが李氏朝鮮である。

統一新羅が高句麗や百済を滅ぼした時には、百済が日本に援軍を求めてきたので大和朝廷が半島南端の白村江に派兵したが敗れている。この時高句麗や百済から王朝貴族が日本に亡命してきた。いわゆる帰化人がその人々である。彼らは大和朝廷に仕えて数々の技術力を発揮している。また高麗が元王朝の手先となって九州に攻め込んできたときには、鎌倉武士が水際で抵抗したため上陸できず、沖合に停泊していたところを台風に襲われて全滅している。これが「神風」の起源である。しかし対馬では高麗軍の残虐な行為で島民が惨たらしく殺された。高麗王朝は文化的には青磁を生み出したことで世界では有名になり、英語のKoreaは高麗に由来する。

李朝は元々高麗軍の将軍だった李成桂が成り上がった王朝のためか、王朝内部の抗争が頻発して血族同士が血で血を洗う政争を繰り返した。明王朝の影響で儒教を国教にしたため男尊女卑、官尊民卑などが激しく、身分制度は苛烈を極めた。明の科挙を取り入れた試験制度を重んじて、合格者の高級官僚は文班と武班に分かれていたので両班と呼ばれ、後に貴族化するという事態になった。しかもその人口比率は1割に満たなかった。官尊民卑のため上から順番に税金を取り立てるばかりで下層民は搾取に喘いだ。最下層は他の民族に例を見ない奴隷階級であった。奴隷は売り買いの対象となり、まさに所有物だった。公の奴隷と私的な奴隷に分かれていたという。もちろん奴隷の子は奴隷でしかなかった。およそ国民の4割が奴隷階級だったという。李朝時代は100年間で人口が全く変わらなかったという記録がある。国民の大半が若くして餓死していたからだ。

儒教は先祖崇拝も教義の一つのため、先祖の失敗を批判できないという欠点がある。つまり過去の失敗から学ぶことができないので進歩が期待できないのだ。そういう時代が500年も続いたため、現代の朝鮮人も常に失敗を繰り返すのが普通になっているのだ。官尊民卑は現代でも生きているので役人天国である。そのため賄賂も普通にやり取りされる。だから大統領が辞めると必ず汚職事件で逮捕されることが普通に起きるのだ。これには例外がないので日本人としては唖然とするしかない。

また法治国家だったことがないので、民衆が法律を守ることがない。法律はあっても為政者が勝手に改変したり新設したりするので、民衆は守る気になれないのだ。役人が勝手に法律を作って取り締ったり税を取り立てたりするので民衆は誤魔化すことが常となった。嘘は方便どころか必要不可欠の技術だったのである。今でも朝鮮には「官災除け」のお守りがあるという。汚吏から身を守る必要が今でもあるという証拠だ。日本における武士道が生まれなかった国の悲劇だろう。軍人も武装したやくざのような存在なのだ。朝鮮の英雄と呼ばれる人物もほとんどがテロリストばかりなのである。

こういう国、または民族は信用するに値しない。なぜなら契約や約束を守る習慣がないからだ。嘘は技術なのだから全く信用できない。国としても簡単に約束を破棄する。条約すら簡単に反故にするのだから話にならない。言い訳が面白い。「状況が変わった」と言うのが常なのだ。これをまじめに言うから始末が悪い。これは支那大陸の国も同じだ。清朝との条約をその後の国民政府を率いた蒋介石は守ろうとはしなかった。毛沢東も清朝の約束など無視してきた。国という考えがないからだろうと思う。朝鮮も政府が変われば過去の政府の締結した条約など守る必要はないと思っている節がある。

つまりは朝鮮も支那大陸の王朝も国家としてではなく、征服王朝の立場でしか物を考えないということだ。近代国家とは言い難いのはそうした理由からだ。未熟な古代国家が日本の隣には依然として存在するのだ。こういう国家に約束を守らせる方法は一つしかない。圧倒的な力で屈服させることだ。残念ながら日本の隣国は力の強い国の言うことしか聞かない連中ばかりなのである。そういう意味では人間社会というより動物社会に等しい。

ちなみに朝鮮の歴代王朝の宗主国支那王朝への最大の貢ぎ物は女であった。元朝からの要求で高麗王朝は国内から狩り集めた処女ばかりを数百人献上したという記録がある。一時期は処女を守らせるために結婚禁止令まで出したという。李朝時代の女奴隷も個人間のお土産や上司に対する貢ぎ物だった。儒教世界での女は男の慰み物でしかないのだ。だから韓国軍はベトナム戦争時代に現地女性を嬲り物にして数万人の混血児が生まれることになったのだ。武士道をもって戦闘に臨んだ日本軍兵士とは根本的に違うのである。日本兵は強姦をしない代わりに慰安婦というプロを利用した。韓国軍もロシア軍もアメリカ軍も慰安婦など必要とはしなかった。現地女性を強姦すれば済んだからである。だから東南アジアでも混血児は多いのだ。日本系の混血児が圧倒的に少ないのは強姦が少なかった証拠なのである。

また統一新羅時代に半島人は姓名を唐風に創始改名したことがある。それ以前は長々しい名前だった朝鮮人もその時以来現在の名前になっている。日本が併合していた時代には日本名を名乗る者が多かった。中華風にしたり日本風にしたりするのは、それぞれの時代で強い民族を真似るからだ。独自の文化を持たない国情がそうさせるのである。李朝時代にハングルで書かれた古典が皆無だったのも独自の文化がなかった証拠だ。文献は全て漢字だった。それも1割にも満たない貴族しか読めなかった。その上儒教は労働を蔑むため、職人や技術者が育たない。これでは文化が育つわけもないのだ。現代の韓国はアメリカ文化を真似るだけである。北朝鮮は李朝時代の再来だ。その上気位ばかりは宗主国中華よりも高いので日本を蔑み言うことを聞かない。どうにもならない民族、国家である。

政治不信を煽る者

松本清張の小説は中学生の頃に出会って以来愛読してきた。既に50年になろうとしている。清張没後25年も経っているので新刊はないがどれも珠玉のものだと思っている。しかし清張の思想には共感できるものはあまりない。清張は共産主義シンパだったからだ。それでも小説としての出来は素晴らしいものだったと思う。現在の推理小説はあまり読まないが清張の亜流が多いと思う。特に清張直後に世に出た推理小説家はほとんど清張の亜流に過ぎない。

清張は40歳を過ぎてから世に出た。しかしその作品数は膨大なもので、推理小説界だけでなく文壇では「巨人」と言われていた。そのためもあって功罪は計り知れない。作品の出来は良いものが多いので罪の方が多いかもしれない。それは「政治不信」や「知識階級への不信」を世に広めたという罪だ。清張の執筆動機には貧富の差に対する怨嗟の念が強い。また権力者への不当に近い不信感が強いのだ。若い時の貧困や不当な扱いを受けた経験が彼の精力的な執筆の原動力となっているからである。また女性に対する不信感も清張の作品からは強く感じられる。これは理由がわからない。余程手ひどい失恋でもしたのだろうか。または母親に対する不信感が原因かもしれない。何れにしろ清張作品に出てくる女性はあまり良くは描かれていない。

清張の推理小説の犯人には役人や政治家、社会的地位のある人物が多く、殺人の動機が保身という新しい分野を開拓したことで人気が出た。それまでの探偵小説の殺人動機はほとんどが金銭か復讐だったからだ。アガサ・クリスティーの小説の犯人も財産目的か復讐または嫉妬の何れかが殺人の動機として描かれている。清張以後の殺人の動機は保身ばかりになった。だから亜流だというのである。

清張の作品が良い出来であればあるほど、犯人として登場する政治家や高級官僚などが保身に走る姿に現実味があって面白いのと同時に、それらに対する現実的な不信感が増長されていった。これに共産主義が絡めば、格好の現体制批判に応用できる。体制批判をすることが至上命題だったマスコミがこれに飛びついた。清張以後、社会悪と言えば政治家や高級官僚と相場は決まっていた。政治不信や行政不信はフィクションを越えて常識的になっていった。

私自身が高校生のころまで政治家や高級官僚は悪いことを普通にしているものと思っていた。しかも権力者が悪いことをしても隠蔽されてしまうものと思ってもいた。清張の作品にも小役人が犠牲になり上司やその上の官僚や政治家はしらばっくれてうやむやになる話もあって、実際はそんなものかもしれないという思いがあった。だからロッキード事件で田中角栄が逮捕されて本当に意外だったのを覚えている。既に清張作品はフィクションを越えていたのだ。

清張の作品はフィクションだ。それでも描き方に現実味があって説得力もあった。清張自身も実際の事件を推理することを精力的に行ったのでなおさら作品に凄みも出た。「昭和史発掘」などでは実際の疑獄事件や収賄事件、あるいは未解決事件を推理している。実際の事件推理では清張の思想が色濃く出るので共産主義的発想から間違った推理も多い。下山事件などの国鉄がらみの事件推理はその典型だろう。朝鮮戦争をアメリカの策謀と考えていたために間違った結論を出している。

何れにしろ清張が広めた社会的地位の保身目的という殺人動機は、瞬く間に社会に浸透していき、現実の政治家や高級官僚への不信感を増長させていった。この現象は共産主義者にとっては実に好都合であった。政治家や高級官僚に最初から悪いことをする輩というレッテルを張り、現実の政治不信に民衆を誘導したのだ。朝日や毎日などの大手マスコミがその手先となった。昨今でも総理大臣が関与したに違いないという憶測を記事にして、現体制を批判するという愚かなことを朝日や毎日などの大手マスコミが行って、現実を知っているネット民からは冷ややかな批判を浴びた事実がある。

しかしこうした共産主義者の体制批判や反日左翼マスコミの愚かな行為を真に受ける勢力もあるのだ。自分で考えずマスコミや権威者の言に左右される愚民は実に多いのである。特に戦後の共産主義教育にどっぷりと浸かってしまった世代は、事実や現実を見ようとはしない。彼らにとってはマスコミが見せてくれる風景が現実なのだ。愚民も勢力によっては無視できない存在となる。民主党に3年間も政権を与えた愚民勢力は今後も無視できない。常に共産主義者の策謀を世に知らしめ、反日マスコミの活動の裏を暴露していくことが日本にとって非常に重要なことである。

政治を司る者は益々世襲化している。世の不信感が強まればなおさら政治家や公務員は世襲化する。なぜなら家族にしか事実は解らないからだ。警察官や自衛官が世襲になっているのが良い証拠だろう。公務に携わる価値を正しく認識させるには教育しか方法がない。子供の時代に公務に携わる価値を教え込んでこそ政治家や公務員の質は高められる。「面従腹背が座右の銘」などと恥ずかしくもなく言い放つ役人が出るようではこの国も危ういと思い知ることだ。

日本人の劣化3

日本が中世階級制度を破棄して国民国家になった明治時代だったが、依然として階級は存在していた。皇族、貴族、華族、平民という階級だ。皇族と貴族は昔からの家柄で支配階級であった。華族は明治維新に貢献した武家から新たな階級として創設されたものだ。その他は全て平民となった。

議会は貴族院と衆議院で構成された。貴族院は貴族と華族で構成され、衆議院は平民の代表者が選出されて構成された。選挙権は当初納税の過多で決められていた。実に合理的な考え方だ。納税をしていない者が政治に関与する資格はないという考え方である。なぜなら議会で決めるのは税金の使い方だからだ。選挙権は歴とした権利として認識されていた。

国民の教育が進み選挙民としての自覚が熟成したと判断されてから選挙権には制限がなくなった。女性の選挙権も認められるようになって本当の意味で国民総参加の政治が始まったと言っていい。しかしその質の高低は教育に委ねられた。人間の質は教育によってのみ形成されるものだ。特に家庭における教育が鍵を握っている。

例えば人間として恥じるべきものは何か。生きる上で重要なことは何か。礼節や高潔な価値観を身につけるのは家庭において教育する以外にないものなのだ。日本人が世界に誇れる民度は全て家庭教育の成果なのである。だからこそ皇族を始め貴族や華族は支配者階級としての自覚を家庭で教育して伝統としてきた。血筋が重要なのはそうした伝統なのであって単なる血の繋がりではない。

ちなみに日本では伝統的に子供には「嘘をつくな」「迷惑をかけるな」と教育してきた。だから自動販売機は深夜でも道端に普通に置いてあって盗難にも合わない。忘れ物も普通に届けられて戻って来る。朝鮮や中国では「負けるな」「人を信じるな」と教える。だから損をすることは負けることに繋がって、価値観は「損得」となる。子供の頃から人間不信だから嘘を平気でつくようになる。これだけでも民族性に違いがあるのだ。

近世血筋の伝統を嫌悪し、貴族階級を搾取階級とする思想が生まれた。事実中世ヨーロッパでは貴族階級は地主として民衆から搾取する階級であった。日本でも心得違いをする上流階級者もいただろう。ヨーロッパの平等思想は日本にも流入した。社会主義者や共産主義者が日本でも生まれ、貴族の中にも思想にかぶれる者が出た。文学者に多く見られる平等思想は広く国民に浸透するに及んだ。しかし共産主義だけは現政治体制を転覆させる革命思想に繋がるものとして非合法化された。自由主義国に見られる当然の処置だ。

ところが日本では対米英戦争敗戦後、占領米軍によって一気に身分制度が破壊された。貴族や華族は廃止され、皇族以外は全て平民となったのだ。共産主義まで合法化され、特に公務員の労働組合が結成されて、平等思想は凄まじく国民に流布されていった。旧体制派の公職追放で政治の中枢や大学教授などの知識階級には共産主義者が就いていった。そのため高等教育で共産主義者が育成されるという事態になった。

由々しき事態なのは政治の中枢や高級官僚に社会主義者や共産主義者が居座ることになったことだ。皇室に対する崇敬の念を持たない者が皇室の命運を握る事態になっているのだ。

共産主義は歴史的伝統を破壊することを最も重要な使命とする思想だ。そうしなければ完全な平等社会は生まれない。特に身分に関する伝統は血筋を絶やさなければ一掃することはできない。だからヨーロッパの王朝貴族は皆殺しになった。日本では皇族を皆殺しにしなければ共産社会は生まれない。しかし日本の場合、皇族だけでは済まない。なぜなら日本の貴族は皇族の子孫が大半だからだ。貴族だけではない。元武家は皇族の子孫なのである。これらを絶やすことなど不可能と言って良い。

しかし今の日本人はこうした歴史や伝統をすっかり忘れている。戦後教育はこうした歴史や伝統を忘れさせるために施されてきたと言って良い。日本の共産主義者は日本の伝統を破壊するために一番重要な家庭教育を放棄させようとしている。家庭を破壊する思想の代表は夫婦別姓やジェンダーフリーである。これらを唱える者が自覚しているいないに関わらず、これらの思想は結果的には家庭崩壊を生む。

元NHKアナウンサーの下重暁子が書いたという「家族という病」という本がある。下重は崩壊しかかっている現代の家庭を憂いて個人として自立すべきだと言っている。家族も所詮他人の始まりだという思想だが、元軍人を父に持つ著者の経験から敗戦後の堕ちた英雄に失望し、戦後の共産思想の影響を受けて家族が鬱陶しいものになったようだ。自覚はしていないようだが彼女の思想こそが共産主義の恐ろしさなのである。

家族は人間社会の最小単位だ。親子兄弟は上下関係の始まりである。アメリカでは兄弟に上下関係はない。能力で関係が出来る。親子でも上下関係ではなく師弟関係である。指導できない親に子は従わない。それも能力の問題とされる。日本では伝統的に親は子の指導をする義務を負っている。兄弟も年上のものが年下の指導をするように教育される。アメリカにはそうした伝統はない。

戦後の日本は自国の伝統を無視してアメリカ流をカッコいいと思う者が出てきた。しかし言語からして違うのが伝統というもので、言語は人間関係が重要な要素になっている。日本語では上下関係を表す言葉が最初からある。男女でも言葉が違う。男女の違いは言葉にも表されている。それは男女差別とは関係ない。違いがあるから違うのだ。男が使う言葉は断定的で強い調子だ。「そうだ」「違う」「良い」などだが、女言葉は優しい言い回しだ。「そうね」「違うわ」「いいわ」などだ。これが男女の違いなのだ。当然社会に対する役割も自ずと違うと考えてきたのが日本人なのだ。

ウーマンリブなどは女が無視され続けてきたアメリカだからこそ生まれた運動だ。なぜなら旧約聖書の世界では女は男の肋骨から生まれた存在だからだ。聖書を信じている敬虔なクリスチャンこそ女は男の一部という思想を持っているのだ。アメリカでDVが無くならず妻が夫に殺される事件が頻発するのは聖書を信じているからなのである。特に娼婦が数多く殺されるのはキリスト教国の特徴である。

アメリカでは伝統など高々数百年だ。男女の違いなどは無視されてきた。言葉に女言葉がないのも証拠の一つだ。女は回りくどい言い方をするだけだと言う。大人と子供の言葉にも違いはない。敬語は語尾にsirかmamをつけるだけだ。だから親子も友達のようになるのだ。親をファーストネームで呼ぶのも言葉に違いがないからである。親を尊敬している子はアメリカでもファーザーとかマザーあるいはダディーとかマームと呼ぶ。

日本のように2千年以上の歴史のある国はその伝統が民族の血の中に染み込んでいる。日本人は本人が好むと好まざるとに関わらずその伝統の中で生きている。親を名前で呼ぶ子は決して親を尊敬できない。親が指導者の権利も義務も放棄しているからだ。必ず親を軽蔑する日が来る。それが日本人の民族性というものだ。なぜなら子供が成人になったら社会に矯正されるからだ。上司を呼び捨てにする部下はいない。社会に矯正された子供は親を恨むことになる。もしくは悩むだろう。日本における社会人としては失格だからだ。それは親のせいだからである。

自分が日本人かどうかを知るにはチェックする方法がある。次の3点をチェックすると良い。

1自分専用の箸と茶碗を持っている。
2鳥居のあるところにゴミは捨てられない。
3親の名を呼び捨てにするのは気が引ける。

3つのうち一つでも違うことがあったら日本人としてはかなり劣化している。もし3つとも違っていなくて不思議だと思うなら歴史を勉強し直すことだ。自分が何者なのか。日本人とはどういう民族なのか。歴史を正しく勉強し直さなくてはわからないほど今の日本人は劣化している。